九龍城 (クーロン城) は、現在の香港・九龍市にあった巨大なスラム街です。そこは無法地帯であり、人口密度が高く謎に満ちていることから、金田一少年の事件簿などの舞台としても使われてきました。今日はこの不思議で謎に満ちた「九龍城」についてせまっていきたいとおもいます。
幻のスラム街 (クーロン城)
九龍城 (クーロン城) は、 もともとは中国軍の要塞都市であった城壁都市です。
1898年に中国が新領土を英国に貸したあと居留地として使われるようになりました。第二次世界大戦中で日本が香港を占領したあと人口は急増し、1990年までに2.6ヘクタールの敷地に約5万人の住民が住んでいました。
どのくらい密集していたかというと、最盛期には畳一つに3人が暮らしていたイメージです。1950年代から1970年代までは地元の部族が支配し、夜の商売にギャンブル、薬物乱用の割合が高い、『無法地帯』だったといわれています。
迷路のような集落
城壁が取り壊されたことで、跡地には難民の宿舎が建ち始めた九龍城。中国の情勢が落ち着きつつあった1950年代後半から1960年代前半においても難民の流入は止まらず、さらに、1960年代後半に始まった毛沢東らによる革命によりさらに多くの難民がはいっていきました。
無計画な増築が繰り返され、建物内に迷路のようなスラムが出来上がっていった九龍城。防災といった観念はなく建物が折り重なり、日の光が一日中入らない部屋や窓のない部屋は普通であり、天井を連なる水道管や電線がカオス状に広がっていました。
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必要なものが揃った城内
九龍城内には、住民がそこだけで生活できる色々なお店や施設が揃っていました。
しかし九龍城内にあったお店のほとんどは、イギリス領である香港政府の認可を受けていないもので、中国のみ通用する免許で開業した歯科医院や海賊版の出版、コピー商品の製造、麻薬の取り引きなども半ば公然と行われていたそうです。
また衛生法上許可し難い、環境下で点心 (中華料理) なども製造されており、最盛期には香港のホテルや飲食店で使われた点心はここで作られていたといわれています。城内警備においては1970年代後半から1990年代にかけて住民達が一丸となり、自警団を組織し治安の改善を図っていました。広さや自由はなくとも、住民たちの結束の強さが伺えます。
九龍城の取り壊し計画
唯一空が見える屋上でしたが、数十メートル頭上には空港へ離着陸する巨大な旅客機が絶えず通過していきました。1997年7月1日、香港は中華人民共和国に返還されることになり、これは危険だとして、1987年には香港政庁が、九龍城を取り壊す計画を発表しました。周囲のアパートや郊外のベッドタウンに政庁が建設した高層アパートへ住民を移住させる計画でしたが、補償などの問題で住民はこれに異を唱えました。
この巨大スラム街に何十年もの間行政が立ち入ることはなかったのですが、共同声明の後に漸く香港警察の警官が定期的に巡回を行うようになりました。ただ、その頃には香港の他地域よりもむしろ城内の方が安全であった、という話しもあります。
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まとめ
手のつけられない無法地帯といわれたクーロン城ですが、1993年3月から解体工事が始まり、1994年4月に解体工事が完了。その跡地には、九龍城壁都市公園がつくられました。ちなみに城郭都市の屋門や南門の遺構などの歴史的遺物も、一部保存されています。
そして日本にも、九龍城をリアルに再現した場所が存在します。
ウェアハウス川崎店は、九龍城砦をモチーフとした建物として知られており、外装から小物類に至るまで忠実に再現されています。九龍城のなかにいるようなつくりになっており、当時存在してであろう、生々しい住民の部屋を覗き見できるのも魅力のひとつです。ちょっと変わった場所へ行ってみたい、というかたはぜひ、訪れてみてはいかがでしょうか。
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