子供が出来てからは散財も落ちつき、幸せに包まれたマリー・アントワネット。しかしフランス国内には飢えと貧困にあえぐ国民の不満が充満し、その怒りは国王と王妃へむかっていきました。この記事では、彼女はどうして処刑されるに至ったのか、王妃から一転して罪人となったマリー・アントワネットの最期に追っていきます。
- フランス国内は困窮、国民の怒りや不満が国王夫妻に向けられた
- 反対派が結託、抵抗もむなしく処刑が実行されることに
- 悲惨な最後を迎えたため、最も美しい悲劇として語り継がれることになった
国王夫妻に向けられた怒り
フランス革命の直前には、マリー・アントワネットに向けられた悪質な噂が飛び交いました。それには友人を贔屓して大臣へ取り立てた、衣装代で国を潰したなど根も葉も無い噂も多かったといいます。国民の不満がくすぶる中、
- 7年間なりをひそめていた反オーストア派と、
- 反ルイ16世派 (玉座をねら弟や従兄弟)
- 反アントワネット (彼女に疎んじられた貴族たち)
に宮廷街の反王政派が一緒になり、国王夫妻へと襲い掛かったのです。
貧困に喘ぐ国民
決断を欠いた王と、ようやく王位継承者の母として、王妃の自覚を持ち始めたばかりのマリー・アントワネット。このとき、アントワネットが心の頼りとしていた賢明な母マリア・テレジアはすでにこの世を去っていました。宮廷の外では貧困が深刻化し、農民や労働者の食事の困窮はさらにひどくなっていき、国はフランス革命へと傾向していきます。
勃発したフランス革命
そして、1789年7月、当時は火薬庫であったバスティーユ牢獄の襲撃をきっかけにフランス革命が勃発します。ヴェルサイユ宮殿へも暴徒が押し寄せました。そして、ルイ16世とアントワネットはパリへ幽閉されてしまいます。抵抗も虚しく、議会の投票の結果わずか1票差で処刑が決まります。ルイ16世が処刑されたのは、1793年1月のことでありました。
幽閉されたアントワネット
(幽閉中の王妃 マリー・アントワネット)
次々と見せつけられる身近な人たちの残酷な死を受け、マリー・アントワネットの髪の毛は一夜にして真っ白になったといわれています。そのとき、彼女はこう呟いたといいます。「不幸になってはじめて、自分が何者なのか、本当にわかるものですね」。アントワネットは名門オーストリアハプスブルク家の出身でありました。しかし、彼女が母国オーストリアへ助けを求めることはありませんでした。
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処刑の日
(処刑台へ向かうマリー・アントワネット)
1793年10月16日午前11時、牢から出されたマリー・アントワネットは処刑台へと向かいました。乗せられたのは動物用の荷車、ゆっくり市中を引き回され沿道からは、怒りにとらわれた市民からの罵倒が飛び交いました。ちなみにのちにナポレオンお気に入りの画家として名を馳せるダヴィットが最期のマリー・アントワネットの姿をスケッチしています。
(処刑前の王妃の様子のスケッチ 画:ダヴィッド)
ギロチン台へ
(王妃マリー・アントワネットのギロチン処刑)
ギロチンの刃が上すべりしないようにと髪の毛を切られて、アントワネットは皆が集まる革命広場で座らされました。いつでも美しく着飾っていたアントワネットにとって、それがどれだけ屈辱だったでしょうか。ギロチン台の置かれた広場へつき、毅然とした態度で処刑台に上るアントワネット。
その死に方は見事なものだったといわれています。
悲劇はなぜ起こった
そもそも、なぜマリー・アントワネットはこんなにも恨みを買うことになったのでしょうか。一説には夫のルイ16世は歴代の王たちと違って、愛妾をもたなかったためだといわれています。それまでフランス宮廷では、王妃が冷遇され愛妾が宮廷で幅をきかせるのが一般的でした。
- 王妃より広い居室があたえられ
- 特別行事を除いて、宮廷の華やかさを独占し、
- 政策の失敗、赤字が重なればアイツのせいだと叩かれる
愛妾は、全ての憎悪のはけ口にもなっていたのですが、ルイ16世の場合は、王妃へ不満が集中する形となったのでした。
ルイ16世には愛妾がおらず、憎悪のはけ口が王妃ひとりに集中したこの時代。困窮するフランス国内において、国民の怒りや不満が国王夫妻に向けられ、反オーストア派と 反ルイ16世派、反アントワネットが結託し、誰も処刑を止めることができなかった故の悲劇でありました。
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さいごに
マリー・アントワネットの父母は、この政略結婚時代にはめずらしく恋愛結婚でした。
父母に憧れ旦那となるベリー公の肖像画がおくられてきたときも、「まるで騎士のような方だわ」と気に入り、アントワネットは「自分も好きな人と結婚して、幸せになるのだ」と妄想にふけっていたといいます。それを見た母は、こう述べたといいます。
あなたがいま考えていることは現実とはまったく違うことです。肖像画からわかるのは外見だけですよ。そして結婚においては、外見より中身の方がずっと大切なのです。あれこれ想像するのをお辞めなさい。現実がみえなくなってしまいますよ
はからずも主役を演じさせられることになった悲劇の、もっとも美しい例がマリー・アントワネットだといわれていますが、もしルイ16世の兄が死なずに生きていたら、もし嫁いだのがマリーではなかったら、もしベリー公が早く手術をしてすぐに子供ができていたら……。
本当に些細な偶然の積み重ねがこの「大きな悲劇」を生み出すことになったのかもしれません。そして「フランス王妃のままで死にたい」と最期に決意を決めたマリー・アントワネットの強さも人々を魅了する要素のひとつなのでしょう。
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