イギリス君主の王位継承権をもつウィリアム王子の産みの母、ダイアナ妃。その美貌と快活さでダイアナ旋風を巻き起こしましたが、皇太子との不仲が続き離婚。悲劇のトンネル事故で最後を終えたダイアナ妃とはどんな人物だったのでしょうか、彼女の生涯をご紹介します。
- 寂しい思いをした子供時代を反面として、幸せな結婚を夢みていたダイアナ嬢
- 条件が整ったダイアナをマスコミは花嫁候補として華々しく取り上げた
- しかしそれは皇太子の気持ちを無視したお膳立てで、不幸を生み出しただけだった
ダイアナの幼少期と生い立ち
財産もあり、家柄も申し分ない上流階級にうまれたダイアナ。彼女の父エドワード・ジョニー・スペンサーは、スペンサー伯爵の8代目、王室と関係深い名門貴族でした。
両親は彼女が6歳のときに離婚しており、後継の男児が生まれないことから妻に暴力をふるい、母フランシスは愛人のもとへ走ります。残されたダイアナと3人の姉弟は母に捨てられた寂しさを噛み締めながら、ダイアナは貴族の令嬢がはいる寄宿学校へとはいりました。
運動神経も抜群で水泳やテニス、ダンスが得意の活発なタイプでしたが、母の一件が彼女におおきなダメージを与えており、ときには情緒不安定となり絶食しては食べ込んで吐く、という摂食障害に落ち入ることもありました。
幸せを夢見た少女時代
16歳で学校を中退した彼女はスイスの花嫁学校へ入りますが、ホームシックにかかり、わずか6ヶ月後にロンドンへと舞い戻ります。やがて曽祖母の遺産でロンドンに豪華なアパルトマンを購入。貴族の令嬢らしい気ままで優雅なシングルライフを送っていました。
幼稚園で週3回ほどはたらき料理教室やダンススクールに通いながら、整理整頓や掃除、アイロンがけなど家事が得意なダイアナは、両親を反面教師として未来の幸せな結婚を夢みていました。
チャールズ皇太子との出会い
一方チャールズ皇太子は、結婚に対する大きなプレッシャーに悩んでいました。将来の国王の結婚に失敗は許されない、付き合う女性はいても結婚には踏み切れなかったのです。結婚相手の条件は「上流階級の裕福で男性経験のない女性」、どこかにそんな娘はいないかと思い始めたとき現れたのがダイアナだったのです。
1980年の夏、王室のパーティでチャールズは、19歳のダイアナに出会います。3年前ダイアナの姉セーラと交際していたチャールズ皇太子、以前に会ったことはありましたが、年頃になり優しく慎ましいダイアナに惹かれていきました。ダイアナも目の前にあらわれたプリンスに興味をもち、姉の二の舞にはならぬよう慎重にことを進めていきました。
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祝福ムードに包まれるも
王室のロマンチックな暮らしを夢見ていたダイアナ妃。オペラ鑑賞やヨットレースなどチャールズの誘いに喜んで出かけ、自慢の水着スタイルや泳ぎを披露しては、皇太子の心を振り向かせようとしました。出会いから2ヶ月ほどしてマスコミが騒ぎ出します。
ダイアナの毅然とした態度が好印象を呼び、「もっともふさわしいお妃候補」「明るさ純真さを持ち合わせた素晴らしい女性」と各紙騒ぎ立て、ふたりの気持ちを差し置いて、世間はお祝いムードに包まれたのでした。
年上好きの皇太子にとって、14歳年下のダイアナには迷いがありました。しかし、「国民が好きになれる女性」という観点でもダイアナはぴったりだったのです。婚約発表から5ヶ月後、ロンドンのセント・ポール大聖堂で、ロイヤルウエディングが取り行われました。
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不倫の発覚
各国の元首や名族たち3,500人が愛彼、結婚式の模様は世界中にテレビ中継されました。海軍の礼服姿をまとった凛々しい皇太子と、天使のように美しいダイアナが黄金の馬車にのってパレードする姿は国民の心を掴んだのです。
こうしてダイアナはイギリス王室の一員となり、皇太子妃として注目される存在になりました。しかしダイアナ妃が、皇太子には他に思い人がいることに気づいたのは婚約して間も無くのことでした。エリザベス女王をはじめ、王室の人々への訴えもむなしく、ダイアナ妃は王室内で孤立していくこととなります。
いきりたつダイアナ妃にチャールズ皇太子の不満も増すばかりで、ふたりの仲はさらに険悪になっていきました。ダイアナ妃は摂食障害に苦しみ、不仲の末、ふたりは離婚することとなりました。
悲劇の事故
皇太子との離婚後、ダイアナ妃はパリで事故にあい亡くなってしまいます。彼女の乗ったリムジンはパパラッチに追われ、時速190キロで疾走、トンネル内のコンクリートの支柱に激突、一緒に乗っていた恋人ドディと運転手も即死でありました。
36歳という若さで亡くなった彼女の知らせに世界中の人が悲しみ、ケンジントン宮殿の外にはおびただしい数の献花とメッセージが山積みになったそうです。
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まとめ
「カミラ夫人と一緒になりたい」というチャールズ皇太子の気持ちを無視して、イギリス王室は「若くて男性経験もない若くて純朴な妃」を皇太子妃に据えようと奔走しました。ダイアナ妃は皇太子よりはるかに若く、若さ故、皇太子の重圧や気持ちをわかってあげることもできなかったのです。
幸せな結婚を夢見ていたダイアナ妃は、上流階級の出で、若く純朴で条件にぴったりだったために、何が本当かわからぬまま結婚の土台へと乗ることとなってしまいました。ダイアナ妃の事故は不幸な偶然でしたが、この「不幸な結婚」は周りの人間によってつくられたものだったといえるでしょう。
ダイアナ妃が亡くなり、数年後カミラ夫人と結婚した皇太子。最初から王室が、ふたりの仲を認めることができれば、この一連のスキャンダルと不幸な結末は生まれなかったのかもしれません。
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