【クレオパトラってどんな顔】エスニック美人は嘘?実際は凄く地味だった

魔性の女

世界三代美人に数えられる紀元前のエジプト女王、クレオパトラ。エキゾチックでいて妖艶な美女とされるクレオパトラですが、歴史家の見識では「世間一般として、そこまで美人ではなかったと評されているのはご存知でしょうか。実際にどんな容姿をしていたのか、歴史的文書を元に、エジプトに生まれた世界三代美人にせまっていきます。

クレオパトラ7世とは

クレオパトラの顔と容姿 (三代美人に迫る) (ナイル川のクレオパトラ)

クレオパトラは、古代エジプトの女王で、プトレマイオス朝の最後のファラオでした

彼女は、カエサルがエジプトを訪れた際に彼と出会い、彼に協力することで自らの政治的地位を確立しました。そうして支配権を握ったクレオパト。カエサルの死後はアントニウスと恋仲になり、再び支配権を手にしますが、彼女の支配に対する反乱が起こり、アントニウスとの関係も破綻。

最終的にクレオパトラは自殺し、エジプトはローマ帝国の支配下に置かれることとなりました。ました。クレオパトラの生涯は、その美しさや恋愛関係だけでなく、彼女の政治的野心や知略、そしてローマとエジプトの間での複雑な関係によって、古代世界の歴史に大きな影響を与えました。

世界三代美人の一人

伝統的にエジプト、当時のプトレマイオス朝では、男性の支配者がプトレマイオスと名付けられました。対して、女王は通常『クレオパトラ』、『アルシノエ』、『ベレニケ』と名付けられていたのです。ちなみに世界三代美人として語られているのは、『クレオパトラ7世』のことです。「クレオパトラ」の名はギリシア語で「父親の栄光」を意味し、とくに彼女は「絶世の美女」として知られ、人をそらさない魅力的な話術と、小鳥のような美しい声であったと伝えられています。

ただし、クレオパトラの肖像は治世当時、アントニウスが発行したとされている硬貨に横顔が残されているのみであり、この評価は後世の作り話だとの説があります。また妹のアルシノエ4世の復元図から姉のクレオパトラも美しかったであろうと推測され、それが一人歩きしたという説もあります。

クレオパトラの容姿

クレオパトラ (エリザベステイラー)(映画でクレオパトラを演じたエリザベス・テイラー)

こちらの画像は、映画で主役を演じたエリザベス・テイラーです。一般的に『クレオパトラ』というと、1963年に公開された映画『クレオパトラ』で主人公を演じた彼女のイメージが強いのではないでしょうか。2007年の二月にニューカッスルの古代人協会のコレクションにあった『クレオパトラ』が描かれたとされる小さなコインが話題になりました。

しかしそれは一般に想像されていた『クレオパトラ』とはかけ離れたものだとして世界中でニュースになったのです。報告書には「あまり美人ではなかった」と描かれており、記者たちもショックを隠せなかったといいます。

エキゾチックではない!?

クレオパトラの顔

硬貨の表面に描かれた『クレオパトラ』は、エリザベス・テイラーとは全く違っていました。コインに描かれた彼女は 「地味」 で、さらに「ズル賢そう」にさえ見えたといいます。しかし、歴史家たちにとってこれは驚くべき発見ではありませんでした。突出した鼻、傾斜した額、鋭く尖った顎と薄い唇、中空に見える眼窩は、他のコインや史実でもよくいわれている特徴だったからです。

クレオパトラの顔と容姿 (三代美人に迫る)

クレオパトラに惚れ込んだカエサルも、彼女の頭の良さと声の美しさを讃えてはいますが、容姿について語った記録は残されていません。少なくとも、歴史家プルタルコスや当時の世間一般の見方では、特段美しいというわけではなかったようです。ちなみに声については「まるで楽器のようだ」とカエサルが褒め称えたことが記録されています。

スポンサーリンク

絵画や芸術品に見えるクレオパトラ

アントニウスとクレオパトラの最期 クレオパトラの顔と容姿 (三代美人に迫る)  絵画:アントニウスとクレオパトラの最期

クレオパトラの死 クレオパトラの死

世界三代美人 (クレオパトラ, 楊貴妃、ヘレネー)  Cleopatra

世界三代美人 (クレオパトラ, 楊貴妃、ヘレネー) Michelangelo, Cleopatra, 1535

クレオパトラの顔と容姿 (三代美人に迫る)

クレオパトラの顔と容姿 (三代美人に迫る)

スポンサーリンク

まとめ

クレオパトラの顔と容姿 (三代美人に迫る)

エジプトの女王だからかエキゾチックな印象 (左) で描かれることの多いクレオパトラですが、実際プトレマイオス朝はギリシア系の家系だったため、実際は右のようにギリシア風の巻毛スタイルだったといわれています。

しかしクレオパトラの真の姿は、わかっていません。クレオパトラが暮らしたアレクサンドリアの王宮や、彼女の遺体が納められた棺も後世の大地震によって海の底に沈んでしまったからです。今まで多くの歴史家や作家が、まるで千一夜物語 (アラビアンナイト) のように伝え聞いたことを元にして、彫刻や絵画、または映画など、数々のクレオパトラのイメージを表現してきました。しかしそのどれも想像上の産物にすぎません。実際クレオパトラは妖艶な雰囲気をまとった絶世の美女だったのか、それとも聡明さ溢れた賢女で周りを虜にしていったのか、もはや誰もわからないのでした。

世界三代美人 (クレオパトラ, 楊貴妃、ヘレネー)

楊貴妃もそうでしたが、『世界三代美人』というのは、『絶世の美女』よいうよりも、『妖艶な美女説 (男性を虜にした)』といった逸話が一人歩きした女性をさすのかもしれません。

この記事を読んだ人へおすすめの記事

スポンサー広告
管理人

歴史オタクの英日翻訳者。

スペインの児童書「ベラスケスと十字の謎 」に魅了され、世界史に夢中に。読み漁った文献は国内外あわせて100書以上。史実をもとに、絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

Naaya Alexisをフォローする
魔性の女
Naaya Alexisをフォローする
タイトルとURLをコピーしました