ロンドン・ナショナルギャラリー展に所蔵されている、ポール・セザンヌの『ロザリオを持つ老女の肖像画』。険しい顔でうつむいた拳を握りしめた老婆からは、怒りなのか悲しみなのか、抱えきれない感情が溢れ出している。今日はこの絵画に込められた意味と魅力を解説していきたいとおもいます。
ポール・セザンヌのロザリオを持つ老女
修道院から脱出した元修道女の肖像
(詩人のジョワシャン・ガスケ セザンヌが描いた肖像画)
画家ポール・セザンヌと同郷で作品に惹かれ、親しい交友をもっていたというジョワシャン・ガスケはこの老婆を『信仰を失い、修道院から脱出した修道女の肖像である』と語りました。ガスケはあてもなくさまよっている彼女を見つけ、彼女に避難所を提供したそうです。
肖像画の中で彼女は深い痛みと内面的な苦悩に満ちた人生を振り返り、そして自分に残された日々がどんおどん減っていくことにも気が付いている。背景がくすんでいるのは、そういった心情をあらわしているからだといわれています。
あなたには、この老女がどう映るか
(ポールセザンヌ画 ロザリオを持つ老女)
あなたはこの女性を見て、すべてが後悔と幻滅だと感じますか? 「彼女の顔と姿勢は彼女が熟考に深いが絶望ではない」、というのがガスケの見解です。そしてよく見ると彼女の眉が少しあがっていることに気づくでしょう。眉を上げたことは希望のかすかな光を示し彼女の顔はそれで輝いているというのです。
その他にも光があたっている場所があります、それは彼女の手。彼女はロザリオを見て修道院にはいったときに持ち合わせていた信仰心を思い出しているのでしょう。彼女はすべての挫折や悲しみにもかかわらず、自分の命の終わりに希望をささげるキリスト教に戻ってきたのです。
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ロザリオを持つ老女、この絵にこめられた意味とは
(フェルト帽の自画像 ポール・セザンヌ)
この絵のテーマは 「贖罪 (しょくざい 犠牲や代償を捧げて罪をあがなうこと)」 です。セザンヌ自身はキリスト教徒になったときにあがなわれた経験から、この肖像画の中で老婆を通して彼自身のあがないを示しました。
『あがない』とは、一般には罪をつぐなう、あるいはそれに相当することを行うことを意味ですね。彼女の過去と将来は絶望以外の何ものでもないのに、かつて拒否していたキリスト教信仰の復活に希望を見いだしたのです。
画家がこの絵に投影したのは、自分自身…
(画家 ポール・セザンヌの自画像)
伝統的な絵画の約束事にとらわれない独自の絵画様式を探求した、フランスの画家 ポール・セザンヌ。ポスト印象派の画家として紹介されることが多く、20世紀の美術に多大な影響を与えたことから、しばしば「近代絵画の父」として言及されています。
彼はこの肖像画に描きこむ姿勢や表情を知るために、この女性を注意深く観察する必要はなく。セザンヌは多くの絶望を経験するなかで、思わぬ希望と出会ったときの感情、それが何を意味するのかを心の底から知っていたのでしょう。この肖像画は、晩年敬虔なクリスチャンになった画家セザンヌに希望を与るものであった、ともいわれています。
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まとめ
切ないことに、発見された当時この絵の保存状態はひどいものでした。セザンヌの死後しばらくして、パイプから水が滴り落ちる床の上で発見されたのです。しかし1953年にはロンドンのナショナル・ギャラリーは、この絵を3万2000ポンド (425万円相当) で購入、そして見事に修復され、見事に同美術館に所蔵されています。
(ロンドン・ナショナルギャラリー)
2020年には上野で開かれるロンドン・ナショナルギャラリー展へも来日するそうです。この光と陰が厚塗りされた肖像画の前にたったとき、自身は何を感じるのか。同情なのか、絶望なのか、希望なのか、はたまた新しいなにかか。少し都会の喧騒を忘れて、心の声に耳をすませてみてはいかがでしょうか。
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