アンブーリンは、イングランド王ヘンリー8世の6人の妻の中でもっとも有名な女性。
王の寵愛を受け結婚するも移り気な王は彼女を「姦通と近親相姦罪」をかけ逮捕、処刑しました。この記事では、歴史家エリザベス・ノートンが公表した、アン・ブーリンに関してあまり知られていない6つのこと、そして彼女はは本当に自ら王妃の座を狙ったのか、新たな仮説を取り上げていきます。
アン・ブーリンについて、あまり知られていない6つのこと
① 彼女の出自は、曽祖父ジェフリー・ブーリンのおかげ
アンの曾祖父ジェフリーはノーフォークの農家出身でした。
絹織物工見習いとして上京した後、財産を成してロンドン市長にまで上り詰めます。またノーフォークのブリックリング荘園も買い取り、死に臨んで堅実な貴族の一員となりました。ブーリン家は次々と伯爵家と縁組したり、娘を国王に差し出すことで着々と爵位や領地を増やしていきました。
② ヘンリー・パーシーとの禁断の恋
(ノーサンバーランド伯爵 ヘンリー・パーシー / ヨークシャーのレッスル城)
1522年に英国に戻ったアンは、イングランドの宮廷にはいりました。そこでアン・ブーリンと恋に落ちたのが、ノーサンバーランド 伯爵の後継者であったヘンリーパーシー。(告げ口によりバレるのですが、彼らはひそかに恋に落ち結婚する約束をしていました)
ただヘンリーパーシーにはすでに、父親が決めた相手がおり、これに対して父親やウルジー枢機卿 (ヘンリー8世治世の初期に信任を得て内政・外交に辣腕を振るった)は大反対。ヘンリー・パーシーの父親が結婚に反対した理由は、「アンの出自は、当家にふさわしくない」からであったといわれています。
(チューダー王ヘンリー8世の2番目の妻であるアンブーリンの肖像)
しかし結果論からいくと、王ヘンリー8世がアン・ブーリンを寵姫へと望んだために、彼はアンのことを諦めざるをえなかったのでした。出自でとやかく言われていたアンが、このあと1番の権力者であるイングランド王の妃になるのですから、運命とは皮肉なものです。
③ ヘンリー8世は、アンの母親にも手を出していた?
女性 (アンブーリンと思われる)、1536。ロンドンのロイヤルコレクションのコレクションで発見。
アン・ブーリンの姉妹、メアリーが王の愛人だったことは広く知られていますが、母親のエリザベス・ハワードが王のベッドを共有していたという噂もありました。1533年、ロンドンの金細工職人の妻エリザベス・アマダスは、公にトーマス・ブーリンが「彼の妻と2人の娘の両方に質を与えられた」と宣言したのです。
サー・ジョージ・スロックモートンは「お母さんと妹の両方に手を出したと思われます」と口にし、これらが噂のもとではないかといわれています。しかし実際のところエリザベスはヘンリーよりも数歳年上であり、彼女がヘンリー8世の彼の愛人であったという事実ないようです。(もし手を出していたら、本当にとんでもない男… )
④ ジェーン・シーモアは、アンのはとこだった
アン・ブーリン逮捕され処刑されたとき、ヘンリー8世はジェーン・シーモアに夢中でした。驚いたことに、そのジェーン・シーモアはアンのはとこ (またいとこ) だったのです。アンの母エリザベス・ハワードは、ジェーンの母マージェリー・ウェントワースのいとこでした。アンとジェーンの母は、エリザベス・ティルニーサリー伯爵夫人のもと、ハットン・キャッスルで一緒に育ちました。
アン・ブーリンの母親は、賢い女性だったといわれており、詩人ジョン・スケルトンは彼女について「感じがよく、控えめで賢者である」と語ったそうです。またジェーンの母親については「穏やかで礼儀正しくおとなしい」と述べたとか.. ただアンとジェーンが特別仲が良いとか、一緒に育ったといことはないようです。(いとこの子供同士となると、血縁もだいぶ遠くなりますからね.. )
⑤ アン・ブーリンと、ジェーン・シーモアの血みどろの争い
(テューダー朝ヘンリー8世の3番目の妻であるジェーン・シーモア)
アン・ブーリンは、王の寵愛をめぐってジェーン・シーモアと喧嘩をしていたところを、宮廷人がみていました。1536年の初め、アンはヘンリー8世の愛がジェーンに傾いていることに気がつき、関係が密接になっていることを不快に感じていました。そしてヘンリー8世は、アン・ブーリンを口説いた時と同じようにジェーンへもプレゼントを贈るようにもなっていました。
嫉妬したアンはジェーンから激しく奪い取り、手などに怪我をおうこともあったそうです。後にメアリー王女に仕えたジェーンドーマーも、「アンとジェーンの間で頻繁に争いがあり、引っかき傷や打撃がみられた」と主張しました。
⑥ アン・ブーリンの姉も、ヘンリー8世の女児を生んでいた?
アン・ブーリンの姉 メアリー・ブーリンは、テューダー朝の中心にいたにもかかわらず、あまり知られておりません。しかし、テューダー朝の歴史家スザンナ・リプスコムは、メアリーがウィリアムと結婚していた頃、ヘンリー8世と密かに関係を持っていたと示唆しています。そして何年か後にアンが女王になり「メアリーは恋に落ちた12歳年下の身分の低い男と結婚した」と口にしたとき、
メアリーは露骨に「私は、最も偉大な女王に洗礼を受けるくらいなら、彼と一緒にパンを乞う方がマシですから」と言い返したそうです。リプスコムはアリソン・ウィアーの2011年の著書「メアリーについての最大の質問は、ヘンリー8世の子供を産んだかどうかである。彼女の息子ヘンリー・ケアリーは、ヘンリー8世の子供ではないと断定的に主張し、これは悪意あるゴシップのひとつだ」と指摘しています。しかし依然として、メアリーの娘であるキャサリンはヘンリーの娘であったという説が根強く残っています。
アン・ブーリンは本当に「王妃」の座を望んでいたのか?
議論をかもす、王妃をめぐる2つの説
アン・ブーリンについては2つの説があり、いまも議論をかもしています。「王を誘惑した悪女だったのか」「親戚に利用された悲劇の女性だったのか」という説ですね。
最後は処刑されてしまったアン・ブーリンですが、彼女に対するヘンリー8世のラブレターもしっかりと残っており、彼女への愛や情熱は確かなものであった、といわれています。1520年代半ばにヘンリーはアンに夢中となりました。「結婚して王妃としてくれた場合にのみ、彼の愛を受け入れよう」とアン・ブーリンがいったといわれていますが、果たしてそれは本当だったのでしょうか。
「王妃の座」を狙うは、あまりにリスクが大きい
それまでヘンリーは20年近くキャサリン・アラゴンと結婚しておりましたが、子供は娘のメアリーのみ、望んでいた男児はいませんでした。アンがヘンリーに対して「兄のアーサーの未亡人であるキャサリンとの結婚は無効でしょう」とけしかけたのも果たして本当なのか…
それに対して、違った見解も示されるようになってきました。アンが恐れていたのは、愛人によくある運命だったのではないか、という説です。メアリーがそうであったように、「王の意のままに使われ、捨てられる運命はいやだ」と。それに対する返事なのか、ヘンリー8世がアンにむけたのラブレターには、「アン・ブーリンを彼の唯一の愛する人とする」ことを約束するようなことが書かれているそうです。
すべての暴走は、ヘンリー8世の独占欲からきていた?
手紙の1通からは、アンが最初はあいまいな態度をとっていたことがわかります。ヘンリーは本当に彼女が自分のものになっているのか確信がもていなかったため、「彼女を唯一の愛人にしようと申し出た」ともいわれています。もし本当にアン・ブーリンが「王妃の座」を狙っていたのならば、「結婚できる前にヘンリーと結婚前に関係をもっていた」というのは非常にリスキーなことです。もし子供ができてお腹が大きくなったら、ヘンリーがアン・ブーリンに恋をしたことを公に認めていたことになり、神の法律を破らないことへの彼の懸念の誠実さに疑念を抱くでしょうから。
ヘンリー8世は道徳的に誠実であること、そのイメージを保持する必要がありました。「キャサリンとの結婚は神の法律に違反していたと(兄の嫁と結婚したことは不徳である )」とローマ教皇にうったえ、「この結婚の無効である」と離婚を認めるよう懇願していたからです。まあ結局教皇はそれを認めず、イングランドはカトリックと断絶することで、むりやり離婚を果たしてしまうのですが…
あとがきにかえて
ちなみにヘンリー8世の手紙には「アンとの再婚問題に関して、多くの知恵を要し、問題解決のために色々なことが起きています。でももし、それを実現することができたのならば、この世のどの物よりも私の心に安らぎと静けさともたらすはずです」と言ったことが書かれていたそうです。
その「唯一の豊かさ」を手に入れるために、カトリック教会と断絶し、国民から多くの恨みを買い、またプレゼントだの何だのに散財。にも関わらず、「唯一安らぎをくれるもの」とし愛した女性アン・ブーリンの首を切り落としてしまったんですから、心変わりといいますか、権力とは恐ろしいものです。
後妻となったジェーン・シーモアは世継ぎの男児を生んだのですが、病気ですぐに亡くなってしまいました。ヘンリー8世は尊敬の念もこめ、ジェーンだけは自分との埋葬を許しました。彼女が病死せず生きていたら一体どうなっていたのか… 天才とバカは紙一重といいますが、ヘンリー8世の場合は本当になにもかも極端だなあ、とおもうのでした。 (ちなみにアンが処刑にいたるまでの記事はこちら【 アン・ブーリンの生涯】彼女は悲劇の王妃か、狡猾な魔女か にまとめております)
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参考文献
- https://en.wikipedia.org/wiki/Anne_Boleyn
- https://www.pinterest.jp/pin/61572719876027678/
- https://www.britannica.com/biography/Anne-Boleyn