「シンデレラ城」のモデルにもなったノイシュヴァンシュタイン城を築いたのが、「狂王」と呼ばれたルートヴィヒ2世。目を見張るほどのイケメン国王ながら、政治にはうとく破滅的浪費を繰り返し「狂王」とも呼ばれました。この記事では、最後は「精神病」のレッテルをおされ怪死遂げたルードヴィヒ2世をご紹介します。
- 目を見張るほどのイケメン国王であったルードヴィヒ2世
- 美と音楽だけを愛し、散々浪費した末議会から厄介払いされることになった
- 城は完成したものの国王は精神病として幽閉され、謎の死を遂げるに至った
イケメン王太子
彼が生まれたヴィッテルスバッハ家は、バイエルンを支配したドイツの名家で、古くは神聖ローマ帝国の皇帝も輩出していました。1864年3月、ルートヴィヒ2世が18歳で即位したとき、人々はルートヴィヒ2世を熱狂的に迎えました。
その大きな理由は、彼の圧倒的な「美しさ」であったといいます。身長191センチメートル、現代的な八頭身にすっきり通った鼻筋。黒く哀愁を帯びた瞳に、黒褐色の巻毛。その態度はあくまで毅然として気高く、崇高な精神を秘めていると想像させたほどでした。
政治には無関心
ところが現実はどうかというと、ルートヴィヒ2世は政治にはほとんど関心がありませんでした。当時、ヨーロッパの国王は誰もが、近隣国との間で戦争の火種を抱えていました。しかし、ルートヴィヒ2世は戦争などという血生臭い話には嫌悪感しか持てなかったのです。
また、ルードヴィヒ2世は当時の王なら当然であった、形式的な社交なども大嫌いでした。どうしても嫌な人間と会わなくてはいけないときは、テーブルの真ん中に花をたくさん活けて相手の顔も見えない状態にしてしまうほどだったといいます。
美しいものがお好み
そんなルートヴィヒ2世が好んだものといえば、音楽と美です。
まず、即位してすぐに音楽家のワーグナーを探し出して呼び出しました。そしてワーグナーの負債を肩代わりして、彼の作曲と派手な生活をパトロンとして支え続けたのです。ルートヴィヒ2世の情熱のもう一方は、お城を作ることに傾けられました。
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ノイシュヴァンシュタイン城の建設
代表作のノイシュヴァンシュタイン城では、城のデザインを建築家ではなく画家にまで行わせていたといます。このため、まるで舞台美術のように、壁画や天井のモチーフは美しく描かれ、人口の洞窟まである一方で、城としてなくてはならない小聖堂や墓地がなかったり、玉座が後回しになったりとチグハグも生まれていました。
城全部を使ってワーグナーの歌劇の世界を再現したかったというのですから、まさに国王の希み通りの城がそのままに作られていったのでした。
精神病を認定され幽閉
ルードヴィヒ2世はほかにも城の建設を進めていましたが、次第にあまりの散財に、批判が集まっていきました。そして、ファルケンシュタイン城というさらに壮大な城の建設計画が浮上した時、この散財から国を守るための動きが起こり始めます。
1886年バイエルンの政府首脳らによって、ルートヴィヒ2世は、医師の診断を受けさせられました。結果、ルートヴィヒ2世は「精神病」と認定をうけ、廃位を宣告されてしまったのです。
謎の死
当時ノイシュヴァンシュタイン城はやっと完成したばかりでした。
当然ルートヴィヒ2世は抵抗したのですが、結局彼は逮捕され幽閉されてしまいます。湖畔でルートヴィヒの水死体が発見されたのは、その翌日のことでした。これは「自殺」と断定されたわけですが、その真実は今も不明のままです。
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まとめ
あれだけこだわり尽くしたルートヴィヒ2世が、たった120日間しか住むことができなかったノイシュバンシュタイン城。生前ルートヴィヒ2世は、城を自分の世界の中だけに留めておきたいという思いからきた願いで、「私が死んだらこの城(ノイシュヴァンシュタイン城)を破壊せよ」と遺言していたのですが、摂政ルイトポルトは城を壊さずにむしろ地元の住民に開放したのでした。
そんなノイシュヴァンシュタイン城は、昔も今も観光客を惹きつけてやみません。そして皮肉にも、現代では最大の夢を送り出すディズニーランドでもモデルとして使われているのでした。美しすぎる者、完璧すぎる物の裏には暗い影が潜んでおり、だからこそ白き城は一層輝きを増すのかもしれません。
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