2. 外交上の必要からフランス王女と結婚するも、カルロス2世の容姿に恐怖
3. 異常に高い乳児死亡率と短命の中で、カルロス2世は38歳まで生きる。
スペインハプスブルク家最後の統治者となったカルロス2世。とても濃い血縁関係のなかで生まれた彼は重度の奇形に苦しみ、エルチサード (呪いにかけられた子)と恐れられるようになります。
この記事では、そんなカルロス2世にまつわる10の逸話をご紹介します。
彼は近親交配の縮図だった
ハプスブルグ家は、権力を一族内に留めおくために、いとこや叔父、叔母などとの結婚を繰り返していました。こちらの家系図をみるとわかりやすいのですが、カルロス2世の曽祖父母(フェリペ2世とアナ)をみると、祖先は全てフィリップ1世とフアナに繋がっていることがわかります。
基本的に、彼らの子供たちも親しい間柄の人と結婚しています。カルロスが生まれる頃には、血は「兄弟同士で生まれる子供」よりはるかに濃くなっていたそうです。
呪われた王と呼ばれた
近親交配の結果、カルロス2世はひどい奇形を患うことになりました。有名な「ハプスブルク顎」はさらに顕著な形で現れることになったのです。
噛み合わせは酷く、カルロス2世は口も閉まらず、まともに食べることすらままならなかったといいます。彼はその数奇な見た目から、「呪いにかけられた王」とスペインの人々からあだ名をつけられました。
顕著にあらわれたハプスブルク顎
ハプスブルク家の顎は、重ねられた近親婚により顕著に現れるようになっていきました。
また肉体的にも奇形が生じたり、心身ともに脆弱になっていっていることに気づいていないどころか、ヨーロッパの王族の間ではごく普通のこととして行われていたのです。
カルロスは誰より顕著な『ハプスブルクあご』をもっており、幼いころは口をきくこともできず、彼は一生のうち話すことは稀でした。顎に問題があったためにあまり食べることもしなかったといいます。
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フランス王女と結婚
ハプスブルク家は『高貴な青い血』を何より重じており、権力を維持しようと近親間での結婚を繰り返しました。
同家の影響力は世界においても広範囲に及んでいたため、候補者はヨーロッパの王室のなかで見つけることが多かったのですが、カルロスはハプスブルク家の出ではないマリー・ルイーズ・ドルレアンと結婚することになりました。
これは、スペインに対するフランスの影響力を強めることにもなりました。実際妃と廷臣が『王冠継承』に対する陰謀を企てたこともあり、人々はマドリードの宮殿の外で暴動を起こすこともありました。
妻は夫を獣のごとく嫌った
(カルロス2世の最初の妻 マリー・ルイーズ)
他の多くの王室の結婚と同じく、カルロス2世とマリー・ルイーズ(最初の妃)の結婚も、外交的なものでありました。
実際、彼女は彼の醜い外見に慄き、嫌悪感を抱いていたといいます。それは母国フランスの大使もが気の毒に思い「スペイン王は恐ろしいほど醜く病気に見える」と書いたほどでした。
自分の結婚式に出席できなかった
カルロス2世の容姿は、花嫁をとてつもなくうんざりさせるものでした。カルロス2世への影響は心身ともにひどくあらわれており、実際には自分の結婚式に出席することができませんでした。
代わりに、マリールイーズのいとこであるルイ・アルマンが代役を務めました。これは代理結婚と呼ばれ、この習慣はたびたびヨーロッパの王室でも用いられていました。
花嫁はうつ病になった
彼女の夫の変容は、マリー・ルイーズを怯えさせただけではありませんでした。
カルロス2世の度重なる健康不良、特に彼の不妊症は、妃にとっては信じられないほどの精神的苦痛を与えるものでした。さらに悪いことに、スペインの宮廷では誰も王妃に触れることができませんでした。
フランス宮廷を離れてスペインに渡ってきたにもかかわらず、待っていたのは子も宿せない侘しい日々。 花嫁は信じられないほどの孤独とうつ病を経験しました。
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早逝した妻マリー・ルイーズ
1689年、乗馬に出かけたマリールイーズは胃の痛みを訴え、その夜、急に亡くなりました。子ができないことを疎んでいた王母マリアナによって毒殺されたと考える人もいました。
しかし、現代の科学者は彼女が虫垂炎で亡くなった可能性を指摘しています。
しかし、カルロス2世の晩年は、色々な陰謀が宮廷内に渦巻いていたといわれており、最終的に彼の最初の妻を殺したものがなんだったのかは分からずじまいです。
肖像画はかなり美化されている
カルロス2世には近親婚の特徴が顕著にでており、見た目は見るに耐えないものであった、といわれています。彼の肖像画は、彼の『ハプスブルグ顎』を顕著に描き出していますが、彼の先天性障害の程度をあらわすものではありません。
画家が肖像画を依頼されたときはいつでも、現実とはちがう『君主らしき美しさ』を描くことを求められ、肖像画は2割増、3割増….カルロス2世の場合は、もはや別人ともいえる加工具合だったといわれています。
宮廷の乳児死亡率は異常だった
ハリウッドは、ハプスブルク家についてかなりの数の映画を制作しました。映画では、ハプスブルク家の優雅な姿が描かれています。(ちなみにかの有名なマリー・アントワネットも、オーストリア・ハプスブルク家の出身です)
しかし現実はどうかというと、『近親交配により健康状態の悪さは、世界で最も酷かった』ともいわれており、実際にスペインの農民の乳児死亡率は約20%なのに比べ、ハプスブルク王室の乳児死亡率は30%と異常に高いものでした。
カルロス2世は38歳でなくなりましたので、かなり粘りをみせた方だと言えるでしょう。
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まとめ
確かにカルロス2世は、健康に大きな弊害を及ぼす、信じられないほどの近交係数を持っていました。しかし、彼の姉マルガリータは同じように濃い血をもちながらも、カルロス2世のような顕著な特徴はみられませんでした。(彼女にはハプスブルク家の顎がありましたが)。
同じ近交系の家族に生まれ、同じ境遇でありましたが、マルガリータの知能にも異常はみられませんでした。
一時は『スペイン女王』として、擁立されることも考えられた彼女でしたが、弟『カルロス2世』が生まれたため、オーストリア・ハプスブルク家に嫁ぐこととなりました。(これもまた叔父姪結婚だったので、生まれた子供達は次々と早逝…)
しかし弟のような不運はなかったものの、宮廷にうまれたプリンセスは『世継ぎを残すこと』が使命とされましたので、マルガリータには女性としての辛さもあったのかもしれません。
そんなカルロス2世の姉については、こちら (【本当は怖い絵画】ラスメニーナスに描かれた王女、マルガリータ|血族結婚がもたらした悲劇) にまとめております。
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