2022年9月8日、96歳で亡くなった英国女王エリザベス2世。なぜ彼女は王座についたのか、そして世界はなぜエリザベス女王にこれほどまでに敬意を抱いているのか。この記事では、エリザベス女王とは一体どのような存在なのか、女王を支え続け99歳で亡くなったフィリップ殿下の物語とともにご紹介します。
エリザベス王女の誕生
エリザベス女王こと『エリザベス2世』は、1926年4月21日にロンドンで生まれました。父は『英国王のスピーチ』で知られるジョージ6世。元々父は英国王ジョージ5世の次男であり、その娘のエリザベスは王位から遠くあるように思われていました。しかし、エリザベスの叔父エドワード8世の突然の退位でで、一気にウィンザー家の運命は変わります。
急遽王位継承者となって
(参考:【エドワード8世とウォリス夫人】愛のために王室を離脱した英国王の末路)
祖父であるジョージ5世の逝去後、長男エドワードが王位につきました。ハンサムで将来を期待されていたエドワードでしたが、恋人のウォリス・シンプソンと結婚するためわずか1年で王位を退位してしまいます。その後王位は弟へと受け継がれ、『ジョージ6世』としてエリザベス王女の父が英国王として君臨することになったのです。
当時エリザベス王女は10歳で、兄弟は妹のマーガレット王女だけでした。その後も両親には男児が誕生せず、次期王座はエリザベスにまわってくる運命にあったのでした。
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フィリップ殿下との恋愛結婚
(1947年 エリザベス王女、フィリップ王子 (エディンバラ公) と結婚)
第二次世界大戦が終わり、1947年11月20日、エリザベスはギリシャの元王族であるフィリップ王子と結婚します。これは政略結婚ではなく、父帝も認める恋愛結婚でありました。戦争が終わると病に倒れた父帝ジョージ6世の代わりに、当時所有していた世界各地の帝国領を夫妻そろって周遊することになります。
翌年エリザベス(当時は王女)夫妻は、イギリス領であったアフリカへと出向きました。
空港には珍しく父王ジョージ6世が見送りにやってきており、それが父王を見る最後のときとなりました。エリザベスがケニアにいる間に父王は亡くなり、急遽エリザベスが『女王』として帰国することになったのです。
エリザベス女王の治世
即位すると、女王夫妻はすぐに英連邦諸国を1年がかりで周遊しました。
いくつかの植民地は第二次世界大戦後に独立をはたしていったわけですが、その大半は「コモンウェルス」という共同体のメンバーとして留まり続けています。今でも2年に1度の首脳会議などで親睦を深め、女王はその首長として半世紀以上にわたって柱となり続けています。
ヴィクトリア時代には、太陽は沈まないといわれた「大英帝国」は、その後衰退の一途をたどり縮小へと向かっていったのでした。他の植民地帝国とは異なり、酷い独立戦争に至らずそれどころか緊密な関係を保ち続けられているのは、「英国流の植民地統治のあり方とこの女王陛下の存在にある」と言われています。
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エリザベス女王を支え続けた夫
恋愛結婚で結ばれたフィリップ殿下とエリザベス女王。
即位時には、ウィンザーの名前を継ぐのではなく、自分のルーツである「マウントバッテン」の名を継ぎマウントバッテン朝を築くといった無邪気な提案をする明るい男性でした。
朝女王の公務に付き添う夫フィリップ殿下はときに影であることに苛立ちを覚え「紳士会」なるものに参加し遊び呆けることもありましたが、いつも夫婦はいつも話し合いをもち、都度解決を重ね関係を深めていったのでした。ちなみにエリザベス女王の戴冠式をテレビで報道するなど、時代にあわせて「民間人にもひらいた王室」をつくろうと助力したのもフィリップ殿下でした。
ふたりの間にうまれた4人の子供たち
エリザベス女王とフィリップ殿下の間には、あのチャールズ皇太子をはじめとする三男一女が誕生しました。もちろんサポートがあるとはいえ、公務の側4人の子供を生み、育て上げる苦労は並大抵のものではなかったでしょう。
また皇太子の気質にあったイートン校へ進ませたいというエリザベス女王の意向に反し、チャールズ皇太子は「王室人としてだけでなく、強い心をもった人に育って欲しい」という思いから全寮制の寄宿学校への入学を推し進めるなど子供の教育にはフィリップ殿下のつよい意思が反映されていました。
女王の治世は半世紀を越えるわけですが、王室のスキャンダル、特に子供らのスキャンダルには女王も悩まされ続けました。中でもとりわけ大きかったのが、ダイアナ妃に関する一連の事件でしょう。
次々と見舞われたスキャンダルにも
チャールズ皇太子はカミラ夫人と不倫を続け、ダイアナ妃は悲運な事故で命を落としました。女王はこれについて、BBCテレビを通じて演説をおこない、葬儀にも丁重に姿を表しました。
それだけでなく次男のアンドリュー王子も妻セーラとの婚姻関係につまずき、長女のアン王女も離婚に至りました。また女王の実の妹マーガレット王女に至っても、最終的に2度の離婚を経験することとなったのでした。
(参考:イギリス王室に潰された【マーガレット王女とタウンゼント大佐の恋物語】)
古風な風潮が残るイギリス王室でが、王室が好ましくないとする相手とは一緒になれないのが原則でした。其々自由に結婚ができない不満が道を外すことに繋がってしまったのかもしれません。王室にそぐわないとして冷遇をうけたダイアナ妃ですが、唯一外部から嫁いできたフィリップ殿下だけは一歩さがりダイアナの行く末を見守っていたともいいます。それは自分がイギリス王室にはいり馴染むまでの苦労を忘れられなかったからかもしれません。
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まとめ
エリザベス女王とは、
- 1953年から現在2022年に至るまで、現役で君臨し続けているイギリス女王
- 即位前に、ギリシャ王子であったフィリップ殿下と結婚
- 公務に精を出す側ら、フィリップ殿下との間に誕生した4人の母親を努める
- 戦後、君主制に疑問を持つ者もいる中、イギリス王室を導く
- 「大英帝国」の縮小を見守るも、大きな死闘を伴う動乱には至らせなかった
時代の変わり目に、半世紀以上英国女王を勤め続けているエリザベス女王。2015年にはヴィクトリア女王の63年という記録をこえ、イギリス最長統治の君主となりました。
再三スキャンダルに見舞われるイギリス王室ですが、それでもエリザベス女王だけが格別の威光を放っているわけです。エリザベス女王が世界中の尊厳を一心に浴び続けているのは、「王座」という肩書きだけではなく、女王自身の生き様が影響しているからでしょう。またすでに公務からは引退していたものの、2021年4月99歳で亡くなられたイギリスの偉大な父フィリップ殿下。また女王がここまで毅然を公務を続けてこられたのは、フィリップ殿下という唯一無二の存在があったからかもしれませんね。
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