17世紀、ルイ14世の時代はフランス史上もっとも輝かしい時代だったと言われています。ロシアを含め、ヨーロッパ中の王侯貴族たちが模倣とし、あの絢爛豪華なヴェルサイユ宮殿が建造されたのもこの時代でありました。しかし人々から「太陽王」と呼ばれ神のように崇められていたルイ14世の宮殿においては、毒殺や怪死が頻発していたのです。
その闇部分をつかさどっていたのが「ラ・ヴォワサン」という女性の黒魔術師でありました。この記事では最後火炙りにされるまで、ヴェルサイユを恐怖に陥れ続けた黒魔術についてみていきたいとおもいます。
- ルイ14世の時代、宮殿においては毒殺事件が横行していた
- 闇の部分を司っていたのが悪徳神父エンティエンヌと毒使いラ・ヴォワサン
- 最終的に一味は逮捕され処刑されたが、歴史に大きな傷跡を残した
頻発する毒殺事件
ルイ14世が絶対権力を握っていた当時のフランスでは、毒殺がはびこり、人々はいつ自分が被害にあうのかと神経を尖らせていました。1677年9月21日、パリの教会で一通の匿名の手紙が発見されます。手紙には「国王と王子が近いうちに殺される」といった物騒なことが書いてあり、フランスはたちまち大騒ぎとなりました。
これが史上名高い、ルイ王朝「毒殺事件」のはじまりでありました。ルイ14世は事件の徹底解明を求めて、1979年春に非公開の特別法廷「火刑法廷」を設置しました。壁には黒い布がはりめぐらされ、昼間でも松明の火がともっていたそうです。
大規模な毒薬密売組織
毒ではなく媚薬などを求めた人もいたそうですが、実際に次々と有名貴族や貴婦人が連行され、実際に1679年から4年間に400人以上が裁かれ、そのうち104人が有罪となり36人が死刑となりました。有罪となり逮捕された人の中には、宮廷によく出入りしていたアングレーム公妃、ソワソン伯爵妃、リュクサンブール元帥なども含まれていたといいます。
捜査の結果、フランスだけでなく、イギリスやイタリア、ポルトガルなどヨーロッパ各国につながる大規模な毒薬の密売組織があることが判明しました。その首謀者には、有名貴族や大実業家も名を連ねていました。そして大元をたどっていった結果、容疑者の中に大変な人物が浮かび上がりました。それこそ、有名無毒薬使いの『ラ・ヴォワザン』です。
毒薬使いのラ・ヴォワザン
『ラ・ヴォワザン』は宝石商の妻でありましたが、自宅に貴族や大実業家を招いてしばしばパーティを開いていました。占星術にも長けており人生相談にものっていたわけですが、これは彼女の表の顔にすぎませんでした。
彼女の豪壮な邸宅と庭には捜査がはいり、客間の裏から、毒薬の実験室や胎児剤の製造室がみつかりました。またその他にも黒ミサに使う道具や、人間を焼けるほどの大かまども発見されました。それだけでなく、庭には幾千もとおもわれるおびただしい赤子の遺骨が隠されていたそうです。これらはラ・ヴォワザンが悪徳司教と組み赤子をさらい黒ミサをやっていたという確かな証拠でありました。
エンティエンヌ神父と黒ミサ
悪魔にささげた黒ミサは、聖水のかわりに尿を、香のかわりに動物のフンを使い、赤子を殺して生贄に捧げるというものです。元々ラ・ヴォワザンは媚薬をつくり若い娘たちに金持ち貴族を誘惑させ、遺産相続の権利を手に入れたら毒薬を使って相手を始末するという方法をとっていました。
しかしそれがうまくいかないときには、悪徳司教ギブール の「黒ミサ」へと顧客を流していたのです。そして彼らの顧客の中にとんでもない大物顧客が潜んでいました。彼女こそ、ルイ14世が心を捧げていた寵姫モンテスパン公爵夫人でありました。
闇堕ちした寵姫
名だたる貴族が事件に関わっており、当局は対応に追われました。ヴェルサイユで一番幅を利かせていた国王の寵姫、モンテスパン夫人の名前が出てきたのには、さすがに国王もショックを隠せなかったといいます。彼女について供述したのは、同年2月火炙りに処せられていたラ・ヴォワザンの娘でした。
彼女によると、モンテスパン夫人は媚薬をもらい、国王に飲ませたり、悪徳神父エンティエンヌ (ギブール)に黒ミサをあげてもらっていたといいます。取調べを受けたギブールは、モンテスパン夫人のために何度も黒ミサをあげたことを認めたのでした。ただそれは、何人も子供を生み美貌が衰えていく中で、若い娘へと関心がうつっていく国王の気持ちを引き止めるための頼みの綱として、だったようです。
悪魔との契約
黒ミサへの参加が許されるのは、悪魔との契約に署名した者だけでした。したがって夫人も、ラ・ヴォワザンのすすめで黒ミサの教会へ加入していたのです。上流階級ばかりであった会員たちに引き合わされ、秘密厳守を強いられました。
モンテスパン夫人は何も着用せず、黒い布におおわれた大理石の祭壇に仰向けに横たわりました。顔にはベールをかけられ、左右に広げた両手にはそれぞれ黒ローソクを持っていました。ローソクは絞首刑になった死人の脂肪を集めて作ったものだといいます。
身体の上に十字架をのせ、やがて助手が赤子を抱えて入ってきます。この子らはラ・ヴォワザンが貧しい母親から金で買い取ってきた赤子でした。そして呪文を唱えながら助手らは血をしぼりとり、ギブールの血がはいったブドウ酒らに注ぐと、モンテスパン夫人が一気に飲み干すというのが一連の儀式でありました。口からあふれる血とブドウ酒は夫人の身体を真紅にそめ、ゾッとするような光景だったそうです。
黒魔術師らの最後
この時期、フォンタンジュ嬢という若く美しい娘が、ルイ14世の心を捉えかけていました。寵姫の座を奪われると懸念したモンテスパン夫人は、殺し屋をやとって国王と娘の命を狙いますが、殺し屋のほうが弱腰になり逃げ出してしまったのでした。
自分の暗殺計画に自分の寵姫が絡んでいたと発覚し国王は愕然とし、スキャンダルをおそれて慌てて捜査を中止させたそうです。モンテスパン夫人はその後完全に国王の寵愛に信頼まで失い、それまでの部屋から遠くはなれた一室にうつされることになり、公式の場で国王から言葉をかけられることもなくなりました。
ラ・ヴォワザンの入れ知恵で、毒殺計画も計画されましたが暗殺計画はついに失敗におわり、ラ・ヴォワザンと一味は逮捕されてしまいました。火炙りに処せられたラ・ヴォワザンとその一味、エンティエンヌ神父とよばれたギブールもその後処刑されることとなったのでした。
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まとめ
ルイ14世の時代、宮殿において横行していた謎の毒殺事件。闇の部分を司っていたのが悪徳神父エンティエンヌと毒使いラ・ヴォワサンでした。最終的に一味は逮捕され処刑されたが、歴史に大きな傷跡を残すこととなったのでした。
モンテスパン夫人にいたっては、宮殿を追い出されるまで、自ら見下してきた貴族らに冷たい視線を向けられながら悲哀を味わうことになるのでした。それは処刑ではなくとも生き地獄だったでしょう。黒ミサにすがって自分らの陰謀、願いを遂げようとした黒魔術の一派は、これあっけなく望まぬ最後を迎えることとなったのでした。
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