カルロス2世の検死と解剖所見【スペインハプスブルク家にみえる黒い歴史】

呪われた王室
この記事のポイント
1. カルロス2世は、近親婚の影響で異常な身体的・精神的障害を抱えていた
2. 支配できない国王の代わりに、政治は母や廷臣が代行していた
3. 遺体解剖で異常な頭部や心臓などが確認され、王朝の終焉を象徴した

これほど強大な王家はなかったかもしれない。そう言わしめたのはヨーロッパを主に君臨したハプスブルク家。

この一族から、ドイツ、スペイン、そしてもちろんオーストリアなどの広大な領土を支配する王が輩出され、16世紀には、国土と植民地はアメリカ大陸にまで広がっていたといいます。

しかしスペインハプスブルク家は、輝かしい栄光の一方で悍ましい歴史を持っている一族でもあります。この記事では、この黒い歴史を閉じた、最後の皇帝カルロス2世を解剖所見とあわせてみていきたいとおもいます。

奇跡の子

輝かしい栄光を残しながら僅か5代で終焉を迎えた、スペインハプスブルク家。その最後の統治者「カルロス2世」は、断絶間近の王家に生まれたまさに奇跡の子でありました。しかし、彼は繰り返された近親婚の影響をつよく受けた人物でもあったのです。

見た目にわかる部分だけでなく、また重度の知的障害も持っていたといわれています。結局カルロス2世は子をなすことができず、スペイン家の方は彼の代で断絶することとなりました。

国王の容姿

様々な研究がなされ、カルロス2世について多くの文献が作られました。際立って細長い頭蓋骨と突き出したような「顎」を持った姿は、控えめにいっても魅力的ではなく、それは嫁いできた妻が怯えるほどだったといいます。

カルロス2世は背が低く足が不自由で、てんかんを患っており、老人性で、35歳に至るまでに完全に禿げていた。

カルロス2世の「精神的」および「身体的な状態」は、何十年にもわたって王室が繰り返してきた近親交配の結果である。

奇形は悪魔のしわざ?

(カルロス2世の肖像画)

ハプルブスク家特有の顎と受け口は、カルロス2世の肖像画にも顕著にみることができます。

彼にみられた数々の奇形は「悪の力によるもの」だといわれました。次々と男児が夭逝していた王室において待ち焦がれた世継ぎ。

全ての人が「希望の子」と読んだ彼は、のちに「呪われた子」と呼ばれるようになりました。

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教育を諦めた宮廷

衝撃的なのは、当時のスペイン宮廷に関する記録でしょう。

年齢を重ねても一向に知能が成長しないカルロス2世への教育を、宮廷は諦めたのです。せめて「世継ぎ」を残せればと、「とにかく彼の命を存えさせる」ために奔走するようになりました。

そのためカルロス2世は読み書きもできず、また王室にふさわしい教育を受けることもできませんでした。政治については、母マリアナや廷臣が代わりを務めました。

解剖と検死結果

カルロス2世(チャールズ5世)の家系図解剖について書かれた書籍「スペイン王の病気』

王の遺体を解剖した医師は、以下のように検死結果を述べたといいます。

彼の脳は1滴の血液も含んでおらず、彼の心臓はコショウの大きさで、彼の肺は腐食していた。彼の腸は腐って壊疽(えそ)していた。

そして彼は石炭のように真っ黒な一本の睾丸を持ち、頭は水でいっぱいだった。

病理医学的に、この状態の人間が本当に生きられるのか (そもそもこんな状態がありえるのか)はわかりませんが、彼の奇形に関する記述は多く残されており、これが「彼は生まれたときから死に頻していた」といわれる所以となっているのかもしれません。

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まとめ

予想に反して、38歳まで生きながらえたカルロス2世。ただ解剖初見や同時代の証言にみえるように、身体には多くの疾患を抱えて、苦しむことも多い人生を送っていたといいます。

性的にも不能であったため、子をなすことはできず、スペインハプスブルク家は5代目にして断絶という運命を辿りました。

検死所見が本物かどうかはわからないともいわれていますが、『カルロス2世という存在』がすでに衰退しかけていたスペイン王国に黒い歴史を彩ったことは事実であるといわれています。

彼の治世時代にスペイン・ハプスブルク家の勢力は急速に衰えていきましたが、終焉をもたらした根本的な原因は、積み重ねられた近親交配がおおいに関係しています。

これは、「偉大な文明や帝国」をほんとに維持したいのであれば、その場しのぎではなく、「偉大さを発揮できる君主」を常に輩出しなければならない、という教訓でもあるのかもしれません。

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