中世のイングランドに半年もの安寧をもたらし、圧倒的な人気を誇ったエリザベス1世。彼女は「自分は国と結婚した」主張して生涯独身を貫き、聖母のごとき女王として不朽の名声を得ました。この記事では、臣下や多くの求婚者から主に敬愛された統治者、エリザベス1世に関連した5人の重要人物をご紹介します。
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母アンは断頭台へ、波乱に満ちた生涯
① 好色で知られる父ヘンリー8世
ヘンリー8世は、元々敬虔なカトリックのキャサリン・オブ・アラゴンと婚姻を結んでいました。しかし王妃との間には息子ができず焦った王は、キャサリンを無理やり離縁し、彼女の侍女をつとめていたアン・ブーリンを妃に迎えることを考えます。
カトリックにおいて離婚は禁忌のため、ローマ法王は「イングランド王ヘンリー8世と、キャサリンの離婚」を許しませんでしたが、ヘンリー8世は、国ごとカトリックからプロテスタントへと改宗。イングランド国教会を設立することで、トップをローマ法王から自分へとうつして離婚を成立させました。そのアン・ブーリンとイングランド王ヘンリー8世との間に生まれた娘が、エリザベス1世です。
② 産みの母アン・ブーリン
そこまでして再婚したヘンリー8世ですが、アンに男の子ができないとわかるや否や、ジェーン・シーモアに興味がうつっていきます。結果として、ヘンリー8世はアンと離縁するために、
- 兄弟であるジョージ・ブーリン、イギリス王室の廷臣たちとの不貞
- ヘンリー8世の殺害も共謀した
など、無実の罪をきせて告発します。1536年5月15日、アンは陪審員によって大逆罪として有罪判決を受け、ロンドン塔に監禁されてしまいました。彼女の子供エリザベス1世は、庶子の身分に落とされるのですが、ときがたちヘンリー8世の最後の妃の口添えにより、王位継承権を取り戻します。
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③ 束の間の玉座、ジェーン・グレイ
(参考:【Nine-Day Queen 在位9日の女王】ジェーングレイは、何故処刑されたのか)
ヘンリー8世は3番目の妻ジェーン・シーモアとの間に、念願の息子エドワード6世を授かります。彼は1547年から1553年に15歳で他界するまで玉座につき、後継にレディー・ジェーン・グレイを指名しましたが、わずか9日後にメアリー1世 (ヘンリー8世と最初の王妃キャサリンの娘) により玉座を奪われてしまいました。
イングランドは女系の継承権を認めておりましたので、元々ジェーンも王位継承権はもっていたのです。ただ継承順位についてはヘンリー8世の実子であるメアリーやエリザベスよりは低いものでした。ヘンリー7世のひ孫であるという出自を野心家たちに利用され、望まぬ玉座についた結果が断頭台だったのです。
④ プロテスタントを血祭りに、ブラッディメアリー
メアリー1世は、1516年2月にヘンリー8世と最初の王妃キャサリンの子として誕生しました。メアリーの血筋は、父はテューダ朝の正統な王、母は名門スペインハプスブルク家の出身という大層なものでもありました。
エリザベスと同じく、ヘンリー8世の最後の妃キャサリン・パーの口添えにより王位継承権を取り戻した彼女。王により離縁された敬虔なカトリックの母の意思を継ぎ、イギリスをカトリック国家に逆戻りさせ、復帰を拒否したプロテスタントをことごとく血祭りにあげ『ブラッディメアリー』の異名を得ます。病気でなくなった1558年義理姉メアリーの跡をついだのがエリザベス1世 、彼女の治世は比較的穏やかなもので、プロテスタント主義に立ち返らせ、イギリス史の栄光の先駆けと呼ばれる時代をつくります。
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⑤ イングランドに目をつけたスペイン王、フェリペ2世
この時代イングランドに横槍をいれてきたのが、このとき全盛期を迎えていたスペイン王フェリペ2世。カトリックの守護者を自称するハプスブルク家にうまれた彼は (財産と利権目当で) メアリーと結婚していたのですが、メアリーが腫瘍が悪化してもう長くないと知ると、次期女王候補のエリザベスに内々でプロポーズをしました。(もちろん断られた)
フェリペ2世はメアリーの葬儀にも出席せず、それどころか、エリザベス1世が戴冠すると即、正式に花婿候補に名乗りを上げました。メアリーには興味がなかったフェリペも、エリザベスには魅力を感じたのか、あの手この手でエリザベス女王 (イングランド) を手に入れようと画策したものの、逆にエリザベスからさんざん翻弄されたあげく「カトリックのあなたとは結婚しません」ときっぱり断られたのでした。
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あとがきにかえて
メアリー亡き後イングランド女王となったエリザベスは、カトリックとプロテスタントが対立する国内で中立を保ちました。メアリーも亡くなり、エリザベスに婚姻を断られたフェリペ2世は、「もはや和議はない」として艦隊を引き連れイングランドに攻め込みますが、深夜イングランド艦隊からの攻撃を受け撤退しました。これが世にいう『アルマダ (無敵艦隊) の海戦』です。
エリザベスは結婚せず、子供もなく他界しましたが、最後にいとこの息子であるジェームズ6世 (スコットランド王) を英国王に任命しました。生きている間に6人の異なる君主、国の宗教の変わり目、そして1588年のスペイン侵攻の阻止など、歴史の変わり目をみたエリザベス。出自の問題で苦労もたくさんあったでしょうが、生涯独身を貫きイングランドだけでなく世界史に名を刻んだ女王エリザベス1世。彼女をみていると、自分の意思と舵を握り続けることが大切だと改めて感じるのでした。
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