【ハプスブルク家の闇】カルロス2世が背負うことになった咎と遺伝病

呪われた王室
この記事のポイント
  • 巨大な王朝を維持するために、一族内では繰り返し近親婚が行われていた
  • なかでもカルロス2世は、嫁いできた妻を精神病にするほど醜かった
  • 彼は顎が大きいのが特徴で、少なくとも二つの遺伝病を抱えていたといわれている

 

中世のスペイン王室は『高貴なる血統』と領地を維持しようと躍起になり、一族内での結婚を重ねました。無理は祟り、そのツケは子供に回ってくることになります。

この記事ではその禍(とが)が最も強くあらわれたといわれるカルロス2世にふれていきたいとおもいます。

カルロス2世

カルロス2世 家系図

スペインのカルロス2世は、スペインハプスブルク家における最後の統治者です。彼は1661年11月6日に生まれ、わずか4歳の若さで国王になりました。幼い頃は彼の母親 (と彼女の寵愛する廷臣) が10年間摂政として君臨しました。

カルロス2世の容姿は周りが恐怖に怯えるほどに醜かったのですが、彼に落ち度は全くなくそれは『高貴な血統を維持したい』という一族の勝手極まる願望のためでした。

ハプスブルク家とは

ハプスブルク家 家系図

ヨーロッパを長く支配していたハプスブルク家、元々はオーストリア地方を支配していた一族でした。ハプスブルク家の王子がスペイン王女と結婚し、そこから派生したのが『スペインハプスブルク家』です。

彼らはオランダ、ベルギー、ドイツの一部を支配していましたが、不幸にもカルロス2世は醜く、奇形も顕著にでており知性も発育不全で、スペインとその近隣諸国を適切に支配することはできませんでした。

これは16世代にわたる近親交配の結果です。

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重ねられた近親婚

ハプスブルグ家は、数百年もの間権力保持に躍起になり、近親同士の結婚を重ねていくことになりました。それは権力を外に逃さない、という意にくわえ、自分たちの高貴な青い血を下々のもので汚してはならない、といった考えも含まれていました。

カルロス2世の母親は父親の姪で、つまり両親は叔父姪婚である… といった具体に、かなり近いところで結婚が交わされていました。

ハプスブルク顎

カルロス2世

カルロス2世の最大の特徴は、一族によくみられる『ハプスブルク顎』です。

2列の歯は噛み合わないために王は食べ物を噛むことができず、舌はとても大きかったために殆ど話すことができませんでした。

彼はなかなか歩くことができず、宮廷は半ば諦めた状態で『王がいる』という体裁だけつくろって教育すらも施しませんでした。そのため王は読み書きができず、周囲の人々に完全に依存している状態でした。

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フランス王女を娶るも

カルロス2世の妻

カルロス2世の最初の妻は、オルレアンのマリー・ルイーズ (ルイ14世の姪) 。

フランス大使は1679年「カトリックの王は怖いほど醜い、病気に見える」と書いたといいますが、誇張もなくそれは正しい見解でした。カルロス2世の脚は体重を支えられず何度も転ぶような状態で、結婚式も代理人がおこないました。

王妃も怯えたその容姿

1689年うつ病に苦しんでいたマリーは後継者を作ることなく亡くなり、カルロスにも落ち込みがみられたといいます。抑うつはハプスブルグ人に共通の特徴で、痛風や浮腫、てんかんも同じでした。しかしカルロス2世が人を慄かせたのは、突き出た下顎でした。

彼の二度目の結婚相手はニューブールのマリア・アンナ。彼女の家系は多産であり、世継ぎを周りは期待したのですがそれも叶いませんでした。

2つの遺伝病

スペインのカルロス2世はそもそも性的に不能であり、子供をもうけることができなかったといわれています。それは近親交配という負の遺産のせいであり、彼はおそらく2つの遺伝病にかかっていました。

ひとつめは、複合型下垂体ホルモン欠乏症。これが彼が背が低く不妊で衰弱しており、多くの消化器系の問題を引き起こさせたもので、もうひとつは遠位尿細管性アシドーシス、尿中に血液が混じり、筋肉が弱く、体の他の部分と比べて頭が異常に大きいのが特徴でした。

カルロス2世の醜さと健康問題は彼が何をしたからではなく、何世代にもわたる近親交配が原因だったことが後世の研究により明らかになっています。

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まとめ

巨大な王朝を維持するために、近親婚を繰り返したハプスブルク家。

なかでも、中世のスペインに生まれたカルロス2世は、嫁いできた妻を精神病にするほど醜かったといわれています。彼は顎が大きいのが特徴で、少なくとも二つの遺伝病を抱えていたのでした。

カルロス2世

皮肉なことに、ハプスブルグ家は『自分たちの血統を鑑みると、王族としか結婚できない』という思いにとらわれていました。この考え方が少なくとも2世紀におよぶ近親交配を引き起こし、ついに王位継承者が潰えるという自体に陥ってしまったのです。

スペイン王カルロス2世は、1700年に39歳間近で他界しました。この終わりはスペイン継承戦争として知られるヨーロッパでの12年戦争を引き起こし、ハプスブルグ家によるスペインの支配はおわり、時代はブルボン王朝へとうつっていったのでした。

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