保守的かつ強硬なその政治姿勢から『鉄の女』の異名を取ったことで知られるマーガレット・サッチャーイギリス元首相。ネットフリックスのドラマ『ザ・クラウン』では、物議を醸した英国初の女性首相が登場しました。ジリアン・アンダーソン演じるマーガレット・サッチャーの描写はどこまで本当だったのか、具体的にみていきます。
マーガレット・サッチャー首相
Netflixのドラマ 「The Crown」 はイギリス女王エリザベスを取り巻く物語です。シーズン4では、ダイアナ妃とイギリス元首相のマーガレット・サッチャー氏という、非常に影響力のある2人の全く異なる女性が登場します。
シーズン3の終わりには、1976年に労働党のハロルド・ウィルソン首相が病気のため辞任する場面が描かれました。次のジェームズ・キャラハンを飛ばして、シーズン4ではマーガレット・サッチャーがイギリス首相になっていくところにストーリーは繋がります。
シリーズはその後、1980年代サッチャーが英国初の女性首相になってから、彼女が十年以上後に辞任するまで続きます。この番組はまた、ダイアナ妃がエリザベス女王率いる王室に入るところを追った物語でもあります。『ザ・クラウン』 がこの激動の時代をどのように描いているかみていきましょう。
強気な内政、大胆な改革の断行
マーガレット・サッチャーは総選挙後、女性初のイギリス首相に就任しました。イギリス経済の建て直しを図り、公約通りに政府の市場への介入・過剰規制を抑制する政策を実施するなど、強気な姿勢を突き通しました。サッチャー元首相は新自由主義に基づき、電話やガス、空港や航空、自動車に水道などの国有企業の民営化や規制緩和、金融システム改革を掲げそれらを強いリーダーシップで断行しました。
さらに改革の障害になっていた労働組合の影響力を削ぎ、所得税・法人税の大幅な税率の引き下げを実施。一方、消費税を1979年に従来の8パーセントから15パーセントに引き上げるなど、強硬な政策で一般市民から強い批判を浴びた首相でもありました。
サッチャー元首相の経歴
『ザ・クラウン』はサッチャー元首相を勤勉な弱者として描写しており、彼女の謙虚な姿をお高くとまった王室と貴族的な裏切り者により強調させています。1925年にマーガレットはイングランド北東部で生まれました。父親は商店主であり、メソジスト派の伝道師であり、地方市長も務めた人物でした。
サッチャーは名門オックスフォード大学に学び 、24歳から地方政治に関わった弁護士でありました。彼女の仕事は「頑固でかたくなで危険なほど独断的」というレッテルを貼られるほどでした。そしてデニス・サッチャーと結婚し双子を出産した後、1959年に英国議会に選出されlより表舞台へと繰り出していきます。
鉄の女アイアンレディと呼ばれた理由
英国の国民が、国を導くリーダーに女性を選んだのは画期的なことでしたが、サッチャー氏自身は決してフェミニストの象徴ではありませんでした。たしかに彼女は男性の世界で成功しましたが、、それは既存の性差別的な階級制度に沿って、他の女性や抑圧された人々の利益に反して積極的に活動した結果だったのです。ソビエトのジャーナリストによって「鉄の女アイアンレディ」と呼ばれた彼女は、不況と戦争で始まり暴動で終わった人物でした。
第8話で描かれているように彼女は南アフリカのアパルトヘイト政権に対する制裁に反対、彼女が退任して初めて北アイルランドの和平プロセスが本格的に始まったのでした。彼女は同僚の保守党が国会で行った、悪名高い人種差別的な『血の川の演説 (※)』を擁護し、労働組合を内部の敵として福祉支出を削減しました。容赦無くいらないとしたものを見限り斬新な改革を断行する姿勢は、まさに『鉄の女』でありました。
(※) 血の川の演説は1968年4月20日、バーミンガムでの保守党会合にて行われた演説であり、イギリス国会議員の一人であったイノック・パウエルによっておこなわれた。この演説は移民、特にイギリスへの移民流入を激しく非難し、人種関連法を提唱した。
断行政策が国民に与えた影響
第5話では、貧困に陥った男性が1982年にバッキンガム宮殿に乱入するシーンが描かれ、サッチャーが実行した厳格な経済政策が庶民に与えた負の影響が強調されています。ザ・クラウンは常に、王室に関連する劇的な描写を描いてきました。マーガレット・サッチャー首相が女王に謁見するシーンもいくつか描かれており、実際に女王がサッチャーに脅威を感じたかどうかはわからずとも、実際の出来事がドラマに合わせて調整されたことは確かです。
例えば、第2話で見たように、女王が上等な服をきてサッチャーをスコットランドの田舎へ連れて行ったことはありませんでした。そして、ザ・クラウンでは唯一の女性として『マーガレット・サッチャー』の存在感と権力が強調されていますが、実際、彼女の任期中、国会には何十人もの女性議員がいました。
サッチャーの”お気に入り”の息子
シーズン4ではまた、フォークランド危機の初期、つまり南大西洋の島々の支配をめぐる英国とアルゼンチンの短い軍事衝突の間、行方不明の息子に気を取られるサッチャーが描かれています。実際息子のマーク氏は、1982年1月の毎年恒例のパリ・ダカール・ラリーで道に迷っています。
事件は1982年1月9日、サッチャーと彼のフランス人の共同ドライバー、アン=シャーロット・ヴァーニーがパリ=ダカールラリーに参加中に行方不明になったときに起こりました。彼らは1月12日に行方不明となり、彼の父親のデニスはダカールに飛び、そこで大規模な捜索隊が編成されました。そして1月14日、コースから約31マイル離れたところでアルジェリア軍に目撃され、母親を当惑させました。もちろんその後見つかったのも事実で、実際に家族より誰より彼が一番落ち着いていたといいます。
史実と、ドラマで描かれたフィクション
アルゼンチンの金属スクラップ労働者たちは1982年3月に南グルジアの旗を掲げ、アルゼンチン軍は4月にフォークランド諸島に上陸しています。エリザベス女王とサッチャー首相という2人の主人公の関係を描くことで、番組では、女王が国の運営に及ぼす影響をできる限り誇張しようとしていたのでしょう。サッチャー元首相が女王に政治的支援を求めたことはまずない、といわれています。
まとめ
とは言うものの、2人のキャラクター間で繰り広げられる会話は、現実のリーダーの価値観とそれぞれの治世のテーマを強調していました。第8話に出てくる会話には、感情と思いやりを脇に置き「冷たい冷静な観点で」人々をみたり接するというサッチャーの傾向がつよくみえます。
1992年からは貴族院議員を務め、政治の表舞台から退きました。2013年4月8日、脳卒中のため87歳でその生涯を閉じたのでした。
イギリス政府はサッチャーの葬儀を4月17日にセントポール寺院で、エリザベス女王と夫エディンバラ公の参列を賜る準国葬にすると発表。首相経験者の葬儀に君主(エリザベス女王)が参列するのは、1965年に亡くなったウィンストン・チャーチル以来48年ぶりのことでありました。一時代を率いた2人の女性君主、鉄の女と呼ばれたマーガレット・サッチャー元首相はイギリスのその後に大きな影響をのこしたのでした。
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