2022年9月、エリザベス女王の死去に伴い即位したチャールズ3世。73歳という立派な年齢ながら、集まる敬愛の念は女王に遠く及ばず、君主制の危機とまで言われる始末。しかし、あの偉大なる母の子チャールズはなぜそんなにも嫌われているのでしょうか。この記事では、チャールズ皇太子の生涯とそこから見える人柄をおっていきたいとおもいます。
チャールズ3世の生い立ち
チャールズ3世は、エリザベス女王とフィリップ殿下の長男として1948年に誕生しました。
しかし、それは母が最も多忙な時期のことでした。祖父のジョージ6世は立派な国王でしたが、ヘビースモーカーが祟り56歳にて早逝。そして母のエリザベスが急遽女王として表舞台へ立たなければならなかったのです。
チャールズは、主に乳母たちによって育てられました。このことはチャールズの記憶に強い印象を与えました。成人してからも退職した乳母の元を訪ねたり、式典に招いたり深い感謝と親愛の情を示しています。
父フィリップの影響
チャールズ3世の教育方針には、父フィリップの意向が強く反映されました。元々ギリシャ王子だったフィリップ殿下は、複雑な家庭環境の下で育ちました。
父は外に愛人を作り帰ってこず、母は精神的な病を煩い、姉が親代わりとなり学生時代は厳しい寮で過ごしました。そんなフィリップは、将来国王となるチャールズにも「ふさわしい教育」を受けさせようと、自らが通ったスコットランドの名門ゴードンストン・スクールの寄宿舎に息子を通わせたのです。
しかしチャールズ3世は、この学校に馴染むことができませんでした。当時家族に宛てて書いた手紙には、学生たちの粗暴な振る舞いが綴られています。「皇太子」と馬鹿にされ、周囲との軋轢に苦しむ中、つらい学生生活を送ることになりました。
自分の意思は反映されず
母エリザベスはそんなチャールズを憂いて、イートン校に進ませることを進言しますが、それを許さなかったのがフィリップ殿下です。「甘えである」として考えを変えることはなく、皇太子を叱りつけました。
フィリップ殿下は当時、すべての主導権が妻であり「女王」のエリザベスにあることを不満に思っていました。自分の活躍の場が奪われたとされ、外に楽しみを求め、自分の子供のことくらいは自身で決めたいと頑なになっていたのです。
皇太子は争う術もなく、それでもゴードンストンで優秀な成績を収めて、卒業後はケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジへと進学しました。
ダイアナ嬢との結婚
皇太子が結婚したのは、1981年のことでした。
相手は第8代スペンサー伯爵の娘、ダイアナ嬢。イギリス王室のプリンスと若く美しい貴族令嬢の結婚は世紀のロイヤルウェディングと呼ばれ、国中の祝福を集めました。
しかしここにも他者の意思が働いていました。元々皇太子は、カミラ・パーカーボウルズ夫人に心惹かれていたのですが、王室は彼女の男性経験の豊富さを懸念し、彼女を敬遠したのです。そして、若く純朴な妃をあてがいたいと考えていました。
そこに現れたのが、若くて純朴なダイアナ妃です。皇太子の戸惑いをよそに、マスコミは「ロイヤルカップル」だと騒ぎ立て、瞬く間にふたりは結婚式をあげることになりました。
皇太子の不倫
しかし皇太子の心の中には、カミラ夫人がいました。
ダイアナ妃と趣味があわず、またその若さ故未熟な部分が垣間見えると、皇太子は「良き理解者」のカミラ夫人へ助けを求めるようになります。不倫関係にあったふたりの関係は、皇太子が結婚しても終わりませんでした。
夫の不倫を知り摂食障害に陥ったダイアナ妃を、皇太子は「未熟者」だと責め立てました。ダイアナ妃が関係の修繕をのぞみ、公務に励んでもそれは空回りに終わりました。世間から注目されるのは皇太子ではなく、ダイアナであるとして「目立ちたがり」と今度は嫉妬するようになります。
やがてウィリアム王子、1ヘンリー王子と夫婦のあいだにはふたりの男児が誕生しますが、夫婦間の関係は冷え込む一方で、1996年にふたりの離婚が発表されました。
カミラ夫人の存在
ダイアナ元妃の死後、チャールズ皇太子の心の拠り所となったのはやはりカミラ夫人でした。
このときカミラ夫人はすでに前夫と離婚しており、同じく独身となったチャールズ皇太子との交際を阻むものはなくなってました。
チャールズ皇太子は公式行事にもカミラ夫人を伴って出席するようになっていきます。そして、ダイアナ妃の事故騒動が落ち着いた2005年、ふたりは正式に結婚したのでした。
ウィリアム王子とヘンリー王子の兄弟にとってカミラ夫人は「家庭を崩壊させた原因」でもありました。しかしカミラ夫人は時間をかけて関係を築き上げ、ふたりの王子も父の後妻を好意的に受け入れています。そしてエリザベス女王の思いの元、カミラ夫人はチャールズ3世の即位に際して、「王妃」になることが叶ったのでした。
まとめ
なぜチャールズ皇太子が嫌われているのか、それは自身の不倫によって「ダイアナ妃」をことごとく傷つけ、間接的に死へと追いやった人物であること。そんな不幸な事故がありながら、自分は「不倫相手」と元鞘に収まる無神経な人物だという印象が強いからでしょう。
事実、王位継承者というプレッシャーから「いつも僕だけが損をする (やりたいようにできない)」、兄弟に「お前は王位継承者じゃない、国王になるのは俺だ」と言い放つなど、理性に欠けた行為があったことも報道されていました。しかし彼の生い立ちを追っていくと、厳しかった父フィリップ殿下の教育や、あわない学校での生活、思い通りにいかなかった結婚など彼を苦しめている「記憶」もまた多いことに気付かされます。
もし、もう少し両親に甘えることができていたなら、学校で粗暴な周囲に振り回されることがなかったら、カミラ夫人への求婚に横槍を入れられなかったら (といってもこの時点でカミラ夫人は別の人と結婚していたわけですが)、もう少し真っ直ぐに育つことができていたのかもしれません。
チャールズ新王が率いていくイギリス王室、どのようにウィリアム皇太子に受け継がれるのか、それは時が経てばわかることでしょう。
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