【ベルサイユ宮殿の建設秘話】なぜルイ14世は寒村に新都市をつくったのか

フランスの歴史

広大な庭園に囲まれた豪華絢爛な宮殿といえば、大抵の人が思い浮かべるのがヴェルサイユ宮殿。かつてここではきらめくシャンデリアの下、着飾った貴族や貴婦人たちが集まり夜な夜な舞踏会を開いていました。そう、有名なポンパドゥール夫人や、悲劇の王妃マリー・アントワネットも過ごしたあの宮殿です。歴史上に名を轟かせ続けた美男美女が君臨したヴェルサイユは、いわば17世紀〜18世紀のヨーロッパを代表する芸術・文化の中心だったのです。

しかしこのヴェルサイユという地が、元々は誰からも見向きもされない辺鄙な寒村だったことはご存知でしょうか。見晴らしも悪く、樹木も水もないこの不毛な地になぜルイ14世は宮殿を築こうと考えたのか。この記事では、ヴェルサイユ宮殿の建設秘話にせまっていきたいとおもいます。

中世フランスの王城事情

フランスの城

当時のフランス国王たちはひとつの城に定住することなく、絶えず国中をめぐり歩いていましたそれには国王の権力を国民に見せつけたり、それを機会に地方に新しい税金を課したりという目的もありました。

太陽王ルイ14世もまたしかりで、たとえば1671年の1月から5月までの間だけでも、サンジェルマンアレー、ヴェルサイユ、シャンティーなどの城を20回以上も転々としています。そんなルイ14世がヴェルサイユに定住するようになるのは、1682年に本格的に宮廷をここへ移して以降のことでありました。

 

元々はルイ13世の狩猟小屋

louis 13 versailles

元々ヴェルサイユは、父ルイ13世が狩のための小屋を建設させた場所でした。少年時代から狩りが好きであったルイ13世は、ちょくちょくヴェルサイユの森に狩猟へ出かけていたのです。夕方遅くまで狩りに熱中して、パリへの日帰りが不可能になると、鷹匠や猟犬係の一隊とともに、途中の旅籠に泊まったりしていました。

しかし当時の旅籠での生活はけして快適なものではなく、そこで供の者たちと夜をくつろげるための別荘がヴェルサイユに作られることになったのです。つまり元々ヴェルサイユにあったのは、国王としてはごく質素な建物で、”藁の上に寝なくて住むよう、国王が建てさせた簡素な別荘”だったのです。

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ヴェルサイユに城が築かれるまで

ルイ14世

ルイ13世のあとを継いだルイ14世は、その狩り小屋をしばらくは愛人との密会の場としても利用していました。ではどうしてルイは、そんな地に豪華絢爛たる宮殿を建てることを決意したのでしょうか。それには、

  • サンジェルマンなど歴代の国王が建築させた王城に倣って、自身の城を持ちたいと望んだこと
  • フロンドの乱でパリを追われるという屈辱を味わったルイが、パリではないどこかで、貴族達を囲い込んで徹底的に服従させようとしたこと
  • 財務卿フーケがもつヴォー・ル・ヴィコント城の豪華さに嫉妬を覚えたこと

など、々な理由があったといわれています。

 

モデルとなった、ヴォー・ル・ヴィコント城

ヴォー・ル・ヴィコント城

ルイ14世がそのあまりの豪華さに嫉妬したというヴォー・ル・ヴィコント城。国王はそのあまりの絢爛さに打ち震え、自分もそれに勝るとも劣らない宮殿を築こうと決意したといいます。

城主はルイ14世の財務総監ニコラ・フーケで、彼は優れた財務家、政治家であり、文学者や芸術家を庇護したことでも知られていますが、横領や汚職にも手を出し莫大な財を築いた人物でした。そんなフーケが天才造園家ル・ノートルに庭園を造らせたヴォー・ル・ヴィコント城はパリの南東約40キロのところにありました。

 

太陽王も嫉妬した、財務総監の豪華絢爛な城

ヴォー・ル・ヴィコント城

噴水・花壇・石段などあらゆるものをイタリア式よりずっと大規模にし、特に地面に対して池などの水面の比率を思い切って大きくしたため、フランス式庭園はイタリア式庭園に負けぬ華麗でダイナミックなものになったのでした。しかしその仕上がりがあまりに見事な出来栄えだったことが皮肉にも、国王の嫉妬を買うことになります。

1661年8月、フーケに招かれてルイ14世はヴォー・ル・ヴィコント城を訪れました。その晩の宴会では、国王のために純金でおおわれたテーブルが用意され、6000枚の銀皿と400個の銀鉢が並べられました。

銀食器

常に自分が一番でないと気が済まなかった太陽王は、城のあまりの豪華さに驚嘆し「臣下のくせに国王も持たない物を有しているとは」とすっかりヘソを曲げてしまったと言います。

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ヴェルサイユ宮殿の建設

ルイ14世

ルイ14世は大変不機嫌な様子で帰路へとつきました。

ルイのフー毛への嫉妬は並々ならぬものだったようで、招待からわずか19日後にフーケは公金横領の嫌疑で逮捕され、財産を差し押さえられてしまいます。また裁判の結果、フーケは終身刑を宣告されたのでした。

ひなびた教会や旅籠があるだけだった寒村ヴェルサイユに、ルイ14世が新都市を建設することを決めたのはそれから10年後、1671年のことでした。そのときは通りも整地されておらず、宮殿北側の敷地を利用する都市計画の見取り図が完成しただけの段階でありました。

 

宮殿へ向け、廷臣と貴族が大移動

ルイ14世

国王により宮廷がヴェルサイユに移されることが告知されました。しかし廷臣も貴族も当然パリから離れたくはありません。何もない寒村に、すべてを残して移り住むなどもってのほかだったのです。

ルイ14世は特許状を作成して、

  • ヴェルサイユに家屋を建築する廷臣には無償で土地を提供
  • さらに地租を免除

することを約束します。さらには「差し押さえ禁止令」がフランス全土の不動産に対して布告されました。これは家臣におおいに歓迎されたものです。宮廷生活はことのほかお金がかかるため、借金で首がまわらぬ貴族が少なくなかったのですね。

 

出来上がった”黄金の監獄”

黄金の監獄 ヴェルサイユ宮殿

その後名だたる貴族たちが次々とヴェルサイユに邸を建築することになります。さらに廷臣3000名、近衛兵9000名というとんでもない人数がヴェルサイユに移住することになり、かくしてここに『黄金の監獄』と呼ばれる巨大な宮殿が完成したのです。当然、当直にあたる廷臣は部屋にすし詰め状態となり、宮殿の部屋は瞬く間に足りなくなりました。

馬車

パリからヴェルサイユまでは四六時中馬車の列がつらなり、それまで寒村だったヴェルサイユには豪奢な貴族の館が立ち並ぶ近郊都市へと生まれ変わったのでした。

 

ヴェルサイユ宮殿の中身はどうなっているのか

黄金の監獄 ヴェルサイユ宮殿

ヴェルサイユ宮殿を訪れるとまず、正面にみえるのが頭上に王冠をいただく金泥のブルボン家の紋章を掲げる入り口でしょう。正面中庭を通り、奥にあるのが「王の内庭」です。王が日常起居するのは、正殿の北側に隣接する「王のための巨殿」です。

ヴェルサイユ 王の寝室

近衛の間、第一の控えの間、第二の控えの間、寝殿の間、閣議の間、振り子時計の間、黄金の間に浴室。

ルイ14世の浴室

ここには国王が公の仮面を脱ぎ捨てて、一個人としての生活を営むのに必要なありとあらゆる施設が揃っていました。これらの虚殿には、「大理石の間」からの階段で直接達することができました。

大理石の中庭

ちなみにこの豪華絢爛な城は、他国にも知れ渡るくらい不衛生なことで悪名を馳せてもいました。(参考:【ヴェルサイユ宮殿のトイレ事情】世界で最も不潔な場所と言われた理由)

 

ヴェルサイユ宮殿についての豆知識

ヴェルサイユ宮殿

以下は、あまり知られていない、ヴェルサイユ宮殿についての真実です。

  • 宮殿内の「鏡の間」には、合計357個の鏡がある
  • 宮殿の建設と装飾に使用されるものはすべてフランスで製作された
  • 宮殿の建設時、ベニスが鏡の製造を独占していた
  • これに対抗するために、ヴェネツィアの職人がフランスに集められた
  • ヴェルサイユは宮殿の豪華さ誇り、便器も銀でできていた
  • ベルサイユの庭園は30,000エーカー以上を覆い、400の彫刻と1,400の噴水がある

ヴェルサイユ宮殿

ちなみに、パリ平和条約はここヴェルサイユで結ばれ、第一次世界大戦を終結させた『ヴェルサイユ条約』は、鏡の間の奥の方で署名されました。中世より王室の居城として活躍しただけでなく、歴史上の大切な場面で登場してきた場所でもあるのですね。

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あとがきにかえて

ヴェルサイユ宮殿

貴族をはじめ、多くの人々が毎日出入りしておりましたので、宮殿内での盗難はよくあることでした。また人々がひしめき情事も常だったため、黒魔術なども横行し毒殺なども行われていたそうです。

フロンドの乱で、貴族に恨みをもっていたルイ14世。”神から与えられた”絶対的な力”を盾として、貴族たちに反抗心を起こさせないよう『黄金の監獄』に閉じ込めたわけですが、結局国王の温情に縋るしかない貴族たちのひずみは別の形で噴出することになったのでした。(参考:中世ベルサイユを恐怖に陥れた黒魔術【ラヴォワザンと悪徳神父エンティエンヌ】)

事情はどうあれ、何百年たった今も多くの人を惹きつけてやまないヴェルサイユ宮殿と、創造主であるルイ14世いつか彼の地を訪れた時は、そんな情事渦巻いた人々の気配にも心を傾けてみてはいかがでしょうか。

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参考文献

  • https://en.wikipedia.org/wiki/Palace_of_Versailles
  • https://citywonders.com/blog/France/Paris/10-facts-about-the-palace-of-versailles
  • https://twitter.com/cversailles/status/1105090800378089473
  • https://en.parisinfo.com/paris-museum-monument/71399/Chateau-de-Versailles
  • https://www.biography.com/video/louis-xiv-versailles-22732867769http://www.versailles3d.com/jp/au-cours-des-siecles/xviie/1662.html
  • https://www.artpal.com/buy/drawings/buildings-architecture/world-architecture/?i=100643-428

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管理人

歴史オタクの英日翻訳者。

スペインの児童書「ベラスケスと十字の謎 」に魅了され、世界史に夢中に。読み漁った文献は国内外あわせて100書以上。史実をもとに、絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

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