パリの地下鉄11号戦には、オテル・ドゥ・ヴィル (市庁舎)という駅があります。ここで地上に出ると、目抜き通りのリヴォリ街沿いにフランス・ルネサンス様式の荘麗な建築物・パリ市庁舎が建っています。
噴水を備えた石畳の市庁舎前広場は、夏は緑の庭に、冬はスケートリンクに早変わりする憩いの場所ですが、その石畳の下には、想像を絶するほど多くの血が染み込んでいるのはご存知でしょうか。この記事では、多くの人々が命を落としたパリの処刑場と化した広場をいくつかご紹介していきたいとおもいます。
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残忍な歴史をもつグレーヴ広場
噴水も備えた石畳の市庁舎前広場、かつてここは「グレーヴ広場」と呼ばれ、処刑場としても名を馳せた場所であります。1310年、いわゆる「魔女狩り」で男女2名が火炙りにされたのを皮切りに、有罪か否かを問わず、実に多くの残虐な公開処刑が行われてきたのでありました。
代表的な例としては、まず1382年、新税導入に怒って木槌を手に反乱を起こした「マイヨタン」と呼ばれるうパリ市民たちを多数処刑した事例があげられますう。1572年には、カトリック教徒によるプロテスタント教徒の残虐事件「サン・バルテルミの虐殺」の仕上げとばかりに、国王シャルル9世をはじめとする宮廷重鎮の列席のもと、ふたりの新教徒が絞首刑にされています。
いずれも権力による「静粛」といっていいでしょう。
残虐な公開処刑
一方、残虐で名高いのは、1609年の国王アンリ4世を暗殺したフランソワ・ラヴァイヤックの処刑でしょう。まず焼きごてで手足を突き、国王を殺した右手を焼き、傷口には溶かした鉛..挙げ句、手足を馬に繋いでバラバラになるまで引っ張らせ八つ裂きにしたのです。
1757年には、ルイ15世を短刀で襲撃したロベール・フランソワ・ダミアンも、ほぼ同じ方法で処刑されています。しかしこの時はなかなか身体がバラバラにならなかったため、すでに何度も馬に引き裂かれて脱臼していた肩と股の腱を切り裂いたという記録も残っています。ダミアンの処刑はたっぷり4時間、そのあいだ老若男女のパリ市民たちはこの光景を興奮しながら楽しんだといわれています。
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血塗られた革命広場
さらにパリでは1789年のフランス革命の時代にも、実に多くの処刑が行われました。
ここで登場するのが、かの有名なギロチンです。ここで登場するのが、かの有名なギロチンです。もともとこの道具は、死刑囚の苦しみを長引かせないために作られたのですが、その特性が別の悲劇を招き寄せることになりました。処刑の効率化です。
(参考:【マリーアントワネットの最後】赤字夫人と呼ばれた王妃の生涯 (フランス革命と処刑編))
ギロチンが猛威を振るったのは、グレーヴ広場から地下鉄で5駅のコンコルド広場。こちらも現在ではエジプトから送られたオベリスクがそびえる美しい広場となっていますが、1793年1月21日に革命で捕らえられたルイ16世、10月6日にマリーアントワネットがギロチンにかけられたのも、当時『革命広場』と呼ばれていたこの場所でありました。
恐怖政治と加速したギロチン処刑
(参考:【フランスの恐怖政治】血塗られた革命者 ロベスピエール)
ただし、ギロチンが進化を発揮したのは、フランス革命後の恐怖政治時代でしょう。
独裁者マクシミリアン・ロベスピエールが疑心暗鬼にかられ、敵と見なした者を片っ端から処刑していくようになったのです。マリーアントワネットの処刑から2週間後には、権力闘争に敗れたロベスピエールの政敵20名が、わずか43分のあいだに次々と首を落とされています。以降も、1795年に撤去されるまで毎月平均100名近く、総計1,343名もの犠牲者がここでギロチンにかけられました。
最悪期には1日に50名もの処刑が行われたというから、それこそ血が乾く間もない「効率的な惨劇」だったといえるでしょう。皮肉なことに、1794年7月28日には、ロベスピエール自身もギロチンで命を奪われています。
(参考:【フランスの恐怖政治】血塗られた革命者ロベスピエールの治世)
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まとめ
革命広場 (コンコルド広場)で行われたマリー・アントワネットの処刑。その後、ジャコバン派による粛清の嵐が吹き荒れた革命広場では、1時間に33人の首を落とすことが可能なギロチンが大活躍したのでした。
1793年11月8日、女性政治家、ロラン・ド・ラ・プラチエール夫人は、ギロチンで首を落とされる間際に「自由よ、お前の名において、なんと多くの罪が犯されることか」と言い残したといいます。今では「花の都」と呼ばれるパリの風景も、多くの罪と血が土台となっているのでした。
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