贅沢の限りをつくして国民からひどく嫌われ、断頭台にあげられた王妃マリー・アントワネット。その美しさは時代を越えて現代の人をも魅了するほどでありました。この記事では、その生涯を経て『最も美しい悲劇』と呼ばれたマリー・アントワネットの肖像画をまとめました。
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アントワネットの肖像画 25枚
マリー・アントワネットは、元々オーストリアハプスブルク家の出身でありました。そして、彼女が「友好のためにフランスへ嫁ぐ」ことは、彼女が生まれる前から母マリア・テレジアによって決められていたのです。
幼い頃のマリー・アントワネット (ピンクのドレスを着て)
狩猟にいそしむマリー・アントワネット (母マリア・テレジアのお気に入りの一枚)
13歳のマリー・アントワネットの肖像画
フランスのルイ16世の元へ嫁ぐも、なかなか子供ができなかったマリー・アントワネット。彼女は気を紛らわすために、社交会やドレス、宝石に現を抜かすようになっていくのでした。
18歳のマリー・アントワネット
20歳のマリー・アントワネット
20歳のマリー・アントワネット
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マリー・アントワネット (推定20歳) オーストリア大公マクシミリアンがルイ16世とマリーを訪問したときの画 (ヨーゼフ・ホーツィンガー画)
22歳のマリー・アントワネット、サロンにて
マリー・アントワネットの肖像画 (推定28歳)
マリー・アントワネットの肖像画 (推定28歳)
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マリーアントワネットと子共たち、プチ・トリアノンの庭園にて。マリー・アントワネットは「憩い」を求めて、ヴェルサイユの敷地内にあるプチ・トリアノンをこよなく愛したと言われています。
33歳のマリー・アントワネットの肖像画
マリーアントワネットと子供たち (推定32歳)
マリーテレーズと膝の上にいるのがのちのルイ17世 ルイ・シャルル。母親らしい彼女を表現するために、シンプルながら風格のある服装を強調しているのが特徴です。
33歳のマリー・アントワネット
35歳のマリー・アントワネット
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逮捕される国王一家、マリー・アントワネット推定36歳。フランス革命が勃発すると、王家は一転追われる立場となりました。最初は使用人付きのそこそこの暮らしをさせてもらえていましたが、次第に子供と引き離されじめっぽくカビ臭い場所へと追いやられることになります。
37歳 幽閉中のマリー・アントワネット
タンプル塔に閉じ込められたマリー・アントワネット
38歳のマリー・アントワネット
晩年のマリー・アントワネット (裁判の様子)
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断頭台へと向かうマリー・アントワネット。
「息子との近親相姦」といったあらぬ罪まででっち上げられ、マリー・アントワネットは断頭台へ上げられてしまいます。贅の極みを尽くし国を傾けたとされるマリー・アントワネットですが、前王ルイ15世の時にはすでに国家は赤字であり、王家の咎を一手に引き受ける形となったのでした。
ギロチン後、頭を民衆へとさらす死刑執行人
マリー・アントワネット処刑直前に描かれたスケッチ
これを描いたのは、のちにナポレオンの宮廷画家をつとめるジャック=ルイ・ダヴィッド。彼女の最後をラフにスケッチした彼は、この革命期を上手にしたたかに生き抜いた人物でありました。
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まとめ
こちらは推定23歳のマリー・アントワネットです。
洗練されていて、類稀なる容姿をもったマリー・アントワネットは、画家にとっても最高のモデルでありました。『赤字夫人』と呼ばれ散財で知られる彼女ですが一番のピークは子供ができるまで、以降は比較的質素な装いを好み母親らしいふるまいをするようになりました。
その様子が肖像画にも繁栄されており、20歳前後までの派手な姿は歳を重ねるにつれて段々と落ち着いていきます。また革命派に捕らえられたあとストレスにより髪の毛が白くなったことも有名ですが、晩年の肖像画には疲れ切った彼女の表情をみてとることができます。酸いも甘いも噛み分けたマリー・アントワネット、時代を越えて愛されるのは彼女の生き様が生々しく刻まれた肖像画が多数存在しているからかもしれません。
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