フェルメールが描いた、若い女性の静かな喜びを音楽と調和させた優しく魅惑的な一枚「ヴァージナルの前に座る女性」。静かに椅子の中でわずかに身を乗り出して動こうとせず、どこか同情的な表情でこちらに視線を向ける。今日はこの絵画に暗示されたものと魅力を探っていきたいとおもいます。
『ヴァージナルの前に座る若い女性』
(ヴァージナルの前に座る若い女性 画:フェルメール)
暗い部屋のなかで、ヴァージナルの前に座る若い女性がこちらをまっすぐに見つめています。左上に描かれたタペストリーの裏に隠れた窓からはあたたかくはかない光が差し込み、ヴァージナルの前縁、女性の顔や上半身、背景の絵の一部を照らしています。また女性が弾く高価そうな楽器には大理石を模した塗装がされ蓋の内側には、自然な色の景色が静かに描かれているのがわかります。左前にあるのは弦の間に弓を挟んだヴィオラ ダ ガンバです。
晩年の作品だから、技量が衰えたって?
(『マリアとマルタの家のキリスト』フェルメール 1654年-55年頃)
『ヴァージナルの前に座る女』はフェルメールの晩年の作品であることから、しばしば彼の力量の衰えが囁かれることがあります。
- 背後の額縁の絵が極めて簡略化して描かれている
- ヴァージナルの装飾画やカーテンが平板な感じがすること
- 女性の衣装に生き生きした輝きが感じられないこと
などですね。しかしそれは技法そのものよりも、この女性のまるで生気のない、単調で不思議な表情にあるのではないかといわれています。どういうことか、「フェルメールが見る人を楽しめようとした新たなチャレンジ」を、次のパラグラフで具体的に解説していきます。
この絵画にフェルメールがこめた謎かけ
寓意 (伝えたいことを何かに例えて表すこと) に長けていたフェルメール。キャンパスのなかに描かれた物にも、よくみるとひとつひとつ意味がこめられているのがわかります。
エレガントな衣装をきた女性の前に描かれたヴァージナル、この楽器は『純粋、優雅、高潔」というような愛の良き面を象徴しています。
(ヴァージナルの前に座る若い女性 画:フェルメール 右上部)
壁にかかっている絵は、純愛とは正反対の意味を示すディルク ファン バビューレンの「取り持ち女」。売春宿の風景を描いた作品です。しかし壁にかけられたこの絵はいささか暗く、それも簡略化して描かれています。ちなみにこちらがディルクが描いた「取り持ち女」です。
(ディルク ファン バビューレンの「取り持ち女」)
極め付けはどこか単調で生気を感じないどこか、同情的ともいえる若い女性の表情。
つまりフェルメールは春をひさぐ女をモチーフとした「取り持ち女」と、ヴァージナルの純愛をうまく溶け込ませることで愛の両義性を示し、『そのことにまだ何も気づかない若い女性の危うさ』を描いているのではないか、と考察されています。
フェルメールが描いた女性にみえる特徴
(ヴァージナルの前に座る若い女性 画:フェルメール 左下部)
夜なのか雨戸がしまっているのか、薄暗い部屋の中。それとは対照的に、女性の顔は鮮やかに照らし出されています。自然なポーズやリラックスした様子ではなく、「構図」がきっちり決まって書かれたフェルメールの絵画たち。彼女は微笑みを浮かべ、魅惑的な眼差しをこちらへ向けています。血色の良い唇には白い絵の具で小さな光がはいり、光沢をみてとることができます。
この手法は彼女の首にかけられたネックレスにもみることができます。小さく白をいれることによって、”光の持つきらめき”を表現するのは、フェルメールならではの特徴です。
ヴァージナルの蓋の内側に描かれた、風景画
(ヴァージナルの前に座る若い女性 画:フェルメール 中心部)
女性が弾くヴァージナルの蓋の内側には、風景画が描かれています。これはフェルメールの出身地デルフトの風景画か、ピーテル ヤンス アッシュの作品であるといわれています。フェルメールは『ギターを弾く女』にも同じ絵に修正を施したものを描いています。楽器の装飾に風景画が使用されるというのは、調和のとれた音楽と、牧歌的な風景との伝統的な関係を表しているともいえるでしょう。
(ギターを弾く女 画:フェルメール)
ヴァージナルとはそもそも何か
(画像引用元:http://www.piano.or.jp/enc/kenban/rossi.html)
さきほどから出てくるヴァージナルとは一体どんな楽器なのか。ピアノのようにみえますが、中身はハーブを寝かせたようになっており、小型撥弦鍵盤楽器に分類されます。ピアノの前身にあたる鍵盤楽器ではありますが、ピアノがハンマーで弦を叩いて音を出すのに対し、ヴァージナルは弦をはじいて音を出します。ちなみに17世紀の鍵盤楽器は一般的に脚はなく、机の上や専用のスタンドの上におくのが一般的だったといいます。ただ不思議なことに、死去直後に制作された「フェルメールの所有目録」にはこのヴァージナルは含まれていなかったようです。
この絵をもっと楽しむために、押さえておきたいポイント
(ヴァージナルの前に座る若い女性 画:フェルメール)
そんな17世紀の鍵盤楽器「ヴァージナル」の前に座る若い女性を描いたフェルメールの絵画。座っているこの女性は光の効果により快活にみえ、たてかけられた楽譜により「まさにいま楽器を演奏していたかのような雰囲気」を醸し出しています。
また注目したいのは左下に置かれたヴィオラ ダ ガンバ。バロック音楽において重要な役割を果たした楽器で、調和構造のキーとなる、通奏低音をならすために必要とされた楽器でした。そのためこれは「調和のとれた愛」を意味するものとして解釈されています。
フェルメールが使ったラピスラズリの絵の具
フェルメールは当時純金と同じくらい高価だった「ラピスラズリ」から作った絵の具を多用した人物でした。当時ラスピラズリはヨーロッパにはなく、アフガニスタンから海をこえてやってきたので「ウルトラマリン」とも呼ばれていたそうです。この絵にもつかわれているとか、いないとか.. 。ウルトラマリンがひときわ際立っているのは、あの有名な『真珠の耳飾りの少女』ですね。
(真珠の耳飾りの少女 画:フェルメール)
フェルメールはロンドンやケンウッドの絵のように、顔の影に緑色の顔料を使ったそうです。
あとがきにかえて
(『取り持ち女』(1656年)の左端の人物。左端の人物をフェルメールの自画像とする説がある)
フェルメールの絵画で現存するものは35枚と非常に少なく、また世界中に散らばっており、2018年9月から開催されたフェルメール展では9つの作品が一つの部屋に集結するという、なんとも贅沢な空間がつくられました。まさにこのキャッチフレーズのとおり。
これも圧巻だったのですが、今回注目したいのは2020年3月3日から上野の国立西洋美術館でひらかれる「ロンドン・ナショナルギャラリー展」です。そこではなんとこの魅惑の一枚、『ヴァージナルの前に座る女性』も来日するらしいのです。風俗画と呼ばれる一般の人々の何気ない生活で一線を画し、光の表現と忠実な描写、寓話に長けた17世紀の天才画家フェルメールの数少ない作品のひとつ。この機会にぜひいちど本物を目にしてみてはいかがでしょうか。
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