世界中、ほとんどの社会で近親婚はタブーとされてきました。しかし、エジプトの王家やスペインハプスブルク家をはじめとして、その禁忌は繰り返されあらゆる悲劇を生み出すことになりました。この記事では、なぜ王室では近親婚が許されていたのか、をみていきたいとおもいます。
王族だけは例外?
基本的に、古今東西あらゆる社会で近親婚は絶対禁忌のタブーとされてきました。
しかし、王族だけは例外だったのです。大きな理由は、一族に権力を留めておくためでしょう。古代エジプト、インカ帝国のペルー、19世紀のタイでは、絶対的権力を占有し続ける手段として、兄弟姉妹や、親子での結婚も珍しくありませんでした。
また、近親婚は”神々の行為”だとする文化が存在した、という説もあります。彼らにとって神々の行為を真似るというのは、地上の存在である王と、神聖な存在である神々の結びつきを強めることに他ならないからです。
ハワイでの例
たとえば、1800年代のはじめに、ハワイの部族長たちはプリンセスであるナヒエナエナと、その兄であるのちのカメハメハ3世にこれは神々が行うものだとして近親婚を勧めました。しかしこの地でキリスト教の布教を進めていた宣教師は大反対。
やむなくプリンセスは別の男性と結婚することになりました。とはいえ、兄妹の性的関係は、彼女が1836年に亡くなるまで続けられていたといいます。
近親婚とは、下々の者には許されない行為も、王族には許される証のようなものでした。普通の人は日曜の礼拝をサボっただけで不滅の魂の危機にさらされます。しかし、王族は、従順なカトリック京都の王は教皇の”特免”を受けて、近親婚を神の目にも、人の目も正当な結婚にできるというのです。
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近親婚が禁忌とされる理由
しかし、近しい血縁同士の結婚がタブーとされ、敬遠されてきたにはわけがあります。
似たような遺伝子構成を持つふうたりが性的関係を持つと、共通の劣性遺伝子を持つ確率が高まり、その結果、先天的欠陥が発現しやすくなってしまうのです。有名なのはエジプトのファラオ、ツタンカーメンでしょう。彼は、口蓋裂や、内反足だったといわれていますが、これはかあれの両親が完全な兄弟だったためと考えられています。
ツタンカーメンと同じく、ヨーロッパの王族の子供たちも、権力を同じ血筋内で保持、強化するという大義の犠牲者だったといわれています。いとこ同士の結婚は20世紀になっても普通に行われ、精神疾患や血友病を抱える者が大勢生まれる結果となりました。
ハプスブルク家の例
スペインのハプスブルク家は、近親婚の弊害が色濃く現れた例でしょう。
同家は200年近くにわたってスペインを支配するあいだ、近親婚を繰り返してきました。カルロス2世を最後に血筋は途絶えることとなりますが、彼の両親は叔父姪の関係で、彼ら自身も近親婚で生まれるという背景を持っていました。
カルロス2世には、生まれつき知的および身体的障害があったといわれています。舌が大きすぎて4歳になるまで話すことができず、虚弱体質のため8歳まで歩くこともできませんでした、
のちには躁病の兆候を示し、「死んだ両親の遺体をみてみたい」と、掘り起こすよう要求したこともあったといいます。カルロス2世は1700年に、子供のないまま38歳でなくなりましたが、これほどまでに長く生きたこと自体にヨーロッパ中が驚いたといいます。
カルロス2世を検死した医者は、その結果についてこう報告したといわれています。
心臓はコショウの実ほどの大きさで中には血が一滴もなく、肺はボロボロだった。腸は腐敗して、壊疽にかかっており、片方しかな睾丸は隅のように真っ黒で、頭には水がたまっていた。
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まとめ
近親婚は、王位継承や王族の純血を維持するために多く行われ、古代エジプトや中世ヨーロッパなど、様々な文化圏で見られました。それは自分らの利権を守るためであり、時には「神々の行為」の真似ごととみなされることもあったといいます。
近親婚は、王位継承や純血を維持するためには有効な手段であったかもしれませんが、現代においては、法的に禁止されていることが多く、健康な子孫をもうけることを考えると、異なる家系の相手との結婚が望ましいとされています。
近しい血縁同士での結婚は、やはり遺伝子的な問題や、身体的・精神的な障害のリスクを高めることになります。それがたとえ「特別」な王族であったとしても、どんな理由があれど、その「咎」は子孫が背負うことになったのでした。
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