1701年にベニスで生まれたイタリア人画家、ピエトロ・ロンギ。彼は人間の個性や情熱をキャンバスで表現する独自の方法を発見しイタリアの絵画芸術の輝きを飛躍的に高めた人物で、彼の絵画にはとりわけ禍々しい『仮面の人物』が多く登場します。
今回ロンドン・ナショナルギャラリー展に彼の作品『ヴェネチアの占い師』が来日するとのことで、彼がとくにこだわった『仮面』の謎にせまっていきたいとおもいます。
イタリア人画家、ピエトロ・ロンギ
(ピエトロ・ロンギの自画像)
画家ピエトロ・ロンギは、ベニスで銀細工師の父のもとに生まれました。彼は父親の勧めもあり、アントニオ・バレストラにまず弟子入り。そして1719年にはヴェネツィアを離れ、ジュゼッペ・マリア・クレスピとともにボローニャで学び、次の10年間を芸術家としての腕を磨いていきます。
ピエトロ・ロンギの祭壇画と、優雅な画風
(ラ・トワレ 画:ピエトロ・ロンギ)
彼の初期の作品には祭壇画や宗教画などがあります。記録に残る最初の作品は1732年のサンペッレグリーノ教会の祭壇画です。また1734年には彼はカサグレド宮殿のホールの壁と天井に「巨人の死」を表すフレスコ画を完成させました。
(カサクレド宮殿 Facciata laterale)
1730年代後半になると彼は『ヴェネツィアでの日常生活の主題と出来事』を描く風俗画に特化し始めました。18世紀のプライベートとブルジョワへの転換期を反映したロンギの優雅なインテリアシーンは、非常に人気がありました。
彼の絵の多くにはヴェネチアが描かれている
(ピエトロ・ロンギ『サイのクララ』1751年)
彼の絵の多くにはヴェネツィアが描かれており、奥に気取った市民の群衆が、風変わりなサイを見てぎょっとしているような描写もあります。ロンドンのナショナルギャラリーに展示されているこの絵は、1741年にオランダ人の船長でありライデンの興行主であったドゥヴェモント・ファン・デル・メールがヨーロッパにもたらしたサイだとされています。
左の若者が動物のツノを高く掲げており、女性はじっと座りサイを見つめています。これは危険を察知している男性と、無防備な女性の違いを示しているのかもしれません。
18世紀のヴェネチアにおける、仮面の存在
(カバデンティ 1750年頃 ミラノ、ブレラ絵画館)
18世紀ヴェネツィアでは仮面は衣服の一部というくらいに一般的であり、カーニバルの季節を超えてお祝いとは程遠い場面で広く使用されていました。仮面は安価で簡単に手に入るものでしたし、仮面は国民に平等感を与えるためではなく、貴族の自由を保護するためにも使用されていたのです。ピエトロ・ロンギは貴族の親密なシーンを通して、18世紀のマスクを着用するヴェネツィアの習慣を最もよく記録した画家でもありました。
カオナシか、奇妙で怪しい仮面をつけるか
(ヴェネツィアのリドット ピエトロ・ロンギ 1750年代)
他にも、ロンギは18世紀に急増した博打場 (ギャンブルパーラー) などの描写も残しています。彼が描く絵画の人物のほぼ半分は顔がなく、ベネチアンカーニバルの仮面の陰にかくれています。不安定で純真な姿勢や状況、人形のように繊細な人物像は、主題に対する芸術家の風刺的な視点を示唆しているようにも思え、しばしば画家のおごりではないか、といわれていました。
『仮面』が暗示するもの
(Meeting of the Prosecutor and his wife 1770年 ピエトロ・ロンギ)
数多くの絵画の中で、ロンギは”ギャンブルから浮気”まで、さまざまな行為をする覆面姿の人物を描いています。たとえばロンギの絵画『プロクラトーレとその妻との出会い』。女性と彼女の夫はありのままの姿で描かれていますが、両側には仮面姿の人物を見ることができます。
左では椅子に座った女性が自分のマスクをはずし、肩に寄りかかっている仮面の男性に対応しています。これは「女性は仮面の男性に興味があり、自らの正体を明らかにするためにマスクを外した」という、有りのままを露わにする暗示ともとられています。
絵画『ペテン師』 1757年
(ペテン師 1757年 ピエトロ・ロンギ)
こちらの絵画では、主人公 (テーブルに立っている男の子) は背景に追いやられ、それを下から眺める女性たちがみえます。後ろにみえる「普通」の出来事は、全景にみえる自分たちに溺れるカップルと実に対比的。前景では仮面をかぶった女性が扇子をいじくり回し、ドレスの一部を持ち上げている覆面の男性を横目でみつめています。
(仮面武道会はヴェネツィアが発祥 画像:仮装と仮面をしたヴェネツィアのカーニバルの参加者)
ちなみに仮面は「無意識の欲望」の象徴といい、普段そのようなことをしない社会的エリートと呼ばれる人々があらゆる抑制を捨て、隠されていた欲求を暴露している場面を暗示しているともいわれています。
あとがきにかえて
(薬剤師、1752年、ベニス、Ca ‘Rezzonico 画:ピエトロ・ロンギ)
画家ロンギは1701年、83歳にしてこの世を去りました。彼の画に描かれた禍々しく恐ろしく、それもどこかユーモアがある多くの仮面の人物。アメリカの美術評論家 バーナード・ベレンソンは、ロンギについてこう述べています。
ピエトロ・ロンギは、絵画を愛するヴェネツィア人のために、日常生活や流行のすべての段階で自分の人生を描いた。理髪のシーンではかつらをかぶった床屋のゴシップ、洋裁シーンではメイドのおしゃべり。ダンススクールでは、バイオリンの心地よい音楽。どこにも悲劇的な音はない。
誰もが服を着て踊り、おじぎをして、コーヒーを飲む。まるで他に何もすることがなかったかのように。なんという礼儀正しさ、そして洗練さ。そしてすべてに広がる陽気さのトーンは、同時に残酷で変化の予感に満ちている。(画像:バーナード・ベレンソン)
ヴェネチィアの風景を愛し、その時代の文化と人々の何気ない情景を慈しんだロンギ。彼の作品には当時のべネツィアの文化や時代が所々に隠されているのかもしれませんね。
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