千一夜物語を原作とするこの小説は、「熱帯」という幻の本をめぐる物語。本を開いたら最後、読者は熱帯という迷宮に迷い込む。最後まで読者は何が起きているのか分からず、ある者は「森見の本は実際には誰も読み終えられないものなのではないか」とさえ思った。
(シェヘラザードの妹ドゥンヤザード)
語り手が次々に代わり、話しの中で物語が展開していく。「熱帯」とはいったい誰の本なのか、いったいどこで始まり、どこで終わったのか。「自分が読んだ熱帯」はいったい「どの熱帯」なのか。この不思議で、不気味な物語を自分なりに解説してみた。何度か滅入りそうになったが、最後にはしっかり自分なりの収拾をつけた。本の中身を熟読したひとは、最後に一気に飛んでもらえばと思う。
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① 森見氏がであった、「佐山尚一の熱帯」
この物語は、森見氏の自伝で始まる。嘘かまことか「森見氏が読んだという熱帯」。著者は佐山尚一で、幾何学模様の表紙が目印だ。「これは妙に心惹かれる本だ。大事に読もう」と思うも、途中まで読んだところで本は消えてしまう。
何年か経過したあと、森見氏は『沈黙読書会』と呼ばれる会で再び「熱帯」に出会う。白石さんという女性が手にしていた『表紙が幾何学模様の熱帯』。しかし彼女はその本 (※) に触れさせようとはせず、それどころか、謎の言葉を残すのだ。そうあの「この本を最後まで読んだ人はいないんです」という怪奇な言葉だ。
② 2章の語り手 白石さんと、学団のサルベージ
第二章で語り手は白石さんにかわり、“彼女が佐山尚一の熱帯に出会った経緯”が語られていく。はじめは記憶が曖昧な白石さんだが、同じビルに勤める池内さんのススメで学団と呼ばれるひとたちの集まりに参加する。本を手にしたことのある4人が集まって記憶をだぐり寄せるが、途中から先がどうしても曖昧になる曖昧になるという。彼ら”学団”は白石さんの新たな記憶を頼りに、「熱帯」とはどういう話しだったかサルベージを繰り返す。
「他に思い出したことはないか」と詰められ白石さんは、”満月の魔女”が住む「砂漠の宮殿」のことを思い出す、それが呼び水となり、学団のなかにいた千代さんと呼ばれるマダムの様子がかわっていく。
③ 京都へ消えた謎のマダム、千代さん
『わたしの熱帯だけが本物なの』という謎の言葉を残して、千代さんは京都へ消えた。彼女はその前に白石さんに密会していた。そこで白石さんは千代さんから「幾何学模様の表紙をまとった熱帯」を預かるのだ。それは中身が真っ白で、何も書かれていない本、千代さんがないならいっそ自分で、と作ったものだった。(※) これが ① で森見氏が見た熱帯で、白石さんが渡すのを拒んだのはそのためだと思われる)
「自分も謎を解きたい」と千代さんを追いかけて行った池内さんは、なかなか京都から帰ってこない。会社もどうやら無断で欠勤しているらしい。そんななか、白石さんに池内さんからの手記が届く。
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④ 第3章で語り手は池内さんに変わり、ついに「熱帯」が語られる
白石さんの元に、しばらくして池内さんの手記が送られてくる。そこには彼が千代さんを追いかけていったあとどうなったのか、が詳細に書かれていた。芳蓮堂 (骨董屋) の主人のナツメさんと知り合い、「満月の魔女」という絵画を描いた画家の孫であるマキさんに出会い。そして千代さんと古くから知り合いであり、佐山とも友達であったという今西さんにも出会った。
そして、池内さんは千代さんの父親、永瀬栄造氏が大切にしていたカードボックスに出会ったという。そのなかには池内さんのこれまでの行動が、予言のごとく書かれていたのだ。そして導かれるように辿り着いた「栄造氏の蔵書」が眠るというマキさんの祖父のアトリエで、池内さんが手記へ書き綴ったもの、それは、「汝にかかわりなきことを語るなかれしからずんば汝は好まざることを聞くならん……」という印象的な警句で始まるそれ、熱帯だった。
⑤ 熱帯に取り憑かれた人物と同様、後半読者は混沌に
主人公は”全てを忘れ、砂浜に流れ着いた男”、彼はそこで佐山尚一と出会い「ネモ」と名付けられる、そこからは「ネモ」が語り手となり「熱帯の物語」が展開されていく。ネモの未来だという怪盗シンドバッド。魔王の娘千代さん。前半に出てきた生々しい東京の日々、そして京都の物語が「熱帯」という島のなかで、空想の人物と織り交ぜられて語られていく。もはや意味がわからない。これは現実なのか、物語なのか、物語なら一体だれの。
そう、後半から「熱帯」に取り憑かれた前半の登場人物と同様、私たち読者も「現在位置」がどこなのか、果たしていま自分は何を読んでいるのか、なにが熱帯なのか、よくわからなくなってくるのだ。第3章の入り口は「池内さんが書いた熱帯」だったはず。時系列で考えれば(森見氏のことは一旦おいても)、それは佐山のものでも、白石さんのものでもなく「池内さんが書いた熱帯」なのに。
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冷静に、この物語を、大枠で捉えてみると
池内さんが手記を書き始める部分までは何とかついていける、問題はそこからだ。池内さんが書き始めた物語は、語り手がネモに変わってからついていけない。しかし冷静になろう、いくつも散りばめられた謎は置いておいて、ここからはもっと、シンプルに見てみよう。
すべては創造の力によって作られた物語
読者にわかるのは、「ソレ(ネモのいる世界)は誰かによって作られた物語」だということだ。ネモと作中に出てくる佐山尚一(最終的にネモは、佐山尚一本人だったことを思い出す)、それはすべて「創造者」によって作られたものであった、その世界に出てくる島も、海も、食べ物も、生き物も、すべて「カードボックス」にいれられた言葉によってうまれる物語なのだ。
物語の終焉について
魔王 (千代の父) は、この創造の力 (物語る力) を、満州で誰かから受け継いだという、そしてその誰かも、また別の誰かから、この物語はそうして、受け継がれてきたという。そして最後、佐山はなんと物語から、物語の外へ出てくる。
パラレルワールドともいえる世界で、佐山は①で森見氏が参加した「沈黙読書会」に参加するのだ。そこに出てくるのは、だれも最後まで読むことができないという奇作「熱帯」だ。「夜明けを思わせる菫色の海」が表紙で、作者名は「森見登美彦」。そう、佐山が目にするソレは、この現実世界で今私たちが手にしている「熱帯」と同じものであった。
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もっとわかりたい人のために
キーとなる、千一夜物語は何なのか
『千一夜物語』は、イスラム黄金時代に、アラビア語で編纂された中東の民話集だ。英語ではアラビアンナイトとよばれている。民衆が夢中になり物語の収集が本格化して、1001夜分を含む形での出版に至ったのは19世紀だとされている。どういう話しか、カンタンににいうと、
- 妻の不貞を知り、女性不信となったシャフリヤール王に
- 悪行(首はね)をさせないため
- シェヘラザードは命がけで毎夜、王に物語を語りつづける
というフレームのなかで、語られていく数々の物語。それをまとめたものこそが千一夜物語なのである。
ちなみにアラビア語の写本に結末はなく「さいごに王が悪行を改めた」という結末は、ヨーロッパで付け加えたという説もあった。つまり千一夜物語も「終わりのない物語」であり、原型ができた9世紀から大陸を渡り語り継がれたものであり。語り語られ続けけるうちに、形を変え、何かが加わり、いわば人類が作り出した「怪作」だったのだ。
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まとめ
謎は謎のままがいい、よくわからないと結論づけるのは性分ではない。文字を残す者として、どうしても何らかの収拾をつけたい、そして考え抜いた結論は、
- 物語が始まり、作中の人物が永遠に語りつづける、というのが千一夜物語であり、
- 森見氏は「それ」と同じことを、「現代日本」と「自身の熱帯」を織り交ぜることで展開した
という説だ。つまり、この物語は、読み終えられないのではなく、そもそも終わりが存在しないのではないか。千一夜物語の写本に終わりがなかったように。読み終わった後もあれやこれやと、私や他のライターがブログに、読者が読書メーターに見解を書き綴っているように。「熱帯」は、人の数だけあるのかもしれない。
今日もどこかで、この本を読かが語り合って、新たなひとがこの物語を知るように。これで納得できないひともいるかもしれない、でもそれこそが、「誰も最後まで読んだ人はいない」の正体ではないか。もし続きが気になる、または自分で秘密を解き明かしたい人は、本のカバーを取ってみるといい。また新しい「あなたの熱帯」と、あらたな謎に出会えるかもしれない。
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この記事を書くために参考とした記事
- https://blogs.loc.gov/international-collections/2017/10/a-thousand-and-one-nights-arabian-story-telling-in-world-literature/
- https://yenpress.com/one-thousand-and-one-nights
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