【ヘンリー八世】絶対君主、6人もの妃を娶ったお騒がせのイングランド王

ヘンリー八世 テューダー朝

6人の妻のうち2人までも断頭台へ送ったことで知られるイングンド王ヘンリー8世女好きで冷酷な性格で知られる彼は一体何者だったのか、この記事ではヘンリー8世をかんたんにご紹介します。

ヘンリー8世とは何者なのか

中世テューダー朝のイングランド王

ヘンリー8世は、中世イングランドに君臨した王次男で王位継承の予定はありませんでしたが、兄が早くに亡くなったため18歳で王位を継ぎました。歴代国王のなかでも屈指のインテリと褒めそやされぞしましたが、残虐の片鱗はこの頃からみえており、即位の翌日にはさっそく前王の側近の首をきったといいます。

戴冠まもなくして、兄の未亡人キャサリン・オブ・アラゴンと結婚彼女の故郷スペインとの関係を維持するためでしたが、関係は悪くなく長年の結婚生活は平穏なものでした。

世継ぎを切望するあまり、残虐化

アン・ブーリンの最後

しかし生まれた子供たちは次々と夭逝し、キャサリン妃の元に残ったのは女児メアリーひとり。王の暴走は、世継ぎができない焦りから始まったのです。ヘンリー8世は王妃の侍女であり若いアン・ブーリンに夢中になり、カトリック教会と断絶してキャサリンと離婚しアンを王妃の座にすえました

しかしそのアンにも子供はできず浮気癖も治らず、ヘンリー8世は妻を取っ替え引っ替えこれが6回も繰り返されましたが男児は3番目のジェーン・シーモアが産んだジェームズひとりだけもしキャサリンが最初から男児を産んでいたら、ヘンリー8世は『有能な王』として名を馳せていたのかもしれません

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王として確固たる礎を築くため、多少の犠牲はかえりみず

こちらはヘンリー8世の40代半ばすぎの全身像です。からは衰えなどは微塵にも感じさせず、力強い握りこぶしに、威嚇するような鋭い眼光、絢爛たる衣装にきらびやかな宝石。あらゆるものを自分のものにしようとした彼の威圧感が伝わってきます

当時イングランドはまだヨーロッパ辺境の2流国、王といえども権力を掌握しきっているわけではありませんでした。この勇猛果敢に描かれた絵画は、『王として国民や諸侯に対して威厳を示さねば』といった狙いもあったのかもしれません

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さいごに

アン・ブーリンの生涯

そんな悩める王の前に現れた、若く魅力的なアン・ブーリン女なら世継ぎを産んでくれるに違いないと、ヴェチカンと強引に手を切ってアンを王妃の座にすえたにもかかわらず、男児ができないと決めるや否や、温情もなにもなくさっさと処刑

焦りがさらにヘンリー8世を残虐にしたのか、玉座というものに、こうも人は振り回されるものでしょうか。そしてヘンリー8世が残した3人の子女たち (全員腹違い) は、「いつ殺されてもおかしくない」とお互いに睨みをきかせながら生きていくことになるのでした。ちなみに5番目の妻となり斬首されたのはアン・ブーリンの従兄弟キャサリン・ハワードでした。彼女が最後泣き喚いて逃げ回ったのは、あまりに悲惨なアン・ブーリンの最後を見ていたかもしれません。

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