【スペインハプスブルク家と奇形】肖像画に描かれた嘘と本当

ハプスブルク家

中世に名を馳せた名門スペイン・ハプスブルク家。偉大な画家たちにより同家の肖像画は多く残されていますが、威厳が付け加えられた君主に、控えめに描かれた顎など、絵画のなかにはいくつか「嘘」があることもまた知られています。この記事では、4枚の肖像画を元に肖像画に描かれた嘘と本当を炙り出していきたいとおもいます。

初代君主カルロス1世

この古代ローマ皇帝の騎馬像を彷彿とさせるのは、スペイン・ハプスブルク家の創始者として君臨したカルロス1世です。スペイン王としては「カルロス1世」と呼ばれますが、同時に神聖ローマ皇帝でもあったため、皇帝としては「カール5世」と呼ばれていました。

この絵を描いたのは、16世紀のヴェネツィア派最大の画家と呼ばれたティツアーノ。彼はカルロス1世とまたその息子フェリペ2世に寵愛されました。肖像画家としてもすぐれていたティツィアーノが、神聖ローマ皇帝としての姿で明君を描いたのがこちらの絵、プラド美術館所蔵の「騎馬像」です。

ここには、プロテスタント諸侯と戦う皇帝の姿が描かれています。右手にもたれた長槍は「カトリックの庇護者」を意味しています。依頼主の機嫌を損なわないよう、絵には最大限の配慮が施されています。カルロス1世はハプスブルク家特有の突き出た下顎を持ち、常に口をひらいた状態だったといわれていますが、ティツアーノはそれをとても控えめに表現しました。

怠惰王と呼ばれたフェリペ4世

さて、先ほどのカルロス1世のひ孫にあたるのがフェリペ4世。怠惰王だったともされる彼の肖像画は、他国の王族の肖像画と比べても豪華さに欠け控えめに写ります

フェリペ4世の甥であり、娘婿でもある「ルイ14世」の肖像画と比べるとそれは一目瞭然でしょう。しかしそれは、スペイン宮廷のエチケットでもありました。小国でしかなかったフランスと比べ、ヨーロッパ随一の名門であるスペイン・ハプスブルク家は、その存在時代に威厳があり、見せかけの豪奢な演出など必要ないという考えだったのです。

しかし2代目フェリペ2世の時代に「陽の沈まぬ国」といわれ恐れ慄かれたスペイン王国も、彼の時代になると衰退の色が濃くなり国内外で問題が多発するようになっていました。唯一芸術を見る目だけはあり、多大なコレクションを築いたことが功績とあげられるフェリペ4世ですが、もう一つの功績は宮廷画家としてこの「ベラスケス」を登用したことでしょう。ベラスケスは威厳のない国王を、しかしその名門であることを肖像画に描き出しました。

当時国王は長らく続いた近親婚の弊害を受け、世継ぎも危ぶまれていました。息子カルロス2世は世継ぎを残せずこの世を去り、スペイン・ハプスブルク朝が終焉を迎えるのはもう間も無くのことでありました。

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青いドレスの王女

フェリペ4世が寵愛したベラスケスが描いた「青いドレスの王女」。

ここに描かれているのは、国王とウィーンから嫁いできた国王の姪マリアナ (叔父姪の関係) の間に生まれたマルガリータ王女です。そしてのちに彼女と結婚相手となるのは、母の弟であるレオポルト1世でした。とんでもなく濃い血縁の中に生まれ、さらに重ねられた近親婚。

レオポルト1世は王女より11歳も年上で、これまた叔父姪結婚でありました。そんな王女の成長過程をベラスケスは何枚も書き残しています。彼の技法により、王女は実際よりも大分大人びて描かれています。有名なこの1枚に映るのは8歳の王女で、ベラスケスの手により大分大人びて描かれています。フィアンセだった叔父から贈られた毛皮のマフを手にしてポーズを取っています。

ベラスケスが描いた王女の姿は、その瞬間の雰囲気などを鋭く捉えており、当時のスペイン王家が置かれた危うい状況を反映させています。というのも、男児が早逝した宮廷では一時期彼女を君主に据えようという案も出ていたほどでした。しかしカルロス2世という「希望の子」が生まれ、彼女は無事叔父の元へと嫁ぎました。

しかし彼女の子供は次々と早逝し、彼女自身も21歳で亡くなってしまいます。弟のカルロス2世も世継ぎなく亡くなったため、スペインの王位継承権は紆余曲折の挙げ句、オーストリアではなく、結局はフランスのブルボン家により継承されることとなったのでした。

美化されたカルロス2世

さて、スペイン・ハプスブルク家最後の君主となったのがこの「カルロス2世」です。

フェリペ4世に寵愛されたベラスケスは、宮廷の咎を共に背負うかのごとく過労で亡くなり、新たに宮廷画家となったデ・ミランダにより描かれたのがこちら「スペインのカルロス2世」しかし、この肖像画は、実際のカルロス2世とはかけ離れた姿であったといわれています。

というのも、彼は生まれたときから病弱で、体力がないだけでなく、知力の方にも問題がありました。実際にはこのように2本の足でしっかりと立つことすら難しかったのです。2度結婚しますが、その姿は妻をも怯えさせ、世継ぎを残さずこの世を去ることとなりました。

彼の障害は、長年にわたって続けられてきた近親結婚のせいだと言われています。カルロス2世は、先ほどのマルガリータ王女と同じく、父王フェリペ4世とその姪の王妃との間に生まれました。

オーストリア・ハプスブルク家とスペイン・ハプスブルク家はこのように密接な関係を保っていました。なぜ両家のあいだで近親結婚が繰り返されたのかというと、ハプスブルク家に並ぶカトリックの名家が他になかったからです。もう一つ、カトリックの名門フランスのブルボン家がありましたが、「フランス」との結婚は王位継承問題に発展する可能性が高く敬遠されていました。

しかし皮肉にもスペイン・ハプスブルク家は世継ぎに恵まれず、カルロス2世の死後は、異母姉マリー・テレーズが嫁いだ従兄弟ルイ14世の孫がスペイン王位を継承することとなったのでした。

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まとめ

絵画の中に描き込まれた嘘と本当。

世界中に植民地をつくっていった栄光の初代から、断絶が危ぶまれる王家に生まれた儚く美しい子供達。画家たちはその背景にある禍々しいものさえもキャンパスの中へと描き込みました。

依頼人の機嫌を損なわないよう工夫をこらし、控えめな栄光をしたため描かれた肖像画たち。スペイン宮廷を描いた絵画がここまで現代人を魅了しているのは、その背景に人間らしい生々しいドラマが隠されているからなのかもしれません。

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管理人

歴史オタクの英日翻訳者。

スペインの児童書「ベラスケスと十字の謎 」に魅了され、世界史に夢中に。読み漁った文献は国内外あわせて100書以上。史実をもとに、絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

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