ネットフリックスで公開されているドラマ「ベルサイユ」の中で、一際輝いている女性といえば「王弟妃アンリエット」でしょう。その美しさでルイ14世を魅了したイングランド王女のアンリエット・ダングルテール。
彼女はフランスへ嫁ぐも嫉妬渦巻くヴェルサイユの陰謀に巻き込まれ、わずか25歳で亡くなった悲劇の王女でもあります。この記事では、「ヘンリエッタ」の名前でも知られる儚く悲劇の王弟妃の物語をご紹介します。
王女アンリエット
(ヘンリエッタ・アン・ステュアート)
アンリエットは1644年、イングランド国王チャールズ1世とフランス王女アンリエットの間に生まれました。ときはイングランド・スコットランド・アイルランドで起きた内戦・革命中 (ピューリタン革命) の真っ只中。父王はアンリエットが2歳のときにスコットランド側へ投降し、1649年には処刑されてしまいました。
母であるアンリエット・マリーは幼かったアンリエットや子供らを連れてフランスへと亡命します。しかしそのフランスも、貴族達が暴徒と化したフロンドの乱の中にあり、王家は亡命してきた母子に手を差し伸べる余裕はありませんでした。幼いアンリエットは険しい寒さの中、燃やす薪すらない凍りついた部屋で極貧生活を送ることになります。
王弟妃として、再びフランスへ
フロンドの乱がおさまると、アンリエットは母と共にシャイヨー宮にあった館へと移ることができました。時がたち1660年に兄が『チャールズ2世』として即位すると、亡命中だった母はアンリエットを連れてイングランドへ帰国します。16歳になるとアンリエットは才気溢れた活発な美少女になり、フランス国王ルイ14世の弟であるフィリップ殿下の妃へと望まれ再度フランスへ旅立つことになったのでした。
しかし、彼女を待っていたのはまたもや茨の道でした。オルレアン公ことフィリップは女装が趣味の男色家だったのです。フリルやレースのついた女のようなドレスに、コルセットやイヤリングなどの装飾品を身につけ、周囲にも同じような女装癖のある青年たちを集めていました。
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義理兄ルイ14世との不倫
フィリップの男色は才色兼備のアンリエットと結婚しても、変わりませんでした。最初こそ夫としての義務をはたしても、すぐに妃に飽きて愛人男性の元へ戻ってしまうのです。一方フィリップの兄であるルイ14世は、スペイン王女のマリー・テレーズと望まぬ結婚を強いられアンリエットと同じように苦痛を感じていました。
義理兄妹となったルイ14世とアンリエット、どこかに寂しさを感じていたふたりが近づいていったのも自然の成り行きであったのかもしれません。そもそも3人は従兄弟同士であり、幼いころフランスへ亡命していたアンリエットはルイ兄弟とも面識がありました。
久しぶりに再会したアンリエットは、麗しい目をもったすらりとした女性に成長しておりルイ14世はすぐさま虜になりました。以降、アンリエットとルイ14世はともに水浴びや乗馬へと出かけるようになり、夜遅くまで運河に浮かべたゴンドラで過ごすなど「2人が良い仲」だというたちまち噂はヴェルサイユ中に広まったのでした。
外交の要としても活躍
この時代において、最も勢力を伸ばしていたのがオランダのオラニエ公ウィレム1世です。この男に手を焼いたルイ14世は、イングランド国王チャールズ2世との間に、オランダを敵とする同盟を締結しようと画策していました。そしてルイ14世がイングランドの説得役にと選んだのが、他ならぬチャールズの妹アンリエットでありました。
同盟の交渉が最終段階に入った時点で、アンリエットがイングランドへと出発する手筈となっていました。そして彼女は見事に話をまとめ、オランダを共通の敵とするフランスとイングランドの間に「ドーヴァー条約」という同盟を結び帰国しました。
愛人に現を抜かしていたフィリップは妻の動向も兄王の思惑も知らされておらず、情けない思いをするはめになります。それがさらに妻嫌いに拍車をかけ、更に妃を嫌うようになるのでした。
アンリエット毒殺事件
事件が起きたのは、6月30日のことでした。侍従が運んできたチコリ入りの水を呑むや否や、アンリエットは脇腹を抑えてうめき声をあげたのです。七転八倒身悶えして苦しみ彼女は駆けつけた医師に「毒がはいっていた、誰かが私を殺そうとした」と訴えました。当然、国王夫妻や、夫の元に急使が向かいました。しかしながら夫であるフィリップは驚く様子もなく無関心であったそうです。
アンリエットの変わり果てた様子をみて、涙にくれたのは国王ルイ14世。アンリエットはルイに対して「陛下、私は亡くなるでしょうが、どうか泣かないで」と声を残し、逆にフィリップに対しては「何もあなたを害することはしなかったのに、この不当な仕打ちは何だったのか」と恨言をつぶやきました。しかし、どの薬も解毒剤も効き目がなく、アンリエットはその生涯を閉じることとなったのでした。享年、わずか25歳でありました。
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あとがきにかえて
さて、アンリエットを毒殺した犯人は一体誰だったのでしょうか。有力な説のひとつに、犯人はフィリップの愛人であったロレーヌ公だというものがあります。しかしけして彼1人だけではなく、そこに繋がっているのは、ルイ14世の初恋相手であった宰相マザランの姪マリーや、当時黒ミサや毒薬で貴族達を操っていたラ・ヴォワサン。
黒魔術で火炙りとなったことでも知られるラ・ヴォワサンは、アンリエットの友人であったモンテスパン夫人へも近づき、ルイ14世の暗殺計画を企てるなど当時のヴェルサイユにおける影の支配者でもありました。
宮殿では王弟妃アンリエットの死に対して念入りな調査が行われました。しかし王弟の取り巻きがかかわる毒殺であったことがイングランド (国王はアンリエットの兄) に知られれば、せっかく結んだ同盟は白紙です。そういった事情かれアンリエットの死因は「真性コレラウイルスによるもの」だとされ、イングランドへと伝えられたのでした。
幼き日々はイングランドの内乱で父王を亡くし、嫁ぎ先のフランスでは優雅な日々が待っているかと思いきや嫉妬や憎悪渦巻く宮廷の餌食となった才色兼備の麗しき王女。フィリップが彼女を少しでも愛していたら、ルイ14世の目にとまることがなかったら、彼女には落ち着いた日々が待っていたのでしょうか。否、ヴェルサイユ宮殿は陰謀渦巻く魔窟です。あの煌びやかな宮殿にいる以上、そのような安寧の日々は一生待っても望めなかったのかもしれません。
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