2017年にアメリカのトランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都であると明言たことで話題を集めたエルサレム。その発言が実際に世界的に認められることありませんでしたが、エルサレムはなぜいつも争いの中心地となるのでしょうか。
ここは3つの宗教の聖地であるという特殊性から、神の地であるにもかかわらず陰惨な争いが繰り返されてきました。その構図は今も昔も変わることはありません。この記事では、神の地でありながらなぜ血生臭い戦いが絶えないのか、イスラエル国のエルサレムという地の歴史をわかりやすく解説していきます。
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エルサレムとは
イスラエルにある都市、エルサレム。
同国はエルサレムが自国の「首都」であると宣言しているものの、国際連合はこれを認めておらず、国際社会にはイスラエルの首都はテルアビブであるとみなされています。ちなみにパレスチナ自治政府 (※) は、東エルサレムをパレスチナ国の首都と主張しています。
(※)
現在もイスラエルとパレスチナの間でこの地を巡る戦いが続いているわけですがなぜ争いがやまないのか、歴史的背景から見ていきましょう。
歴史的背景でみるエルサレム
3つの宗教の聖地があつまる特別な場所
エルサレムは、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教という3つの宗教の聖地ですが、
- ユダヤ教徒にとっては、ソロモン王などの時代に栄華をきわめたかつてのユダヤ王国の首都として、
- イスラム教徒にとっては、預言者ムハンマドが昇天した場所として、
- キリスト教徒にとっては、イエスの死と復活の地として、
由来はそれぞれ違っているのです。
事実、現在のエルサレムの旧市街には、キリストが処刑された地の跡に聖墳墓教会が建っており世界中から巡礼者を集めています。
ゴルゴダの丘に建てられた聖墳墓教会の奪還
聖墳墓教会は、イエスが十字架にかけられたゴルゴダの丘の跡地に建てられたとされています。丘の場所は、2度のユダヤ戦争でわからなくなっていたのですが、紀元326年にキリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌス1世の母、聖ヘレナが、当時ヴィーナス神殿だったこの地で、イエスが架けられた聖十字架と手足を貫いた聖釘 (せいてい)を発見。神殿を取り壊して、聖墳墓教会を建立したのでした。
しかし、聖墳墓教会は614年にササン朝ペルシャの支配下におかれると様々な破壊を受け1009年には撤去されてしまいます。しかし、この地はキリスト教とにとって最大の聖地であり、キリスト教とによる史上最大の凶行といわれる十字軍が組織されると、たちまちその目的地となったのでした。
十字軍とは、中世西ヨーロッパのキリスト教会とキリスト教国が派遣した遠征軍のことです。十字軍の目的は、当時イスラム教陣の手に落ちていた聖地エルサレムの奪還でありました。つまり聖墳墓教会の解放を求めてのことです。
止まらない十字軍、やまない殺戮
ただ、これはあくまで建前であって、本音としては富の略奪も目的であったのは間違いないでしょう。
1095年頃、ローマ教皇バヌス2世が第一回十字軍を呼びかけると、10万人もの民衆が宗教的な熱情と富への欲望に駆られて、民衆右十字軍が先にエルサレムへと出発しました。まったく統制の取れていないまま、出発早々ハンガリーからコンスタンティノープルまで略奪の旅をつづけ、挙げ句アナトリア地方を支配していたルーム・セルジューク朝領までほぼ全滅させてしまったのでした。
聖墳墓教会は、第一回十字軍がエルサレム奪還後に再建され、基本的にそのときの建物が現在の教会となっています。
騎士で構成された第一次十字軍本隊は、民衆十字軍に遅れて出発し、エルサレムへの道の生涯となるイスラム教の土地ニカイア、アンティオキアといった歳を通義次突破し、1099年6月7日、ついにエルサレムへと到着しました。攻城戦の当初は十字軍側に飢えと渇きによる多数の死者を出しました。包囲戦のための資材も足らず、城内にはいることもできず足踏み状態となってしまったのです。
しかしはしごを作る木材などが到着すると、いよいよ7月14日に総攻撃を敢行、翌15日の朝にはエルサレム城内へ突入しました、このとき、エルサレム市民の多くは各所の神殿に避難していましたが、十字軍の兵士たちはそこで凄まじい虐殺を行いました、集会場に隠れたユダヤ教徒などは火を放たれ生きたまま焼き殺され、イスラム教の聖地「神殿の丘」では、女子供まで容赦無く切り伏せられました。
騎士たちは足首まで血に浸かりながら殺戮を続け、結果この神殿だけで1万人が殺されたといわれています。神殿の外でも徹底的に略奪された市街地は死体で埋まり、戦闘後にエルサレムの門の前に積み上げられたしたいのために用意された薪の山はまるでピラミッドのように見えたといいます。
なかには虐殺を行わず、降伏した敵意を無傷で脱出させた騎士もいたものの、全体としてみればキリスト教とによる史上最大の虐殺劇でありました。
キリスト教国家『エルサレム王国』の樹立と陥落
こうして聖墳墓教会の跡地とエルサレムの富を奪い取った十字軍は、エルサレム王国をはじめとするキリスト教国家をこの地に樹立するに至ったのです。もっとも、異教徒の血と富で築いたこの王国は、100年ももたずその報いを受けることとなります。
1187年、イスラム教陣営の将軍サラーフ・アッ=ディーンの攻撃を受けあえなく陥落。ただしこのとき、サラーフは身代金を払えぬ敵まで解放し、続く第三回十字軍に対しても、同じく慈悲を示し、結果として、彼は敵将リチャード獅子親王と休戦条約を結ぶことに成功しました。
1228年の第6回十字軍では、神聖ローマ帝国・皇帝フリードリヒ2世とアイユーブ朝の第5代君主のアル・カミールの平和交渉で聖墳墓教会がキリスト教陣営に返還され、聖地は短い平和に憩うこととなったのでした。虐殺と略奪による聖地奪還が挫折し、寛容と知性がそれを成したのは歴史の教訓となったのか、否、平和は長くは続きませんでした。
なぜこの地で争いが止まないのか
しかし喉元過ぎれば熱さを忘れるが如く、歴史は繰り返されてきました。
なぜ、エルサレムでは戦いが止まないのでしょうか。エルサレムは単に地理的に要所であるのではなく、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教という3つの宗教の聖地あることが最大の問題であるといわれています。このことがエルサレムの帰属をめぐる紛争の火種となっており、パレスチナ問題の解決を一層困難にしているのです。
ちなみに、パレスチナ問題とは、イスラエル人とパレスチナ人の間で続いている暴力的な闘争のことです。イスラエルとパレスチナの和平プロセスの一環として、この紛争を解決するためにさまざまな試みが行われてきました。イスラエルがヨルダン川西岸地区とガザ地区を54年間にわたって占領し続けていることから、「世界で最も手に負えない紛争」とも呼ばれています。
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まとめ
なぜエルサレムという地で争いが絶えず続いているのか。
- それはユダヤ教、イスラム教、キリスト教という3つの宗教の聖地であり、
- 古来より、信仰という名の下に虐殺が繰り広げられてきたという歴史があるからです。
3つの宗教の聖地であるという特殊性から、神の地であるにもかかわらず陰惨な争いは止みません。
ちなみに、2016年のアメリカ合衆国大統領選挙では「駐イスラエル大使館のエルサレム移転」を公約したドナルド・トランプが当選。同年12月6日には、エルサレムをイスラエルの首都と認定して、テルアビブにある大使館をエルサレムに移転する手続きを始めるよう指示したことを正式に表明しました。
しかし、トランプ大統領は「エルサレムの最終的な地位については、イスラエルとパレスチナの当事者間で解決すべきで、米国は特定の立場を取らない」とも名言しています。ちなみにこの決定の撤回を求める決議は、2017年12月21日に開かれた国際連合総会で採択されています。
これを受けてガザ地区とイスラエルの国境沿いでパレスチナ市民がデモを行い、イスラエル軍の狙撃手が非武装のパレスチナ市民61人を殺害。2018年3月30日から5月19日現在までに、ガザ地区との国境において、118人のパレスチナ非武装市民がイスラエル軍により殺害されており、争いが終わる気配はないのでした。
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参考文献
- https://en.wikipedia.org/wiki/Jerusalem
- https://en.wikipedia.org/wiki/Church_of_the_Holy_Sepulchre
- https://en.wikipedia.org/wiki/Special:RecentChangesLinked/Crucifixion_(Mantegna)
- https://en.wikipedia.org/wiki/Crusades
- https://www.bbc.com/news/world-middle-east-26934435
- https://www.youtube.com/watch?v=IaZEHOCoJoE
- https://apnews.com/article/jerusalem-middle-east-lifestyle-government-and-politics-43d4cab031c28da0abf98d694dd169ac