「陳は国家なり」の名言で知られるルイ14世により建設されたヴェルサイユ宮殿。フランスの権力と富の象徴であり、ヨーロッパ中の王族が「これこそが王の住まいだ」と憧れ、こぞってフランス文化を取り入れました。
そんな憧れの的とされた宮殿ですが、18世紀の衛生状態は見るに耐えないものだったといいます。この記事ではヴェルサイユ宮殿のリアルな生活をみていきます。
おどろきのトイレ事情
舞踏会では、自分用のトイレを持参
貴族を監視するため、という目的もあり、様々な人が住んでいたヴェルサイユ宮殿。王族や大貴族には水洗トイレが備わっていましたが、中小貴族や、家臣にはそんな大層なものはなく…。舞踏会にいたっては携帯トイレ的なものを持参して、中身は庭に放置するといったことも行われていました。更に「風呂は悪しきもの」という人が集まっているものですから、その匂いは想像を絶するものだったようです。
(1669年、アダム・フランソワ・ファン・デル・ミューレンによるヴェルサイユ宮殿の建築)
またヴェルサイユ宮殿の建設中 (増築含む) は、チリやホコリに溢れており苦労も多かったそうです。余談ですが、ヴェルサイユ宮殿自体人が溢れていろんな人が出入りしていたことから泥棒も多かったともいわれています。
パリ都市部も、ありえない悪臭に包まれていた
(ヴェルサイユ宮殿 1675年に庭に面した宮殿のファサード)
王侯貴族が住まうヴェルサイユ宮殿でさえそんな有様ですから、当時のパリ都市部では、鼻の曲がるような悪臭が立ち込めていました。当時の人でさえトイレの毒気にあてられて、本当に亡くなってしまった人がいるそうだから冗談ではないく法律が整備されて、ようやくどの建物にもトイレが設置されることになっても、構造が悪くて台所に隣接したり、排水がうまくいかずに中身が井戸に漏れてしまうこともあり、町中がトイレの匂いで溢れることもよくあることでした。
それ以外にも汲み取り人がこっそり下水に汚物を流したり、また外科医たちが盗んだ死体を解剖した後、バラバラにしてトイレへ投げ捨てるなんてこともあったものですから、清潔とは程遠い生活でありました。
ヴェルサイユ宮殿の衛生事情 (お風呂編)
湯殿の間はあれど、入浴は好まれず
ヴェルサイユ宮殿には『湯殿の間』という、大理石の塊から削り出した豪華な八角系の浴槽があります。底にはふたつの穴があり、そこから水を汲み上げることができました。もちろん「王の城」ですので、金と白の板張りだとか温水装置付きの浴室があった…のですが、当時の人々に今とからわぬ入浴習慣があったかというとそうではなく、むしろ敬遠されていました。
風呂が好まれなかったのは、
- 梅毒やペストの発生源とみなされていたこと
- 風紀が乱れるという理由で聖職者の反感があったこと、
- 医者が入浴すると頭は鈍く身体は脆弱になり、毒素が皮膚から浸透すると説いた
といった当時の衛生に対する誤解があったからです。
とにかくお風呂にはいらない
ヴェルサイユ宮殿には王族だけでなく、廷臣や貴族、また給仕者など多くの人が住んでおり、空気も荒んでましたので病気が蔓延するのも無理はありませんでした。ただお風呂に入らずそのままかというとそうでもなく、「ベッドから出たら手と顔を洗う」といった習慣はありました。
その後身体を「擦る」ような形で洗うのですが、それに濡れた布を使用した人もいれば、香水でこすり落とす人もいれば、最も安全と言われたアルコールを使用したひともいたそうです。ちなみにルイ14世は香水嫌いで、身体をふく際はアルコールに浸した布を好んだそうです。
王と王妃の衛生観念
風呂嫌いのルイ3世と、ルイ14世
ルイ3世は宮廷医から「2,3ヶ月に一度くらいは髪を櫛でとかしなさい」と忠告をうけており、ルイ14世にいたっても大の風呂嫌いでした。風呂には入らないけれど匂いは気になるわけで、対策としてシャツを1日5回も取り替えていたそうです。
草を取るには根を除くべしといいますか、目に見える部分を繕っても、その根本の部分の欠点や悪い部分を取り除かないと結局意味がないという、教訓にもみえますね。ただそれは医学が進歩したからいえることで、当時の常識からした「理にかなっていた」のでしょう。
客を浴槽でもてなした、マリー・アントワネット
マリー・アントワネットがフランスへ嫁いだ頃は、「入浴は悪しきもの」という風習は消え、入浴の効用も認められはじめていました。一方で、世話係からマリー・アントワネットの母マリア・テレジアへ「王妃様はひどく不潔で歯も磨いていないのです」という報告があったこともわかっており、いまほどは清潔ではなかったのかもしれません。
ただアントワネットは本当に入浴を好んだのか、専用のお風呂係がついており、薄物をまとって浴槽にはいったまま来客をもてなしたという記録ものこっています。
知っておきたい知識
17, 18世紀のヨーロッパは、英国以外のだれもがフランス文明に憧れた時代でした。どの国の王様もヴェルサイユ宮殿に似た宮殿をたてたがったし、どの国の貴婦人もフランス風ファッションに身を包みました。名門ハプスブルク家のマリア・テレジアでさえ、1765年の義理の娘宛の手紙に「ドイツ後でお便りいたします。わたくしはフランス語の方がらくなのですが」とフランスかぶれを匂わせていました。
ロシア女帝エリザヴェータも、フランス王妃の座に憧れましたが夢破れ、玉座についたときには宮殿をロココ風にするといった崇拝ぶり。衛生さは欠けていたかもしれないけれど、それでも他の国の王族たちが憧れたヴェルサイユ宮殿。色々な人の人生を見届けてきた豪華絢爛な宮殿、いちど本物を目にしてみたいものです。
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