ロンドンとニューヨークを3時間で結んだ夢の飛行機、コンコルド。なぜ最先端をいっていたはずの夢の飛行機は地上から姿を消すことになったのでしょうか。この記事では、夢の飛行機がおこした悲劇、未曾有の事故とその後をおっていきたいとおもいます。
- ロンドンとニューヨークを3時間で結んだ夢の飛行機、コンコルド
- 2020年、離陸直後に炎上し、搭乗者109人全員が死亡する事故が起きた
- 運航コストが高い割に収益が上がらない旅客機は静かに姿を消すことになった
エールフランス4590便墜落事故
エールフランス4590便はパリからニューヨーク市までのチャーター便でした。乗客の大部分は,ニューヨーク市でカリブ海行きの遊覧船に乗る途中のドイツ人観光客だったといいます。4:43 PMごろ、当該機はパリのシャルル・ド・ゴール空港を離陸。
14:44 (CET)にニューヨークJFKに向けて離陸した同機は、落ちていた金属片の破片を轢き、2分もたたないうちに墜落しました。
この時点で飛行機は浮力を失い、郊外のゴネッセにある小さなホテルとレストランに衝突しました。被害は甚大で、乗客100人と乗務員9人が全員死亡。また、地上で4人が死亡し6人が負傷しました。
行き場を失った、超音速旅客機
フランス政府の事故調査では、下記のように報告がなされました。
コンコルドが滑走路上に落ちていた金属片を踏み、タイヤがパンク。
ゴムの大きな破片が翼の下側の燃料タンクに当たり (燃料はフル装備のコンコルドの総重量の半分以上を占めた) その衝撃により、満タンになっていたタンクが内部から破裂した可能性が高い。
漏れた燃料は, 着陸装置配線のアークによるものと考えられるが,すぐに発火し,エンジンが停止した。
エールフランス航空は、残りのコンコルド便を直ちに運航停止にしました。
唯一の運航会社であった英国航空も8月に追随しました。両航空会社は2001年11月にいったん運航を再開するのですが、労力やコストが見合わないことも重なり2年間も経たないうちに、全社がコンコルドの運航は完全に停止されることになったのでした。
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事故原因の究明
コンコルド滑走の数分前、滑走路上の金属片はコンチネンタル航空のDC−10から落下したジェットエンジン部品だったこともわかっています。
エンジン部品(逆推力装置の摩耗ストリップ)は、最近、定期的なメンテナンスで交換されたもので、作業を行った整備士はエンジンの製造元が指定したステンレス鋼ではなく、チタン含有量が90%の合金製のストリップを使用していたそうです。
この公式報告書に批判的な人々もおり、他の要因の可能性を指摘しました。同機は、推奨されていた離陸重量を超過し、脚機構の スペーサー が欠落していたため滑走路を横滑りした可能性があるとされたのです。離陸前にも風の変化があり、事故に拍車をかけた可能性も示唆されました。また、運航乗務員がエンジンを早めに停止した可能性もあります。
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責任の所在
2010年にフランスの裁判所は、コンチネンタル航空とその整備士が、製造が不十分で不適切な素材を使用していたとして過失致死罪で有罪と判決しました。
裁判所は、タイヤが金属片に接触する前に火災が発生したという弁護団の主張を無視し、同年ポントワーズ軽罪裁判所はコンチネンタル航空の過失を認め、
- 罰金20万ユーロ(約2200万円)の有罪判決を言い渡し
- 同航空機の整備を担当した従業員1人に禁錮15カ月の執行猶予付き判決
を言い渡しました。
泥沼の裁判
コンチネンタル航空はこれに控訴して争い、ベルサイユ控訴院は2012年11月29日にコンチネンタル航空・従業員ともに逆転無罪判決を出しています。
一方並行する民事裁判では、事故によって「エール・フランス航空」のイメージが低下した責任はコンチネンタル航空にあるとして、100万ユーロ(約8260万円)の損害賠償を命じた1審判決を支持しました。
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徐々に幕を引いた超音速旅客機
コンコルドがエールフランスとブリティッシュ・エアウェイズに就航していたときは、27年間、コンコルドは墜落も事故もなく海を渡り、2000年7月25日の事故までほとんど何の事故もありませんでした。
実際に何が起きていたかというと、異物を踏んだタイヤがパンクし左主翼下面及び脚室内に破片が落下。左主翼に格納されていた満水状態の燃料タンクが破裂。
着陸装置室に入った破片がワイヤーを切断し、上昇していた機体は車輪を引き戻すこともできず、破損した翼から発生した火花が漏れ出した燃料に引火し、彗星のように機体の後ろに引きずられるような巨大な炎が発生したのです。
事故原因を踏まえコンコルドのタンク内部の被膜は厚くされ、ケブラー繊維で補強。さらにタイヤも破裂しにくい製品に改良するなど各種の安全対策が行われました。
歴史に消えた航空機
墜落事故から1年3か月半経った2001年11月7日にコンコルドは旅客業務の再開が認められました。運航再開の第一便は満席(正規運賃はエコノミークラスでも片道40万円)、高くともそのエレガントな機体へのファンが根強く残っていたのです。
しかし、その後の搭乗率は事故の影響で芳しくなく… 運行再開直前の時期にアメリカ同時多発テロが発生し旅客機そのものの顧客離れが起きました。
もともとコンコルドは運航コストが高い割に収益が上がらない旅客機でしたが、治世がそれらに拍車をかけエール・フランスはコンコルドの運航を2003年5月をもって終了。ブリティッシュ・エアウェイズも2003年10月24日に運航を取りやめたため、コンコルド全機の退役が決定しました。
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まとめ
夢の飛行機と呼ばれながら、搭乗者109人全員が死亡 (地上でも4人死亡)という未曾有の事故を引き起こしたエールフランス4590便。機体自体に問題があったというより、直接の事故原因は、滑走路上に落ちていた破片を同機が踏んだことありました。それがエンジンタンクに突き刺さったことで火災が起こったのです。
事故は機体だけのせいとはいえませんでしたが、運行コストや騒音などの問題から、表舞台から静かに姿を消すことになったのでした。
今から20年以上前に音速の飛行機が飛んでいたことも驚きですが、技術の進歩にはある程度の犠牲がつきものなの( もちろん事故が起きないのが一番ですが) でしょうか。コンコルドはあの時代において、まさに夢の飛行機であり、英知の結晶に感服するとともに、尊い犠牲に思いを馳せずにいられない出来事なのでした。
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