アン・ブーリンは、彼女の死から500年近く経った今でも、心に響く印象を残した歴史上の女性の一人です。イングランド王ヘンリー8世と関係を持った彼女はのちに英国女王となりますが、無罪のままに断頭台にあげられました。歴史的に潔白とされている悲劇の王妃アン・ブーリン。この記事ではこの魅力的で野心的な女性について、あまり知られていない7つの物語をご紹介します。
アン・ブーリンをより知るための7つのこと
① アン・ブーリンの出自は、けして高くはなかった
アン・ブーリンの起源は不明ですが、彼女の祖先は農民でした(ただし、多くの農民よりも裕福です)。彼女の曾祖父は帽子屋で立派な仕事をして一族を反映させましたが、貴族に近いものは何もありませんでした。
② 優れた曾祖父の存在
歴史的にイギリスは社会階級があまりにも硬直していて、上へいく余地は殆どありませんでした。しかし、アン・ブーリンの曽祖父は農民出身でありながらロンドン市長を務めました。また彼は男爵夫人の娘と結婚し、英国貴族の仲間入りをして、ノーフォークにある荘園を購入したのです。歴史に稀に見る大出世でありました。
③ 彼女はいとこと結婚することになっていた
アンの遠いいとこである、ジェームズ・バトラーはアイルランドの伯爵でありました。高貴な家名を保つために、アンの両親は彼らが結婚するよう手配したのです。しかし結婚の交渉はうまくいかず、結果としてアンもジェームズもヘンリー8世の宮廷にはいることになりました。
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④ アンは、ヘンリーパーシーとも婚約をしていた
アン・ブーリンはノーサンバーランド伯ヘンリー・パーシーとも婚約していました。ヘンリーにはキャサリン (エリザベス) という女性がいたのですが、彼女が見ぬ間に2人は出会い恋に落ちました。イングランド王ヘンリー8世が彼女に興味をもちはじめたとき、アンはまだヘンリー・パーシーを愛していたそうです。「自分になびかない女性」に刺激を受けた王は、そんなアンを追いかけるようになっていきます。
⑤ 多くの男を虜にした
アンが初めて出廷したとき、彼女の美しさと魅力に魅了された男性がかなりの数いたといわれています。彼女の伝記作家によると、彼女は宮廷的な恋愛の技術にかなり熟練していました。軽薄なだけでなく、経験豊富なミュージシャンであり博打化でもあり、周囲の男性から賞賛を得ていたのです。
⑥ 彼女はユーモアを持っていた
人々が最初の王妃であるキャサリン・オブ・アラゴンを支持して、アンが王妃になることに抗議したとき、彼女は「好きなだけ文句を言えばいい、これが現実です」と言い放ちました。傲慢な発言というよりは、彼女が一生携えてきたユーモアのセンスの表れだったといわれています。
⑦ アン・ブーリンは寛大な面を持ち合わせていた
王家の宝庫を自由に利用することができたアンですが、自分のキリスト教信仰の表れだと信じ慈善寄付をつづけていました。彼女は年間15,000ポンドもの金を慈善団体に寄付しました。これは16世紀には破格の額です。その額は誇張されているかもしれませんが、彼女は他の慈善活動にも関わっていました。
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まとめ
当時の究極のスキャンダルは、未婚の女性が妊娠することでした。アンはまさにそれで、結果として王妃の座に一度はついたわけですが、娘エリザベス1世はそういった背景もあり王位につくまでに相当に時間がかかりました。小説や映画などあちこちで取り上げられるアン・ブーリンですが、正式な文献はあまり残っていないのです。
現代取り上げられるものは尾鰭がついたり、捏造されたりと真の姿が描かれているものは、想像を元につくられているともいわれています。本当にしたたかだったのか、家族の野心に翻弄されたのか。彼女の人生についてはコチラの記事【アン・ブーリンの生涯】彼女は悲劇の王妃か、狡猾な魔女かにまとめております。
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