【ダイアナ妃の悲しい事故】カミラ夫人は元妃の死をどう受け止めたのか

camilla princess diana イギリス王室

チャールズ皇太子の初恋の人であるカミラ・パーカー・ボウルズダイアナ妃との結婚中にも皇太子と彼女の関係は続いており、結果として追い詰められた妃は離婚を決意。失意の中、ダイアナ元妃は新しい恋人といるところをパパラッチに追われ悲劇的な事故死を遂げたのは皆が知るところですが、カミラ夫人はその時どうしていたのでしょうか。

ダイアナ元妃から皇太子を奪った悪役と称され、彼女へは非難が集中しましたが、結果的に2005年、皇太子とカミラ夫人は結婚に至り、いまだに仲睦まじい様子が伝えられています。この記事では、20年以上経ち、ようやくあきらかになった事故当時のカミラ夫人の様子をおっていきたいとおもいます。

この記事のポイント
  • 事故後すぐに皇太子から、夫人の元へ事故の事実が伝えられた
  • 冷めた態度の王室メンバーとは違い、カミラ夫人は皇太子を励まし続けた
  • 時間をかけふたりは互いの環境を整え、最終的には結婚に至るまでになった

 

ダイアナ妃の悲劇的な事故

ダイアナ妃

1997年8月31日深夜、「ダイアナ元妃がパリで交通事故に遭い亡くなった」というニュースが世の中を駆け巡りました。彼女の乗ったリムジンはパパラッチに追われ、時速190キロで疾走。トンネル内のコンクリートの支柱に激突し、一緒に乗っていた恋人ドディと運転手も即死でした。

ダイアナ妃の死に対するカミラ夫人の反応は、衝撃に尽きたといいます。ダイアナ妃の悲劇的な死は世界を揺るがしましたが、彼女を知る人々にとってはさらに衝撃的なものでありました。遺されたふたりの王子、ウィリアム王子 (15) とハリー王子 (12) は悲しみに打ちひしがれることになりますが、衝撃を受けたのはチャールズ皇太子カミラ夫人も同じであったといいます。

思った以上に事態は深刻

王室専門家のペニー・ジュナーは、チャールズ皇太子が彼女へダイアナ元妃の死を伝えた時、カミラ夫人がどのように反応したかをデイリー・メール紙に話しました。「カミラ夫人は当初、チャールズ皇太子が伝えられていたのと同じくダイアナの怪我は腕を折った程度のものだと考えていました

彼はカミラ夫人へ午前3時45分に電話をかけ、ダイアナ元妃が手術中に死亡したというニュースを伝えると、カミラ夫人は彼と同じくらいショックを受けていました。彼らはその夜長い時間で話し続けました。そのときチャールズ皇太子は、大衆がから間も無く非難を浴びるであろうことがわかっていたといいます。チャールズ皇太子にはこの自動車事故の直接の責任はありませんでした。

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カミラ夫人へ集まる非難

しかし、皇太子が彼女に誠実に接していたならばダイアナはファイド氏とパリにはおらず、痛ましい事故も起きなかったわけで世間は彼を悪役だとみなしましたまた、大衆は、チャールズ皇太子とダイアナの結婚を破綻させたのはカミラ夫人だと非難しました。

想像通り、ダイアナ元妃が亡くなったというニュースが報じられてからわずか数時間後、報道陣はカミラ夫人の家へ押し寄せました

ダイアナ妃とカミラ夫人

「皇太子はそのことでひどく苦しんでいました。そして、彼女 (カミラ夫人) は彼のためにこれらすべてを経験する準備ができていたという事実は、私が思うに、彼らが非常に強い関係とパートナーシップを持っていたことを示しています」と歴史家は語ります。

ダイアナ元妃が自動車事故にあったというニュースをチャールズ皇太子が最初に聞いたとき、報道によれば、彼は女王から何の支援も受けていませんでした。代わりに、カミラ夫人だけが彼の頼みの綱で、彼女はウィルトシャーの自宅から電話で彼を励まし続けていたのです。

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それでも皇太子が求めたのは

皇太子と母エリザベス女王の関係が、あの悪夢の夜ほどはっきり浮き彫りになったことはなかったといいます。彼らは数フィート離れた別々の部屋にいて、そこには紙のように薄い壁があっただけですが、お互いに慰め合うこともなく、今後のことを話すこともありませんでした。

皇太子が救いを求めたのは、500マイル離れた自宅、ウィルトシャー州チッペンハムの近くのレイ・ミルであるカミラ夫人だったのです。しかしカミラ夫人は皇太子のために何でもしようと決意していましたが、2人はダイアナ元妃の死によって引き裂かれようとしていました

切っても切れない絆

皇太子と長年の愛人であるカミラ夫人が再会したのは、事故の数ケ月前のことでした。1年前、チャールズとダイアナは離婚手続きを終え、カミラ自身もアンドリュー・パーカー・ボウルズと離婚したばかりでありました。

これは2人とも再び独身になり、密かにではありますが、自分の恋愛を自由に続けられることを味していました。そしてチャールズ皇太子は、カミラ夫人を今度こそ家族や一般の人々に紹介したいと考え、二人の関係を正式なものにする計画を練っていたところでもありました。

ダイアナ元妃が亡くなる二ヶ月前、チャールズ皇太子は新しい恋人の話題をウィリアムとハリーのふたりの王子に切り出していましたが、二人はどちらも沈黙していたといいます。

大きかったダイアナの存在

ジュナー氏いわく、ダイアナ妃の死後、チャールズ皇太子カミラ夫人がが苦水を飲まされたのは、それまで二人の関係を特徴づけていた 「秘匿な関係」 に戻らなければならなかった事実だといいます。

ようやく2人の関係を公にして、自由な自分たちらしい恋愛ができるかと思いきや、2人の関係は静かに続けることしかできなかったのです。一方、悲惨な事故死を遂げたダイアナは9月6日に埋葬され、皆に愛された”プリンセスダイアナ”として、その様子がテレビで何百万人もの人々に見られ語られることとなったのでした。

ふたりの関係が落ち着いたのは

チャールズ皇太子とカミラ夫人が結婚したのは、事態が落ち着いた2005年のことでした。

カミラ夫人は2003年にチャールズ皇太子の公邸であるクラレンス・ハウスに入り、2人は2005年に婚約を発表。同年4月9日、2人の結婚式は、 民事上の儀式として女王から承認され、ウィンザー城で祝福を受けました。

あまり目立たないようにしたいという希望からもエリザベス女王は式典に出席しませんでしたが、教会の祝福には出席しレセプションを主催しています。チャールズ皇太子や、カミラ夫人への思いや不仲がどうこうというよりは、英国国教会の会長として、王室の任務に忠実であり続けるために民事儀式に出席しないことを選んだといわれています。

参列者はウィリアム王子、ヘンリー王子、カミラ夫人の子供たちなど近親者が30数人で、彼らの見守る中、約20分で終了。ギルドホールの周囲には、二人を祝おうと2万人以上の人々が集まったといわれています。

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まとめ

一時はカミラ夫人への非難が続いたことから「王妃 (という正式な立場) になることはない」と言われていた彼女ですが、次第にその人柄が知られるようになり人気も高まってきており、チャールズ皇太子が国王になった場合には王妃になる可能性も示唆されています。

プリンセスから皇太子を奪った女性、重圧に潰されそうな皇太子を支え続けた伴侶、カミラ夫人への見方は大きく二つに分かれているのでした。なお、チャールズ皇太子が国王になった時の彼女の立ち位置については、こちら(イギリス王室の継承順位【チャールズ皇太子が国王となった場合に考えられる5つのシナリオ】)に詳しくまとめております。

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