ニコライ皇帝夫妻に取り入り、ロマノフ王朝滅亡の原因をつくったとされる男グリゴリー・ラスプーチン。その後、彼を題材にした多くの小説やドラマが生まれました。
そして現代でも聞かれるのが、「ラスプーチンがニコライ2世の妻アレクサンドラ皇后と性的関係を持っていた」という噂です。皇后とラスプーチンは本当に良い仲だったのでしょうか、この記事ではその真相を探っていきたいとおもいます。
広められた作り話
最初に結論を述べると、ラスプーチンとアレクサンドラ皇后が恋人同士だったという話は真実ではありません。アレクサンドラ皇后は、かなり思慮深いヴィクトリア朝の女性でした。
彼女がラスプーチンにセックスを期待していた可能性はないし、証拠もありません。その情報源となったのは、ラスプーチンとアレクサンドラ皇后の間でかわされた手紙だったといわれています。この手紙を盗み出し公けの場で公表したのはセルゲイ・トルファノフという正教会の修道士でした。革命とロマノフ王朝の打倒を望む左派は、これをもって、
君主制は絶望的に腐敗し、堕落している!
と、君主制の是非を問うたのです。
怪しいペテン師であるラスプーチンに心酔する皇后夫妻に憤慨した右派は、皇后夫妻がラスプーチンを永久追放することを期待して、このような話を広めたとされています。
幼い息子への愛
これは歴史家の中でも、興味深い話だとされています。もちろん、ラスプーチンとツァリーナの間に何らかの性的関係があったと多くの人が推測するだろう理由は容易に理解できます。ラスプーチン自身はかなり淫靡な生活を送っていたことは広く知られており、ロマノフ王朝崩壊前の最後の数年間、アレクサンドラは確かに彼と深いつながりを保っていたのです。
実際、彼女が彼に依存していたこと (そして結果的に彼が彼女に影響を与えていたこと) は広く知られており、世間はそれを認めていませんでした。
しかし、知られている限りでは、アレクサンドラとラスプーチンの深い関係は、彼女の彼への愛に基づくものではなく、幼い息子への愛に基づくものだったと言えるでしょう。
依存の根源
ロシアの王位継承者であるアレクセイは血友病 (血液が正常に凝固しない疾患) を持って生まれ、アレクサンドラはラスプーチンには彼を治癒する能力があると信じていました。息子の痛みがラスプーチンによって緩和されるにつれ、彼女はこの怪しい農夫に心酔するようになっていったのです。そして彼女は、ラスプーチンに前例のない王朝と皇室の問題への立ち入りを許可するようになりました。
とはいえ、『最後の皇帝』を観たことがある人なら、アレクサンドラとラスプーチンの間にロマンチックなものが何もなかったことに懐疑的になるかもしれません。俳優のスザンナ・ハーバートとベン・カートライトの間には多くの性的な駆け引きがありました。しかし、これは役者側の意図的なものだったことがわかっています。史実をもとに、面白く脚色されているのです。
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まとめ
ラスプーチンと深い関係にあったとされるアレクサンドラ皇后。でもそれは性的な興味ではなく、息子への愛と心配が元であったとされています。公けにされた如何わしい噂は、ラスプーチンや彼に心酔する皇后夫妻を陥れようとして作り込まれたものでした。ラスプーチンは貴族たちの反感をかっており、帝国の秘密警察により24時間体制で私生活を監視されていました。実際に皇后と性的な関係があったら秘密にしておけるわけがない、ともいわれています。
しかしラスプーチンと皇帝の妻の間で何が起こったのか、100%の確実性をもって知ることは、おそらく誰にもできないでしょう。結果として、ラスプーチンは皇帝の親戚にあたるユスポフ公に殺され、間も無くしてニコライ皇帝一家は革命派の手により一家惨殺を余儀なくなれます。結局のところ、言い訳をする間もなく無惨な最後を迎えた彼らの真実を今としては知る術がないのでした。
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