帝国の紋章として用いられる『双頭の鷲』や『ライオン』、これらにこめられた意味は一体なんなのか。この記事では、ハプスブルク家の紋章と込められた意味をまとめました。
ハプスブルク家の紋章
Googleで『ハプスブルク家 紋章』と検索すると物凄い数が出てきますが、一体どういうことなのか紐解いていきましょう。まず日本語版ウィキペディアにある紋章はこちら、金色の盾にはびこる赤いライオンが王冠をかぶっています。
そして英語版ウィキペディアのトップにある紋章がこちら、先ほどのものとはちがい金の盾の上に赤いライオンが存在、背中には孔雀の羽のようなものが見えます。ちなみに紋章は英語で『Coat of arms』といいます。
ハプスブルク家の紋章に共通するアイテム
Google検索で検索した結果がこちら、背景もデザインも色々あります。ただ共通するのは、『双頭の鷲』『ライオン』『盾』といったところでしょうか。というわけで、これらを中心にハプスブルク家が使ってきた紋章をみていきましょう。
双頭の鷲(そうとうのわし)
双頭の鷲は、頭を2つ持つ鷲の紋章です。
ハプスブルク家の紋章といえば、双頭の鷲。これは帝国権威の象徴として、さまざまな場所や絵画で見ることができます。左右に睨みをきかせる双頭の鷲は、古くから多くの国の紋章として用いられてきました。ビザンツ帝国 (東ローマ帝国) では、西洋と東洋にわたる支配を表し、そのビザンツ帝国の後継者を自負するロシアのロマノフ王朝にも受け継がれています。
単頭のライオン頭の鷲とは
これはメソポタミア神話に登場する怪物で、ライオンの頭を持つワシの姿を表しています。一説には、『双頭の鷲』と『単頭のライオン頭の鷲』は同じものを表していると考えられています。
古代ローマ皇帝は、力の象徴として鷲を選びました。鷲は『強さや勇気、遠眼や不死などの象徴』として使われ、空の王者や最高神の使者とも考えられていたからです。神話では、ギリシャ神話ではゼウス、ローマ神話ではユーピテル、ゲルマン部族ではオーディン、ユダヤ教やキリスト教の聖書では神、キリスト教芸術では福音記者ヨハネなどに関連して使われてきました。
「ローマ」の象徴であり、後継の象徴
『双頭の鷲』古くはローマ帝国の国章とされ、ヨーロッパを中心として関連した帝国、王国、貴族、都市、教会などでも取り入れられてきました。『ローマ帝国の国章』は、その後も帝国の権威の象徴として使われ続けました。
紋章における、ライオンの意味
ライオンは『百獣の王』であり、勇気・権力・王権の象徴として、古代から紋章の図柄によく使われてきました。紋章では主にチャージ(盾に描かれる図)やサポーター(盾を持つ者)に使われています。
神聖ローマ帝国の影響を受けた、ハプスブルク家紋章
ルドルフ1世がローマ皇帝に推挙されたところから頭角をあらわしたハプスブルク家。
安定するまでに150年かかったものの、16世紀から『ローマ皇帝』の座は、ほぼ継続的にハプスブルク王朝のなかで世襲されていきます。そこでハプスブルク皇帝は双頭の鷲を紋章に採用し、さらに彼らの土地の紋章を示す紋章をつけて、皇帝の称号とハプスブルク家の結びつきを強調しました。
オーストリアとリンク
著書 『継承の行 – ヨーロッパの王家の紋章』によりますと、オーストリア公国の紋章「青い盾の上に、赤い足を持つ5つの金の鷲」と、ヨーロッパ歴史的伝統であった「赤と白のバー」、ハプルブルク家の祖先が使っていた「金色の上に浮かび上がる、青い王冠をかぶった赤いライオン」はしばしばリンクしていたそうです。
ハプスブルク帝国崩壊後の、オーストリア・ハンガリー国章
オーストリア – ハンガリー帝国規格は1915年に変更され、双頭の鷲は取り除かれて単純な紋章だけが残されました。そして背景色が黄色から赤に変更され、緑が側面の三角形に追加されました。
ちょうどオーストリアが「ハプスブルク法」を通過させ、ハプスブルク家がすべての王朝的な特権を放棄させたのが1919年ですから、政府はできるだけハプスブルク家から離れようとしたのかもしれませんね。
なぜ多くのハプスブルク家に多くの紋章が存在するのか
こちらの写真はオーストリアのマリア・テレジア、ハプスブルク家の相続人、そして皇帝フランシス・イ・スティーブンの妻、オーストリアの大公妃とハンガリーの女王、そしてボヘミア 1740年 – 1780年を統治しました。たくさんの肩書きを持つ彼女は莫大な紋章を持っていたといいます。
ブラバント、リンブルフ、フランダース、ルクセンブルクとブルゴーニュ、時代によって少しずつ紋章が変わっていたり、ネットで検索するとものすごい量の紋章が出てくるのは、婚姻外交などによる領地拡大の影響かもしれません。
多数の紋章は、婚姻外交と領地拡大の証!?
ハプスブルク家は主に婚姻外交で領地を拡大してきた王朝、時にドイツ王、スペイン王、そして神聖ローマ皇帝、ブルゴーニュ公といった何重もの肩書きを持つ人物も存在しました。そのため時代によって変わってきたのかもしれないですね。
大空を雄々しく舞う鷲は、強くあることを願う王家にとって、紋章のかっこうのモチーフだったのでしょう。しかしその力強さとは裏腹に、ハプスブルク帝国は力を失っていき、帝国が終焉をむかえたとき、権威の象徴たる双頭の鷲もその役目を終えるのでした。
現在のオーストリア共和国の国章には頭がひとつの鷲が用いられています。その両脚に描かれた断ち切られた鎖は、第二次世界大戦時のナチスドイツからの解放を意味しているそうです。
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