ハプスブルク家

ハプスブルク家

【世界帝国ハプスブルク】スペインの最盛期を築いたカール5世

祖父マクシミリアン1世の巧みな婚姻外交により、1516年にスペイン国王として即位することになったカール5世 (スペイン国王としての名前は『カルロス1世』) 。これが世界帝国ハプスブルク家による、スペイン統治のはじまりでありました。この記事で...
ハプスブルク家

スペインハプスブルク家のもう一つの秘密【宮廷人が好んだ小人症の慰み者】

スペインハプスブルク家には、血族結婚や植民地支配をはじめ様々な云われがあります。有名なのはその血の濃さ故に様々な弊害を背負い、王位を守るためだけに放浪させられたカルロス2世でしょう。しかしそれ以外にも、王家の闇は様々なところに潜んでいました。 その一つが、宮廷画家ベラスケスによって描かれた絵の中に隠れています。この記事では、宮廷に捧げられた小人症の者たち、「慰み者」の存在と歴史についてふれていきたいとおもいます。 その一つが、宮廷画家ベラスケスによって描かれた絵の中に隠れています。この記事では、宮廷に捧げられた小人症の者たち、「慰み者」の存在についてふれていきたいとおもいます。
ハプスブルク家

栄光を極めた一族の裏話【ハプスブルク家が持つちょっと怖い歴史】

世界史において最も影響力のある王族の一つであり、数世紀にわたってヨーロッパの政治と文化に大きな影響を与えてきたハプスブルク家。しかし、同家の歴史には、暴力や腐敗、独裁的な支配など、多くの問題も存在していました。この記事では、ハプスブルク家が...
呪われた王室

【本当は怖い絵画】血族結婚がもたらした悲劇、ラスメニーナスの王女マルガリータ

『陽の沈まぬ帝国』オーストリアを凌ぐと言われながら、僅か5代で滅亡したスペインハプスブルク家。この記事では、この絵の中心に描かれた愛くるしいマルガリータ王女に焦点をあて、中世ヨーロッパの歴史を紐解いていきたいとおもいます。
ハプスブルク家

【スペインハプスブルク家と奇形】肖像画に描かれた嘘と本当

中世に名を馳せた名門スペイン・ハプスブルク家。偉大な画家たちにより同家の肖像画は多く残されていますが、威厳が付け加えられた君主に、控えめに描かれた顎など、絵画のなかにはいくつか「嘘」があることもまた知られています。この記事では、4枚の肖像画...
呪われた王室

【ハプスブルグ帝国と顎】何世紀も前の肖像画に込められた怖い歴史

実際、その致命的な原因は、今でも肖像画の中に確認することができます。この記事では、奇しくも一家を破滅へ導く助力となった『ハプスブルク顎』についてふれていきたいとおもいます。
ハプスブルク家

【マルガリータテレサ・デ・エスパーニャ】悲劇のスペイン王女の生涯

スペインの巨匠ディエゴ・ベラスケスが描いた「ラス・メニーナス」。真ん中に描かれた愛くるしい少女こそ、中世のスペイン宮廷に生まれたマルガリータ・テレサ王女です。 現在絵画はマドリードのプラド美術館で展示され、何千人もの観光客が毎日訪れています...
ハプスブルク家

カイザーヴィラとは【皇帝フランツヨーゼフが愛した夏の離宮】

スパの町イシュルにあるハプスブルク家の離宮は、ザルツマングードで最も人気のある観光名所。カイザーヴィラは皇帝フランツ・ジョセフの夏の隠れ家で、実際に使われていた調度品が保存されており、ハプスブルグ家の私生活を垣間見ることができる貴重な場所で...
ハプスブルク家

ハプスブルク帝国の崩壊を見届けた【最後のオーストリア皇后ツィタ】

19世紀世界が大きく動いていった時代、エネルギッシュな性格と曲りない意思で皇帝を支えたツィタ。帝国の崩壊を見届け激動の時代を生き抜いた女性。この記事では、ハプスブルク家最後の皇后の人生をみていきたいとおもいます。
ハプスブルク家

【ハプスブルク帝国の最後】どのようにして巨大帝国は滅んだのか

1916年皇帝フランツ・ヨーゼフの死は、君主制の終わりを意味しました。実際に君主制は、1918年の秋に第一次世界大戦が終了するまで続いていたわけですが、最後の皇帝カール1世が退位すると、『オーストリア共和国』が旧ハプスブルク領に設立されまし...