亡くなる最期まで描きつづけた光と影の魔術師、巨匠レンブラント。途中から注文が減ったのは「顧客の要望通り」ではなく、彼が「芸術の極み」を目指しつづけたからでした。しかし誇り高き信念がなければ、彼の光がここまで輝くことはなかったのかもしれません。この記事では、この誇り高き画家の生涯をみていきたいとおもいます。
類稀なる才能
(1629年レンブラントの肖像画)
オランダ片田舎の「粉屋の息子」として生まれたレンブラント。あくまで庶民階級の出身ではありましたが、比較的裕福な家にうまれ、学業に秀でていたこともあり、父は期待をしてレンブラントを「ラテン語学校」に通わせ「大学」へも進学させます。しかしレンブラントの興味はデッサンと絵画ばかり。やむなく父は大学を退学させ、レンブラントをライデン市内の画家スワーネルビュルフに預けることにしたのです。
2人の師
(画:レンブラント 「トゥルプ博士の解剖学講義」)
レンブラントはスワーネルビュルフのもとで3年間修行し、デッサンに解剖学、遠近法を学びます。そして瞬く間にいろんなものを吸収していきました。いろんなものを注意深く観察し、また自画像を多く描き、人間の表情を徹底的に学び込んだのもこの時期です。そして最終的に、イタリア留学経験があり歴史画でトップといわれていた超一流のピーテル・ラストマンに弟子入りしたのでした。こちらはレンブラントの師となったラストマンの絵画です。
(受胎告知(1618年)画:師匠 ピーテル・ラストマン)
モデルは自分と身の回りの人々
(レンブラントの妻となるサスキナの肖像画)
レンブラントのテーマは「歴史画に登場させる人物をいかに表情豊かに描くか」でした。そこで絵に登場させる人物たちのデッサンの勉強のために、モデルとしたのは身の回りの人々、そして家族と自分でした。
- 羽飾りの帽子、毛皮の襟巻きにビロードの服を着た父は威厳のある姿に
- 母はたくましい手で杖の肢を握り、自らの身体を支えている老婆に
- 妹はうつろな表情で遠くを見つめる金髪の美しい娘に
(毛皮の帽子をかぶった老人の胸像、芸術家の父 1630 画:レンブラント)
街中にでれば、酔っ払いに浮浪者、旅芸人や音楽家たちを。郊外では麦の刈り入れをする人々や、乳搾りをする女性たち。羊の群れをおう牧童など、様々なものを自分のなかに取り込んでいきました。もちろんその中でも、いちばんのモデルは融通のきく自分自身でした。だからレンブラントはあれほど多くの自画像を描いたのです。
「ぼくは人間らしい感情を描きたい」
(22歳のレンブラント 自分の肖像画 1628年)
色々な技法繰り返し試したレンブラント。絵筆をまわすことにより、髪の毛のくるくるを表現したりと茶目っ気のある実験もいろいろとしていたようです。また光と影をうまくいれこむことで、『その人物の気持ちを絵画で伝える方法』をずっと考えていました。
(レンブラント 窓際の自画像描画(彫刻、1648)
レンブラントはしわだらけの手やたるんだ腹、汚れた手足や衣服までを克明に描写したといいます。日々の生活に明け暮れる人たち、彼らの生身の姿をありのままに写生したかったといいます。版画のエッチング技法を一生懸命勉強してマスターし、エッチングであらたに人間の表情を研究することに時間を費やしました。
若くして手にした栄光、ありあまる富と名声
注文が殺到し、レンブラントはさらに上流階級へ
(レンブラントの妻 サスキア モデルもつとめた)
1634年レンブラントは、上流階級の娘 サスキアと結婚します。サスキアは早くに両親を亡くしており、12歳にして孤児となり姉とその夫のもとで育ちました。彼女は両親から多くの遺産を継いでおり、多額の持参金をもってレンブラントのもとに嫁ぎました。まもなくして2人の元に、愛息子ティトゥスがうまれます。
(机の前のティトゥス 画:レンブラント まな息子が物思いにふける様子)
ふさわしい家に住みたい、と豪邸を購入
(ベルベットベレー帽と毛皮のマントル 1634の自画像)
成功者はどうして豪邸に住みたがるのでしょうか。レンブラントは画業を通じ経済的成功を収めていたこともあり、「成功者にふさわしい家へ」と豪邸を購入しました。さらに世界中の珍品収集をはじめ、2階はまたたくまに武器や骨董品で溢れたといいます。
最愛の妻、サスキアの死をかわきりに
レンブラントの絵のモデルでもあったサスキア
(横顔のサスキア 画:レンブラント カッセル美術館所蔵)
近寄りがたいほどに優雅な雰囲気をかもしだすサスキア。花でかざられた冠をかぶれば、サスキアはたちまち美しい女神に変身しました。レンブラントの歴史画にはサスキアをモデルにした女性がたくさん登場します。
(フローラとしてのサスキア 画:レンブラント1635年 ロンドン・ナショナルギャラリー所蔵)
しかし非情にも、サスキアは愛する我が子ティトゥスをのこして29歳で帰らぬ人となります。死因は結核だといわれています。それでも彼女は夫の金遣いを心配し、しっかりと遺書をのこしていました。
妻が亡くなる前に残した遺書
わたしが持っているすべての遺産は、息子ティトゥスにゆずります。息子が結婚するまでは息子の分も夫 (レンブラント) の自由になりますが、彼が再婚した場合はこの限りではありません (画像:レンブラント画のサスキア)
と。かんたんにいうと「再婚した場合、わたしの財産は使えませんよ」ということです。実に懸命な判断だとおもいますが、これが大波乱を巻起こすことを彼女は知っていたのでしょうか。純中満帆にみえた天才画家レンブラントの人生に影がチラつき始めます。ここから先は、【信念を貫き自己破産】巨匠レンブラントの光にひそむ影 (後編) につづきます。
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