- 一族の高貴な青い血を守るため、血族結婚を続けたスペインハプスブルク家
- 最後の国王カルロス2世には、近親婚の弊害が顕著にでていた
- 濃い血は彼の代を持って終焉、スペイン家も断絶を迎えることなった
600年以上世界に君臨し続けた巨大な王朝、ハプスブルク家。
世界に名を馳せた一方、一族の「高貴な青い血」を重んじた背景から近親交配をうみ、結果として5代で断絶という悲劇を生んだ王家でもあります。この記事では、近親婚の末に生まれた皇太子『呪いの子と呼ばれたカルロス2世』についてみていきましょう。
カルロス2世とは
(カルロス2世の肖像画)
スペインのカルロス2世は、スペインハプスブルク家最後の国王です。ちなみにカルロス2世は、かの有名な絵画青いドレスの王女 マルガリータの弟でもあります。
スペイン宮廷では度重なる近親婚の影響で生まれる子供は幼くして亡くなるとが多く、また度重なる出産により王妃が衰弱し次々と亡くなるなか、カルロス2世はまさに、断絶間近の王家にとっての希望でありました。
しかし奇跡の子と呼ばれたカルロス2世は、成長するにつれ『呪いの子』とささやかれるようになります。
研究文献に示唆されたこと
研究文献には、カルロス2世に関する生々しい記録が綴られています。
スペインのハプスブルク王カルロス2世は、巨大な奇形の頭をもち、それも著しく退化していました。彼の顎は非常に突出していて、2列の歯が噛み合うことはなく、彼の舌はとても大きくてほとんど話すこともできませんでした。
彼は知能にも同様に障害があり、彼の短い人生は、主に幼児期の延長でありました。カルロスの家族は「彼の寿命を伸ばすこと」を重要視し、教育についてはほとんど考えていませんでした。
5〜6歳まで乳を飲み、足が支えられずにうまく歩けず、何度も転びました。
彼の体はまるで子供のようで、教育は不十分さ、宮廷での堅苦しいエチケットに母親への依存。総じて「精神的に未熟な遅滞した過敏な君主」を生み出すに至ったのです。(参考文献:Inbreeding and the Downfall of the Spanish Hapsburgs)
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解剖医の見解
どういう経緯で近親婚が繰り返されていたのかは、こちらの記事に詳しく解説しておりますが、カルロス2世については様々な文献が残されています。
彼の検死を行った医師は、彼の身体についてこう述べました。
彼の脳は1滴の血液も含んでおらず、彼の心臓はコショウの大きさで、彼の肺は腐食していた。彼の腸は腐って壊疽(えそ)していた。そして彼は石炭のように真っ黒な一本の睾丸を持ち、頭は水でいっぱいだった。
病理学的に、この状態の人間が本当に生きられるのか (そもそもこんな状態がありえるのか)はわかわりませんが、彼の奇形に関する記述は多く残されており、これが「彼は生まれたときから死に頻していた」といわれる所以となっているのかもしれません。
スペイン家の断絶
(カルロス2世の肖像画)
カルロス2世の時点で「適切な判断が下せず、スペインとその近隣諸国を適切に支配することができない」ほどに、血族結婚の影響がでていたハプスブルク家。
しかし宮廷は彼に教育を施さず唯一の王であった彼を「少しでも生き長らせる」ために奔走しました。彼は予想に反して長生きをしますが、子を残すことはなく38歳でこの世を去りました。
自分たちを『神に選ばれた特別な人間とし、下々の血で汚されてはならない』として、狭い中で婚姻を繰り返した結果が、カルロス2世の誕生でした。
しかし皮肉にもカルロス2世は子供をつくれる状態ではなく、180年続いたスペインハプスブルク家は、カルロス2世の代で終焉を迎えることになったのです
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まとめ
一族の高貴な青い血を守るため、血族結婚を続けたスペインハプスブルク家。最後の国王カルロス2世には、近親婚の弊害が顕著にでていました。濃くなった血は彼の代を持って終焉し、スペイン家も断絶を迎えることなったのでした。
カルロス2世は自らを何かに呪われていると信じ込み、祈祷師を頼っていたそうですが、それはある意味正しく、数代続いた咎を一手に引き受け、呪いを止める役割を担っていたのかもしれません。
スペインハプスブルク家はここで断絶するわけですが、オーストリアハプスブルク家はその後も世界に君臨しつづけ、マリーアントワネットの母であり絶世の美女「女帝マリア・テレジア」など数々の優秀な名君を生み出していくのでした。
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