ルネサンスの”奇才の画家”が巨大カンヴァスに描いた、超絶細密な受胎告知。パッと目を引く色鮮やかさ、そして繊細にディティールが描かれた圧巻の絵画です。右側に描かれている透明感溢れる美女が聖母マリア、その前にいるのが天使ガブリエル。まるでいまにも動き出しそうな不思議なこの絵にこめられたストーリーを、特徴とともにご紹介します。
受胎告知をわかりやすく解説
(受胎告知 レオナルド・ダ・ヴィンチ 製作年 1472年-1475年)
まず『クリヴェッリの聖エミディウスを伴う受胎告知』を存分にたのしむために、前知識として、受胎告知とはなにかに簡単にふれていきたいとおもいます。受胎告知とは『聖母マリアが、神の子イエスを身篭ったことを知らされるわずか数分の出来事を描いた作品』です。端的にいいますと、
- 大天使ガブリエルが、
- 聖母マリアの元をおとずれて
- イエス・キリストの誕生を予告する場面です。
( 受胎告知 画: ボッティチェッリ)
マリアは「私は男の人を知りませんのに」と困惑しますが、大天使ガブリエルは「聖霊の恵みによるものです」と答え、マリアが救世主を産むこと、そして「その子をイエスと名付けるように」と告げます。そしてマリアの「神の意志にしたがいます」との答えを耳にした大天使は、立ち去っていくのでした。
受胎告知の作成を依頼されるのは、画家の名誉
(ティントレット、1582年 – 1587年、サン・ロッコ同信会館収蔵)
受胎告知の制作は、画家にとってはとても名誉なことでした。なぜかというと、
- キリスト教を布教するための極めて重要なテーマであり、
- 協会の中でもとりわけ目を惹く場所に飾られるもの
だったからです。その絵画が評判になれば次のビジネスチャンスにも繋がるわけで、他の絵画とは重みがまったく違ったのですね。多くの芸術家が想像をふくらませ、様々なバリエーションで豊かな表現を生み出し、その時代、その時代の民衆の心をとらえてやまなかった、それが「受胎告知」なのです。
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クリヴェッリの聖エミディウスを伴う受胎告知
絵から読み取れるストーリー
(クリヴェッリの聖エミディウスを伴う受胎告知 ロンドンナショナルギャラリー)
絵画のタイトルは「聖エミディウスを伴う受胎告知」 。これはイタリアのアスコリ・プチェーノ市にある聖堂の祭壇画として描かれました。舞台は街の通り、右にみえる豪華な宮殿のような建物は聖母マリアの家です。緑の美しい衣装をまとったマリアの前に、神の使いである天使ガブリエル(一番左の美しい翼をもつ者)とエミディウス (アスコリに派遣されていたキリスト教の司教) が降りたちます。
(聖エミディウスを伴う受胎告知 左下部)
。またなんともオリエンタルな絨毯が、マリアの家の1階にある柱廊を飾っています。あけられた小さな空間を通して聖霊の鳩が、マリアへ「キリストを妊娠したこと」を告げています。そしてそのお告げを受け入れるマリアの透明感あふれる横顔、そんなマリアへ向かい神聖な光が差し込んでいます。
(クリヴェッリの聖エミディウスを伴う受胎告知 左中央部)
たくみに遠近法が用いられ、左奥には光あふれるアーチがみえます。背景には町中に佇む人々。階段の上で会話をする人たち、壁の影から望んでいる子供も描かれ、神秘的な事件というよりは、「日常的で世俗的なひとこま」といった雰囲気が全体を包んでいます。
「聖エミディウスを伴う受胎告知」が描かれた背景
(絵画の舞台アスコリ・ピチェーノ)
1482年イタリアの都市アスコリ・プチェーノは、ローマ教皇シクストゥス四世により自治権をあたえらえれました。祝いのために少なくとも都市から2人の画家へ「受胎告知」が依頼されたといわれています。つまりこの絵画はイタリアの都市に与えられた自治を祝い、教会に飾るために描かれた絵なのです。ひとつがこの記事で紹介しているクリヴェッリの受胎告知、
(ピエトロ・カヴァリーニ 受胎告知)
もう一つは1483年のピエトロ・カヴァリーニのものだといわれています。
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宗教画と、現代をうまく融合したクリヴェッリ
(クリヴェッリの聖エミディウスを伴う受胎告知下部)
絵画では都市が受け取った「喜び」を明確に思い起こすものとなっています。アスコリの守護人エミディウスが持つのはこの都市の模型ですね。
「受胎告知」と「アスコリの自治権獲得」の喜びを見事に融合させた、明確かつユニークな仕上がりとなっています。絵画はアスコリの協会に飾られ、1790年にはナポレオン政府の使者によりブレラに移されました。色々なプライベートコレクションの道を辿りましたが、現在は英国のナショナル・ギャラリーに保存されてます。
クリヴェッリの絵画に暗示されるもの
(クリヴェッリの聖エミディウスを伴う受胎告知 上部)
『天からの光』は聖霊によるマリアの受胎をあらわしています。(なんかUFOじゃないか説が出ているようですが違うのです) 左の閉じた通路とマリアの寝室のフラスコは、マリアが純潔であることを意味しています。
(クリヴェッリの聖エミディウスを伴う受胎告知 右下部)
豪華な翼を背中にもつ天使ガブリエルは、町の模型を携えたアスコリピチェノの守護聖人エミディウスと共に描かれています。
(クリヴェッリの聖エミディウスを伴う受胎告知 左中央部)
手前のりんごは禁断の実であり「人間の没落」を、キュウリは「復活と贖罪の約束」を暗示しています。右上部に見られるのはクジャクですが、「孔雀の肉は決して腐らない」と信じられていたので、不死を意味しているのでしょう。
(クリヴェッリの聖エミディウスを伴う受胎告知 右上部にかかれた孔雀)
純粋さの象徴燃えるろうそくは信仰の象徴。
(クリヴェッリの聖エミディウスを伴う受胎告知 一番左にあるのがロウソク)
格子を備えた窓は完全な遠近法をつかって描かれ、花瓶の苗木は、天使とマリアの間の理想的なコミュニケーションを演出しています。
(クリヴェッリの聖エミディウスを伴う受胎告知 マリアがお告げをうける図)
クリヴェッリのこだわり
(クリヴェッリの聖エミディウスを伴う受胎告知 アーチの下に描かれた人々)
クリヴェッリはこの絵画にみえる木材から布地、ローブや宝石、木から布までさまざまな素材を注意深く観察して描いたといいます。なんといった繊細な技術でしょうか。市民治安判事、僧侶、その他の通行人の服装まで繊細に描かれており、それぞれの個性が反映されています。
(クリヴェッリの聖エミディウスを伴う受胎告知 上部に描かれたハト)
青い空を背景にベランダから気持ちよさそうにたなびく絨毯、鳥かご、電柱にとまっている鳩など、日常の世界のディテールがたくさん詰め込まれています。
(聖エミディウスを伴う受胎告知 右上部 気持ちよさそうにたなびく絨毯)
この絵画のおもしろさ、それはまるでオペラのようにそれぞれが独立して個性があるのに、なぜか統一感を感じるところです。建物の外観、内装の装飾、調度品などが緻密に描かれ、様々な要素が描き込まれているのに不思議な統一感があるのが、この絵のすごいところです。
画家クレヴェッリがこめた、たくみな目線誘導
(ピエトロ・カヴァリーニ 受胎告知 全体図)
マリアへ向かって伸びる天からの光は建物を通り抜け、マリアを通って絵の右下へつながります。通路のタイルの線を見ていると、今度は目線は奥の方へ、そしてアーチの上にいる人物へ視線が移動していきます。じつに巧みな技術です。サイズは圧巻の207×146 cm (脅威の2m越え)」、「受胎告知という宗教画」をイタリアの都市を舞台に描き、市民の生活を繊細に描きこんだ、クレヴェッリの丁寧な仕事ぶりがうかがえます。
聖母マリアは神か、人間か
(クレヴェッリの受胎告知、1482年)
クリヴェッリは他にも聖母マリアの絵を描いています。(どのマリアも透明感があり、美しいことこの上ない… )
キリスト教が信仰の対象としているのは”神 (天地宇宙の創造者にして絶対的な支配者)”です。人間と契約を結び救いを約束しますが、契約に背くものには厳しい捌きをくだします。イエスが生まれる前、人間は神の命に背き罪をおかしました。この原罪概念の前提となっているのは、いわゆるアダムとイヴが禁断の身を口にしたあの物語ですね。
( ヤンブリューゲルエルダーとピーターポールルーベンスによる、アダムとイブの罪の描写 )
そこで神は、罪に満ちた人間を救済するために”万人に代わって罪を引き受ける神の子「イエス」を地上に遣わしたといわれています。その神イエスを受胎したのが聖母マリアです。一般的にキリストは新人両性 (神であると同時に人間になった)、そしてマリアは「神の母」という聖なる存在、特別な人間であるとして信仰の対象となってきました。
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あとがきにかえて
(ロンドンナショナルギャラリー)
ちなみに今回ご紹介した「聖エミディウスを伴う受胎告知」は、古典主義であれど気品のあるフォルムは精緻を極め、いまやロンドン・ナショナルギャラリーを彩る作品のひとつとなっています。
何百前に存在し多くの人々の目に触れてきたクリヴェッリの繊細で技巧に溢れる絵画。科学が進化するにつれて絵画の宗教色は弱まってきましたが、「受胎告知」がほとんど描かれなくなった現代でも、そのテーマは広く知れ渡っています。美術館に大切に飾られているものも多く、大切に残されてきたからです。ただしそれは結果論であって、美術館のために描かれたのではないのです。そもそもは人々を信仰に導くため、神の栄光をたたえるために描かれたもの、人々は信仰の年に包まれて、絵の前で心からの祈りを捧げてきた、そのことにも思いをはせてみたいものです。
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