その美しさで現代までその名をとどろかせているマリリンモンロー。しかしその愛らしい笑顔の裏には、あまり取り上げられていない波乱板状な人生がありました。この記事では、あまり取り上げられないマリリン・モンローの生い立ちをご紹介します。
- 母が精神病を患い、幼くして11人もの里親の間を渡り歩くことになった
- 16歳で結婚、工場で働く側モデルの仕事も引き受けるようになっていく
- うまくいかない恋愛や結婚生活に苦しみ、母と同じ精神病で自身も悲しい最後を迎えた
マリリン・モンローの生い立ち
マリリンモンロー は、1926年6月1日にロサンゼルスで生まれました。私生児として生を受け父の顔もわからなかったマリリン。祖父母は精神病を患っており、情緒不安定であった母は男を取っ替え引っ替え、マリリンが6歳のときには精神病院へいれられてしまいました。
親権はロサンゼルス群にあり、どこに里子に出すかは当局の担当者次第になり、結局マリリンは4年もの間、11人もの里親のあいだでたらい回しにされたのでした。さらに酷いことに、8歳のときには下宿人の中年男におそわれたというショッキングな事実までが加わりました。
16歳で厄介払い
そんなマリリンは1942年6月、16歳で最初の結婚にいたります。配偶者となったのは21歳のジェームズ・ドバティ、ロッキード航空の工員でありました。ロマンチックなものでもなく、彼女を引き取っていた一家が引っ越しすることになり、厄介払いした形でした。
第二次世界大戦がはじまると、夫ジェームズはカタリナ島の海軍基地に配属され、マリリンはパラシュート工場につとめる側、モデルの仕事も引き受けるようになります。しかしそれは今知られているようなものではなく、破廉恥とされるものが主でした。
後に、映画スターとなってからこのとき撮られたカレンダーが露出するわけですが、本人は「お腹が空いていたし、部屋代がたまっていたんだもの」とあっけらかんと答えました。実際は自家用車を買うためのお金が欲しかっただけだといいますが、飾り家のない言葉はかえって好感をよんだのでした。
映画スターとして花開くまで
1947年、マリリンはついに20世紀フォックス社と契約に至りました。夫と離婚してまで映画界に入ったものの、これという役もなく長い下積み時代が続きました。その間は、食べていくためにコール・ガールまがいのことをしていたことは定説となっています。
そんな彼女を花開かせたといわれるのが、ハリウッドきっての実力者ジョニー・ハイドです。彼はマリリンをつれて毎日のように出歩き、一流のディレクターやプロデューサに前途有望な新人女優だといって紹介したそうです。そのかいあってか、1953年、マリリンモンローは一躍映画スターへと駆け上がっていったのでした。
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ユーモアに富んだ名言の数々
『ナイアガラ』『紳士は金髪がお好き』など続けて出演し、マネーメイキングスターのベスト10にも選ばれたマリリン。なかでも『ナイアガラ』でみせたモンロー・ウォークは世界中の男性を虜にしました。ヒールの片方をほんの少し短くすることで、歩くときにちょうどお尻が揺れるという歩き方はマリリンモンロー本人が考えついたアイディアだったそうです。
マリリンのウィットに富んだ答えは、いつも記者を驚かせました。「寝るときは何を着ますか?」と聞かれたマリリンが「あら、シャネル5番よ」と答えたのはご存知でしょう。これは宣伝パフォーマンスではなく、本人の個性からきたものだったそうです。
大人になってから
1961年劇作家であるアーサー・ミラーと離婚したマリリン・モンローは、その後精神病院へと入院することとなりました。「軽症患者」の病室ではありましたが、その時の生活はというと、ドアの外から鍵をかけられ電話も禁じられるというショックなものでした。祖母や母が精神病者だったマリリンは、自分もいつか狂ってしまうのではないかと不安に苛まれていたといいます。
幼い頃は里子に出されろくな愛情をもらえなかった彼女ですがそのときの経験がトラウマとなり、誰と結婚しても不倫に走っても、どんなに愛情をもらったとしても、満足することができなかったのかもしれません。
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まとめ
母が精神病を患い、幼くして11人もの里親のあいだを渡り歩くことになったマリリン・モンロー。16歳で結婚、工場で働く側、モデルの仕事も引き受けるようになっていきます。女優として成功するも、うまくいかない恋愛や結婚生活に苦しみ、母と同じく精神病を患い、自身も悲しい最後を迎えることとなったのでした。
マリリンモンローの遺体には不可解な謎が残されていましたが、彼女が睡眠薬を多量に服用していたのは周知の事実でした。そういった数々の経験が積み重なり、まるで細い系が絡まるかのように、いつしかほどけなくなってなってしまったのかもしれません。そんな不幸をまるで感じさせないマリリンの写真の数々は、今も世界中の人々を魅了し続けているのでした。
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