世界でもっとも成功したアニメスタジオ、テーマパークを残した天才ウォルト・ディズニー。これは、死ぬまで夢を追い続けた弟ウォルトと、彼を支え続けた兄ロイとの生涯にわたる協力関係から生まれたものだったともいわれています。
1966年12月15日、65歳で亡くなったウォルトですが、彼の死をめぐってはミステリーが囁かれていました。その最たるものは、「ディズニーの遺体は、死んだ直後に冷凍保存されたのではないか」という噂でしょう。この記事では、噂とその真相についてせまっていきたいとおもいます。
ウォルトの最後
晩年、フロリダ州に、湿地帯の水を生かした新たなテーマパーク「ディズニー・ワールド」のアイデアと構想を着想していたウォルトと兄ロイ。ウォルト・ディズニーはこの計画に自身の最期の夢をかけていましたが、この時すでにウォルトの身体はウィルス性のがんに冒されていました。
医師からがんの宣告を受けたのが1966年10月のこと。それかわずか2ヶ月後の12月15日、ウォルトはディズニー・ワールドの完成をみることなく他界したのでした。5年後の1971年10月1日にいディズニー・ワールドは開園の日を迎えます。兄ロイは自分より先に亡くなったウォルトの死を慎み、その名称を「ウォルト・ディズニー・ワールド」に変更したのでした。
遺体は冷凍された?
あれほど人気が高かったウォルト・ディズニーですが、その葬儀は意外なほど静かであっけないものでありました。葬儀はウォルトの遺言通り、身内だけで慎ましやかに行われたのです。
ウォルトのガンが発覚してからというもの、その重い症状は社員や株主、ファンにも徹底的に伏せられ、口外することが禁じられており、これが彼の死をめぐる噂に拍車をかけることとなったのでした。中でも一番マスコミに取り上げれられたのが、「ディズニーの遺体は、液体窒素を入れた冷凍室で保存されている」というものでした。
噂を最初に流したのは、アメリカの大衆紙「ナショナル・スポットライト」だといわれていますが、世界各国のメディアが取り上げたことにより瞬く間に世界中へと広がったのでした。
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噂の元凶
ナショナルスポットライトの記者は、バーバンクのセント・ジョセフ病院に忍び込んだと証言しました。そこはディズニーのスタジオの真向かいで、末期の病気の治療を受けた場所でありました。その記者は従兵に変装して倉庫へと押し入ったところ、極低温の金属シリンダーに吊るされたウォルトを見た、というのです。
さらに1969年にはフランスの雑誌、さらに後にはアメリカの『ナショナルタトラー』が、「ウォルトは、1975年に解凍されるだろう」と予測して噂を広めていきました。
噂が広まった背景には、「せめてディズニー・ワールドが完成するまでは生きていて欲しい」といったファンの願いのようなものもあったといわれています。
噂の真相
実際はどうだったのかというと、ウォルトの遺体は液体窒素に漬けられることはなく、棺へと入れられディズニースタジオに近い、カリフォルニア州グレンデールのフォレストローンという墓地へと埋葬されていました。冷凍されたという噂は都市伝説であり、現実のものではなかったのでした。
なぜこのような噂が広まったのか、これは、ウォルトとの別れを惜しむ多くのファンが、彼の死や業績を神話化しようとする心理がはたらいていたのではないか、といわれています。また、ウォルトの「大凍結」 といった偽情報を流し続けていた元社員もいました。実際1972年に、ウォルトの娘ダイアンは、
私の父、ウォルト・ディズニーが凍結を望んでいたという事実は全くありません。父が冷凍保存装置について聞いたことがあるとも思えません。
という文章を残しています。
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まとめ
ウォルト・ディズニーは死後2日で火葬され、彼の遺灰が入った骨壷はカリフォルニア州グレンデールのフォレスト・ローン墓地にある一族の霊廟へと埋葬されました。それは妻のリリアン、娘たちとその夫と子供たちだけが出席する小規模なプライベートな礼拝だったといいます。
アメリカ人は、「ウォルトおじさん」が作った物語、歌、キャラクターを愛してやみませんでした。子供も大人も魔法の作品にワクワクし続けていたのです。それゆえに、人々は、彼が魔法のように生き返ることを空想したのではないでしょうか。しかし、悲しいかな、それはディズニーの夢の工場でこれまで夢想された中で最もありそうもない出来事だったのでした。