『アフガニスタンに水を運んだ日本人医師が殺された』これほど悲しいニュースがあるでしょうか。渡航禁止令が出るほどの危険な地、アフガニスタンで人の命を救い、井戸をつくり、用水路を建設し砂漠の地に緑をもたらした中村哲医師が、2019年12月4日銃殺されました。
一説によると、水の利権争いに巻き込まれたといった情報もあり、もしそれが本当だったら遣る瀬無い限りです。各国でも「医師以上の人道主義者、中村哲」と大きく報道されたこの事件。海外の反応をみながら、中村医師の功績と彼が残した言葉をみていきたいとおもいます。
ニューヨークタイムスが報道した、中村哲医師
アフガニスタン人に水を運んだ日本人医師が殺された
2019年12月4日、アフガニスタン東部 ジャララバード。中村哲医師は、車で移動中に銃撃されたとみられています。所属職員5人が死亡し、中村医師も致命傷を負いました。同州知事の広報担当者によりますと、中村医師はナンガルハール病院で手術を受けました。
とても重症だったために、バグラム米軍基地の医療施設へ移動することになったのですが、地元の空港に向かう途中で亡くなったそうです。享年73歳、あまりに唐突で、アフガニスタンだけでなく多くの人々が言葉を失い、悲しみに打ちひしがれました。
氏がアフガニスタンで活動するに至った経緯
中村晢医師は1984年に、団体のボランティアとして、ハンセン病患者と、戦争から逃れたアフガン難民を治療するために中東へ入りました。1991年になると、氏はアフガニスタンのナンガハール州に医療を提供するために3つの診療所を開設します。しかし病人が減ることはありませんでした。
というのも、砂漠地帯であったアフガニスタンには綺麗な水がなく、それにより病気になる人々が絶えなかったのです。また水がないために農作物が育たず、結果として多くの人が栄養失調で衰弱していきます。それを目の当たりにした中村医師は「100の診療所より、1本の用水路を」と、2003年からアフガン東部で用水路の建設に着手したのでした。
「100の診療所より1本の用水路を」
中村氏は、2003年からアフガン東部で用水路の建設をはじめ、これまでに約27キロが開通しました。(2019年12月時点)。用水路は福岡市の面積のほぼ半分に当たる1万6500ヘクタールを潤し、砂漠に緑地を回復させました。
現在では、数えきれないほど多くの人々の暮らしを支えています。「医者は患者を1人ずつしか治療できませんが、用水路は村全体を助けることになります」というのが中村氏の見解でした。
その他、ニューヨークタイムスではないで、他の報道でアフガニスタンの方がこう述べていました。
貧しいから暴動が起こるんです。
用水路の建設に農業、やることがあればそんなことを考えている暇はありません。
それに水に食べ物があれば私たちはここに住めます。
難民にならなくてもすむのです。
水で救われるのは命だけではなく、彼らの暮らしそのものでもあったのですね。中村医師は自ら学んで、用水路の建設に着手。ショベルカーも運転し、地元民も全員協力で作り上げていったそうです。
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アフガニスタンの地元民と各国の反応
地元民に溶け込み、家族のように愛された中村医師
中村哲医師は、食事にしても地元の人と同じ物を、同じ食べ方で食べていたといいます。アフガニスタンではカカ・ムラド(ナカムラのおじさん) と呼ばれ敬愛されていました。「私は復活した村を見るのが大好きです」と語ったという中村医師。微笑む氏のうしろには、青々とした緑が茂っています。
彼は私たちに生命を見せてくれました。
彼は私たちの土地の建設を手伝い、なにより私たちのリーダーでした。
いちばん近い家族を殺されてしまったような感覚です。
海外 各国の人々の反応
アフガニスタンの大統領
アフガニスタンのアシュラフ・ガニ大統領は、10月に中村氏へ名誉市民権を授与していました。アフガニスタンで飲料水・灌漑用の井戸事業を始め、農村復興のため大がかりな水利事業に携わってきた中村医師。ガニ大統領は、中村氏が執筆した灌漑方式のテキストを読み「探し求めていた答えをやっと見つけた。これはアフガン復興のカギだ」と語ったといいます。
事件後は「最大の悲しみと悲しみ」を表明しました。式典では、ガニ大統領自ら軍兵士らと並んでアフガン国旗に覆われた中村氏の棺を担ぎ、多くの功績を残した中村氏を偲みました。
安倍総理大臣も記者会見に
日本の安倍(元) 総理もマスコミの前に立ち、記者団に対しこう述べました。
中村先生は、医師として医療分野において、また、灌漑事業等において、アフガンで大変な貢献をしてこられました。
なかなか危険で厳しい地域にあって、本当に命懸けで様々な業績を挙げられ、アフガンの人々からも大変な感謝を受けていたというふうに、我々も知っておりますが。しかし、今回このような形で、お亡くなりになられたことは本当にショックですし、心から御冥福をお祈りしたいと思います。
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国連アフガニスタン支援ミッション
国連アフガニスタン支援ミッションは、こうツイートしました。
「ジャララバードで本日、尊敬される日本の援助活動家、中村哲医師が殺害されたことを非難し、強い嫌悪感を表明する。アフガニスタンで最も弱い立場にある人々を助けることに人生の大半を捧げた男性に対する無意味な暴力行為である」
ワシントンのコメンテーター
ワシントン在住のコメンテーターは、こうツイートしました。
「いつもですが、アフガニスタンは失敗しましたね。今度は、偉大なる英雄を守れなかった。中村哲医師への脅威は予想外のものではない、(アフガニスタンの) ガニ大統領は、国の貴重な資産を守ることに失敗したのです。中村氏の死はすべてのアフガニスタン人にとって悲劇であり、大統領はこれに答えなければなりません」
現地でともに活動した医師が語る姿
もちろん海外だけでなく、このニュースは日本でも多く取り上げられました。2019年2月29日には、番組世界で一番受けたい授業にて、中村氏の生き方が特集されていました。
情勢悪化、アメリカ同時多発テロでもひるまず
井戸掘りは、最初の1年で600本にもなったといいます。ようやく綺麗な水を住民が飲める、なにより救える命が増えた。ところが2001年9月11日にあの忌まわしい『アメリカ同時多発テロ』が起こりました。そして首謀者であるテロリストを匿ったとして、タリバン政権下のアフガニスタンが空爆の標的になったのです。
戦争が始まると干ばつに苦しむ農村地帯の人々は、仕事や食べ物を求め首都カブールに移動しました。それを知った中村医師は「難民を出してはならない」と日本での募金活動をはじめました。講演をひらきアフガニスタンの困窮を訴え、1か月で2億円の寄付を集めた中村医師は、直ちに戻り食糧支援を開始。1家族当たり3か月分の食料が配布され、最終的には27万人の命をつなぐことができたといいます。
現在もアフガニスタンには外務省から、 渡航禁止令が出ています。(レベル4で国全体が真っ赤ですね、すぐに退避…なかなかみないほど危険な状況にあるということです) 目黒先生いわく「現地にはぜったいにいかないこと」PMSは今後も活動を続けていきたいという意志を示しており、力になりたいという思いがあるならばぜひ募金を..とおっしゃっていました。
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中村哲さんの長男による健さんの言葉
さいごに、告別式にて中村哲医師の長男健さんが語った言葉が、『中村医師の人となり、志を感じるもの』でしたので一部抜粋して、ここに引用させていただきます。
生前、父は山、川、植物、昆虫、動物をこの上なく愛する人でした。
家ではいつも庭の手入れをしていました。
私が子供の頃はよく一緒に山登りに連れて行ってもらいました。
最近も、父とはよく一緒に山に登っていました。
遊びに行くときは「できればみんなで行こうよ」、「みんなで行った方が楽しいよ」ということを言っていました。
みんなと楽しみたいという考えの人でした。
また父がアフガニスタンへ旅立つとき、私と2人きりで話す場面ではいつも「お母さんをよろしく」「家をたのんだ」「まあ何でも一生懸命やったらいいよ」と言っていました。
その言葉に、父の家族への気遣い・思いを感じていました。
今、思い返すと、父自身も余裕がない時もきっとあったはずです。
いつも頭のどこかで家族のことを思ってくれている父でした。
父の、自分のことよりも人を思う性格・どんなときも本質をみるという考えから出ていた言葉だったと思います。
その言葉どおり背中でみせてくれていました。
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あとがきにかえて
用水路を作る案には、日本人スタッフも最初は大反対したそうです。しかし中村医師は「議論はいらない。実行あるのみ!」と、自ら学びどんどん実行していきました。用水路建設でこだわったのは、
- 特別な材料は使わない
- 現地の人の手で維持や管理ができること
中村医師自身も重機を操縦したり、できることは何でもやったそうです。できるかどうか、ではなくやってみなくてはわからない。
そんな強い気持ちが砂漠の地に水をひき、緑を芽吹かせ、昆虫など生命が集まるまでに至ったのです。本当に嬉しそうな中村医師の笑顔が、頭に焼き付いています。願わくは中村哲氏の医師を、この鮮やかな緑が後世に長く引き継がれ、どうか人々の命を守っていきますように。心よりご冥福をお祈りいたします。
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- 【アフガンでの中村哲医師 銃殺事件】海外の反応 | 速報内容まとめ
- 【韓国への輸出規制に対する海外の反応】英字新聞での報道内容まとめ
この記事を書くために参考とした記事
- https://www.nytimes.com/2019/12/04/world/asia/afghanistan-tetsu-nakamura-dead.html
- https://en.wikipedia.org/wiki/Tetsu_Nakamura
- https://www.mepanews.com/japon-yardim-gonullusu-nakamura-afganistanda-olduruldu-31791h.htm
- https://www.ntv.co.jp/sekaju/articles/428dldg46bcxm7saawp.html