ロンドンを恐怖に陥れた狂気の殺人鬼、ジャックザリッパー。1888年8月からの3ヶ月、その姿なき殺人鬼は残忍な手口で次々と娼婦を殺し、ロンドンの人々を恐怖に陥れました。その後犯人は突然姿を消し事件は迷宮入り、『未解決の事件』としてもいまだに人々の心をざわつかせています。
その謎めいた存在は主にミステリーファンを魅了し、名探偵コナンの映画『ベイカーストリートの亡霊』や、憂国のモリアーティにも登場しました。この記事では最新の考察も含めて、この謎の殺人鬼『切り裂きジャック』とも呼ばれるジャックザリッパーの正体に迫っていきます。
- 被害者と加害者をつなぐ手掛かりはなどはない無差別殺人に、捜査は難航
- 人々がこのサイコパスな殺人鬼を「ジャックザリッパー」と呼んだ
- 容疑者は数人に絞られたが、結局最後まで犯人を特定することはできなかった
当時の捜査状況
当時のイギリスでは、まだ指紋や血液型による判別方は知られていませんでした。もちろんトランシーバーなどもありませんから、捜査はもっぱら土地鑑と一般人への聞き込みで行われたのです。
親族関係者など因果関係があるものならまだしも、ジャックザリッパーによる事件は『被害者』と『加害者』をつなげる手がかりなどもない無差別殺人でありました。
狂気の無差別殺人
1888年8月131日の早朝、ロンドンのスラム街ホワイトチャペル地区で女性の死体が発見されました。遺体は服を着ておらず、道路のど真ん中に仰向けになった状態で放置されていました。あろうことか顔はめった切りとばかりに傷だらけで、喉に至っては脊髄に達するまで深々とえぐられていたそうです。
同一犯によるものと思われる死体が発見されたのは、数日後のことでした。ハンベリー街のある木賃宿の庭で見つかったのは、両手を高く上げた女性の死体。血塗れの脚もあらわに、下から切り裂かれた女性は頭と胴がなんとか繋がっているような異様な様だったそうです。
警察は手を出すこともできずにいた9月30日の夜明け、またしても残虐な殺人事件が、しかも二箇所同時に発生したのでした。
不可能犯罪
第一の遺体が発見されたのは午後1時過ぎ、バーナー街のはずれにある労働者クラブの中庭でした。そして、第二の遺体はシティのマイター広場です。
2人ともまたしても娼を生業としている女性であり、2人目のキャサリン・エドウズにいたっては通りに酔い潰れているところを警察に介抱され釈放されたばかりのところを切り裂き魔にあったのでした。
警察の証言によると、第二の事件における反抗時間はわずか10分前後。バーナー街はロンドン郊外、マイター広場はロンドン市内にあるため、二つの犯行現場にはかなりの距離がありました。交通手段としては馬車しかないような時代になぜ同じような事件がほぼ同時におこったのか、警察はまた頭を抱える事になったのでした。
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『切り裂きジャック』からの挑戦状
人々がこのサイコパスな殺人鬼を「切り裂きジャック」と呼びはじめたのは、この頃からです。国中が恐れ慄きつつも、色んな憶測が飛び交いました。
鋭い刃物を使い内臓をえぐり出すことから、犯人は『肉屋』もしくは『医者』ではないかといった声もあがりました。そんな中、このいかれた殺人鬼から警察へ挑戦状が届きます。
警察の連中が、俺を逮捕したも同然だといっているらいい、笑える。
ー俺は殺しが好きだ。次は女の耳をとって送ってやろう。俺のナイフは殺したくてウズウズしている。切れ味のよいナイフだ。敬具 ジャックザリッパー (1888年9月25日)
この手紙は前述した二重殺人が2日前にポストに放り込まれたものです。この手紙には、娼を生業としている者に恨みがあることも書かれていました。
とんでもない贈り物
そして翌月16日、ホワイトチャペル自警団の団長ラスク氏宛に差出人のない小包が届いたのです。中身は人間の腎臓の一部、送り主の名前はなくただ、
ラスクさん、捕まえられるものなら捕まえてごらんなさい 地獄より
といったことが書かれていました。検視によりこれは第四の被害者であるキャサリン (二重事件の後者)のものだと判明しました。そして11月9日、人々の恐怖が冷めやらぬ中第五の殺人事件がおきました。
被害者はまたもや夜を生業とする女性、24歳のメアリ・ジェイン・ケインでありました。発見されたのは朝の10時45分頃、木賃宿のなかでのことでした。
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ジャック・ザ・リッパーに関する考察
被害者の死体は、その後すべて法医学者の鑑定に委ねられました。そして下記が、トマス・ボンド医師による検死報告の一部です。
- 5つの殺人は、あきらかに同一人物の反抗
- 反抗時間はいずれも午後1時か、2時の間
- 被害者はいきなり急所をねらわれ、悲鳴をあげたり抵抗した形跡はない
- 被害者はみな横たわった状態で殺され、最後に喉を切られている
- 犯人は手足や衣服に返り血を浴びているはず
- 犯人は変質者か殺人狂でいつもマントを着て返り血を隠している可能性がある
- どの事件も切り裂き方は同じ
- 凶器は刃渡り17,8センチ、幅3センチの鋭利なナイフ (直刀)
街には色々な噂が流れ、新聞にもさまざまな観測記事がのりました。
どの事件も週末に行われていることから、犯人は毎週木曜か金曜の夜にテムズ川に停泊し、土日どちらかに出発する家畜運搬船の船員ではないかといった説も出ました。
これはヴィクトリア女王もわざわざ「家畜運搬船を捜査」するよう指示をしたほど、信憑性の高い物でした。あれだけの切り裂き術を持つのは「肉屋だからではないか」といった憶測もこの説を後押ししました。
絞られた容疑者
何人かが疑いをかけられましたが、その中には、ロシア人のペダチェンコというドクターもいました。彼は怪僧ラスプーチンの親友で、ロシア皇帝政府の手先となって英国を混乱に陥れるためロンドンに送られた人物でした。
その他にも有力な人物として警察があげたのは、MJドルイットという青年弁護士。彼はジャックザリッパーの最後の反抗直後に失踪し、50日後テムズ川で死体で発見されていたのです。
名門家族ではありましたがかなりの変質者で、家族ですら彼が犯人なのではないかと疑っていたほどでした。
決定打はなく
そして、コズミンスキーという、ホワイトチャペルで孤独な生活を送っていたユダヤ系ポーランド人、マイケル・オストログというロシアの医者も容疑者候補にあげられました。前者は最後の犯行の4ヶ月後に精神病院にはいっており、後者はすでにいくつかの犯罪経歴があり、事件の当日の足取りが不明となっていた男性です。
ジャックザリッパーは「女性だ」という珍妙な説もでました。最後の犠牲者であるメアリ・ケリーの部屋の炉に紙屑や布切れをもやしたらしい灰が残っていた頃から、犯人が返り血を浴びた自分のドレスを脱いで部屋にあったメアリのドレスをきてその場を立ち去ったというのです。
しかしこれだけの捜査がされ、容疑者が絞られていたにもかかわらず警察は最後まで犯人を特定することはできなかったのでした。
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まとめ
最後の犠牲者メアリが発見されると忽然と姿を消したジャックザリッパー。犯人が絞り込まれたとはいえ事件の解明には至らなかったからか、その正体については今も世界中でミステリーファン達を騒つかせています。
一説によるとロンドン警視庁は、いつからか真犯人を絞り込んでいたともいわれています。事件から77年たった1965年、ロンドン警察で刑事捜査部長をつとめていた刑事捜査部長マクナートンのノートには上述した『MJドルフィット』『コズミンスキー』『マイケルオストログ』の名前があったそうです。
ごく最近まで公表されず、当局の間だけで秘密にされていたデータがいくつかあるのだというのです。それは奇妙にも、犯人の家族の名誉のためにとられた措置であったとか….
しかし世紀が変わりここまでくると犯人像すら霧の中。とっくに亡くなっているサイコパスな犯人の名がなぜ今でもあがるのか。人々の好き勝手な妄想の中でジャックザリッパーは今でも生き続けているのかもしれません。
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