「偉大な音楽家」として今でも人々の心を癒やし続ける曲を作り続けた天才モーツァルト。しかし、晩年は借金と病気に苦しみ、亡くなったあとは共同墓地へ埋葬されるという、肖像画からは想像できない人生の最期を迎えていたことはご存知でしょうか。
この記事では、今更聞けないモーツァルトの生い立ちと最後をおっていきます。
- 6歳のときにはメヌエットを完成させ、宮廷でも見事な演奏をみせた神童
- 斬新な曲やオペラは当時の宮廷では重宝されず、苦しい暮らしを強いられた
- 享年35歳、モーツァルトの死因は、度重なる感染症の結果であった
アマデウス・モーツァルトとは
いまや偉大なる音楽家として知られているモーツァルト。
1756年にうまれ、6歳のときにはすでにメヌエットを完成させ、シェーンブルン宮殿で演奏し皇帝らを驚かせた神童でありました。しかし『神童』ときくと、すべてが順調にすすんできたのかと思いきやまるで正反対。彼の作る曲は斬新で目新しすぎて、宮廷音楽家の地位を得るのには苦労したのです。
決して豊かではない生活は、なんとか後援者の依頼でおぎなっていました。
短い治世のなかでいちどだけ、ウィーン宮廷で宮廷作曲家としての地位についたこともありました。しかし晩年は借金と病気に苦しみ、亡くなったあとは共同墓地へ埋葬されるという、肖像画からは想像できない人生の最期でありました。
モーツアァトの生い立ち
1756年1月27日、ザルツブルクで誕生したモーツァルト。
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斬新すぎて受け入れられず
中流階級のパトロンの存在により、生計をたてつつ、モーツァルトはウィーン宮廷だけでなく、フィレンツェ、ナポリにパリなど、マリア・テレジアの子供の嫁ぎ先でも演奏をしました。
しかし、官職を得ることはできませんでした。
というのも、モーツァルトの作る曲はどれも斬新であり、宮廷は安定感のあるサリエリを重宝したのです。モーツァルトはフェルディナント・カール大公の結婚を祝うオペラを作曲し、若き大公を大いに喜ばせましたが、ここでも官職を得ることはできませんでした。
モーツァルトは確かに『天才』と呼ばれるにふさわしい逸脱した作品を生み出しましたが波があり、不評を被ることもありました。当時の複雑な情勢も相まって、オーストリア宮廷は国民を刺激することを極端に恐れていました。モーツァルトの斬新すぎる音楽や、オペラは時代に受け入れられなかったのです。
モーツァルトの最後
モーツァルトの晩年は収入が減り、借金を抱えていました。
それはモーツァルト自身の品行が悪く、浪費癖に加えて、高給な仕事に恵まれなかったことが大きな原因といわれています。
モーツァルトの才能に恐れをなした宮廷楽長アントニオ・サリエリらのイタリアの音楽貴族達が裏で彼を妨害した、ともいわれていますが、実際サリエリは社会的・経済的にも満たされておりそれは考えにくい、という研究結果もでています。
(サリエリ 参考:【モーツアルトとサリエリ】ふたりの天才には本当に亀裂があったのか)
病弱だったモーツァルト、最後は発疹を伴う高熱に苦しみ35歳の若さで亡くなりました。遺体は音楽も花もなく、墓石もない共同墓地へと埋葬されました。
モーツァルトの死因
- 巡業中に様々な感染症 (とくにリウマチ熱) をひろってしまった
- 幾度も繰り返したリウマチ熱は心臓の弁を弱らせ、
- 結果的にモーツァルトの身体を蝕んでいくことになってしまった、
といった説が有力です。
一方、プラハはモーツァルトの死を惜しみ、数日後、ボヘミア国立劇場のオーケストラが聖ニコラウス教会で追悼式を行いました。市内は30分以上鐘の音で満たされ、4,000人以上の会葬者が教会に押し寄せたそうです。
官職や立派な地位にはつけなくとも、たしかに彼は市民に愛されていたのですね。
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まとめ
遺体は、共同墓穴に埋葬されたとされていますが、この簡素でそっけない埋葬は、晩年のモーツァルトが後援者たちから軽視されていたことの表れだと考えられています。
モーツァルトの死の100周年を祝うために、その記念碑はウィーン中央墓地に移動され、ベートーベンやシューベルトなどをフィーチャーした音楽家の集まる墓地へと移動されました。つまり、この「モーツァルトの墓とされているもの」は、単なる記念碑であり、実際のお墓ではないのですね。
モーツァルトの斬新で個性的な音楽は、先を行き過ぎていたのか、無邪気さが災いをしたのか、ときに物議をかもすこともありました。時代は革命に湧き、皇帝も民間の反応に過敏になっていたときです。モーツァルトという天才の開花を阻んだのはご時世的なものもあったのかもしれません。
それでも、天から降ってくる音楽をひたすら地上におろし続けたモーツァルト。うまくいかない人生こそが、音色をさらに美しくさせていたのでしょうか。どちらにしても、彼が短い生涯の中で作った音楽は、今も私たちの心を時に癒やし慰め、大きな影響を与え続けているのでした。
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