「絶対に沈まない」といわれた夢の船タイタニック号。ご存知のとおりあれは実話を元にした物語で、人的ミスは多くあれど、事故をさらに悲惨な方向へ傾いたのは乗客分の救命ボートが積載されていなかったからでした。
先に結論を申し上げると、事実はふんだんに盛り込まれていますが、メインとして描かれていたジャックとローズは架空の人物です (モデルは存在するらしい)。この記事では、あの時なにが起こったのか、映画タイタニックの元になった沈没事故の実話部分に焦点をあて解説していきます。
防げなかった海難事故
タイタニック号を処女後悔で沈没へと導いた異常な自尊心と傲慢はいうまでもなく、下層デッキへの浸水を許した設計ミスはそれほど馬鹿げた過ちとはいえませんでした。航路の選択にしてもそうでこの船は、南下してきた氷山に衝突しましたが、本来そこには氷山がある筈がなかったのです。
事故の可能性を無視して、十分な救命ボートの準備を怠った、タイタニック号の設計者と所有者のとてつもない愚かさこそが、あの夜に、1,503人もの尊い命を奪ったのでした。
社運をかけて作られた”究極の船”
当時旅客船戦の悲惨な事故もかなり多く発生しましたが、大半は悪天候や戦時中の敵の攻撃によるものでした。1945年、ロシア赤軍の進出から逃れようとするドイツ人避難民を乗せたヴィルム・グストロフ号は、700〜1万人の死者を出したとされています。これに比べれば、タイタニック号の死者数は少ない方だともいえるでしょう。
しかしタイタニック号の場合は、どこか状況が違っていました。
「絶対に沈まない」とうたったことは、誇大広告の悪しき例として知られています。当時、ホワイト・スター・ライン社はキュナード・ライン社と熾烈な競走を繰り広げており、この競争に何が何でも勝たなければならないとの決意で “究極の船”の建造を決めたのでした。
ちなみに先に結果を述べるならキュナード・ライン社の主要船ルシタニア号も、のちに恐ろしい最期を遂げることとなります。
スポンサーリンク
世界最大の豪華客船
タイタニック号は、大西洋横断航路の独占を目指す、3隻の姉妹船のうちのひとつでした。
建造事業は、ホワイト・スター・ライン社と、造船会社ハーランド・アンド・ウルフ社との合併で進められることとなりました。設計者は造船家のトーマス・アンドリューズ、彼は映画の中でも頻繁に登場し、ローズとも気さくに話しをしていましたね。1万4,000人を動員して、3年がかりで建造されたタイタニック号は当時、動く物体としては世界最大のものでした。
致命的な設計ミス
タイタニック号は全長268メートル、全幅28メートル、喫水線から甲板までは18メートルというまさに巨大船でありました。その長さと高さは、ロンドンのタワー・ブリッジとほぼ同じでした。
29基のボイラーを159個の石炭路で駆動し、最高速度23ノット(時速約42.60km)で大西洋をすばやく横断できるとの触れ込みでした。しかし立派な煙突のうち実際に煙突として使えたのは3本だけで、1本は主に外観を整えるためのものでした。
通常の高級設備に加え、トルコ風呂やスカッシュのコート、エレベータ4基を贅沢に装備。業界誌『シップビルダー』は、タイタニック号をその水密区画室と機能 (実際は悲惨なまでの傷ものと判明)から、「まず間違いなく沈まない船」と評しました。
スポンサーリンク
本当だった救命ボートのくだり
「まず間違いなく沈まない船」
このうたい文句は、またたく間に人を魅了し、とくに1912年4月10日、サウザンプトンからシェルプール経由で処女後悔にでるときは強烈な印象を与えました。3,500人を超える定員に対して、船には2,210人しか乗っていなかったわけですが、それでも人数は予想を超えていたのでした。
1等の船賃は派手な宣伝文句に見合うものでした。ただしやはり大惨事の原因となったのは、乗客が定員の3分の2であるにもかかわらず救命ボートの設備が情けないほど貧弱だったことでしょう。
氷山に衝突して
船の横腹が氷山に衝突すると、水密区画にものすごい勢いで浸水がはじまりました。
浸水したのが4区画まででしたらタイタニック号は持ち堪えられた、ともいわれていますが、船体にあいた穴はとても大きく、6つもの区画室に水が溢れておりました。こうなると、水没を免れることはもはや不可能だったのです。
不幸なことに、浸水が始めってから2時間しても、乗客は事態をはっきりと認識できずにいたようです。1等の乗客は、冷え切った大西洋状の夜に客室を出て木製の救命ボートに向かうことに全く気乗りせずにいました。しかし3等の乗客の大半は、そもそも、救命ボートに乗る機会すら与えられずにいたのです。
スポンサーリンク
死者数が劇的に増えた理由
タイタニック号から氷のように冷たい海におろされた救命ボートのうち、乗客を定員いっぱいまで乗せたものは殆どなく、このことが死者数を劇的に増やすことになりました。
「乗客を救命ボートに乗せ始めるよう」とのスミス船長の命令を受けた時、タイタニックの航海士たちはおそらく事の重大性には気づいていなかったと思われます。というのも、救命ボートの取扱訓練を一度も受けておらず、定員に達した救命ボートでも安全に海上に降ろせることを乗組員は知らされていなかったのです。
安全よりも快適さ?
そもそもなぜ救命ボートの数が、こんなにも削られていたのでしょうか。
船は年々大型化するのに対して、救命ボートの要件はそのままでした。タイタニック号でいえば、救命ボートを合計48隻積むように設計されましたが、ホワイト・スター・ライン社は乗客の快適性と見栄えを重視したのです。
救命ボートを増やせば甲板が雑然とし、見栄えもよくないと数は減らされていたのです。これも映画でローズが指摘していましたね。ハーランド・アンド・ウルフ社は救命ボートの増設をホワイト・スター・ライン社に訴えましたが、最終的に受け入れられることはありませんでした。
なぜか生き延びた社長
それだけではなく、救命ボートに関する訴えを退けたホワイト・スター・ライン社の社長兼会長イズメイは、氷山が出現すると報告されていた航路を全速力で航行し続けるようスミス船長につよく要求したとの通説も残されています。
イズメイは本人いわく「自分でも気付かぬうちに、数少ない男性のひとりとして”ほとんどたまたま”救命ボードに乗っていた」のでした。しかし最終的には、この大惨事の中を生き延びた上、ホワイト・スター・ライン社の親会社の重役として残っています。
彼はその後25年間生きることになりますが、本当は船もろとも沈んでいればよかったと思っていたかもしれないー というのは、あらゆる人々から事故の責任を問われることとなったからです。
社長のその後
彼への批判はすさまじいもので、テキサス州のイズメイという街は名前に嫌悪して改名するといった始末でした。また彼を「あいつは欲望に呑み込まれたケダモノだ。自分のことだけ考えているうちに、人間らしい心が退化したのだ」と批難する人もいました。
事故から1年後、イズメイはホワイト・スター・ライン会長辞任を余儀なくされます。さらに親会社の国際海運商事内でもイズメイへの批判が高まり、国際海運商事の取締役も辞することになりました。2014年の撮影以降、イズメイは西アイルランドのゴールウェイ県に購入した邸宅で隠遁生活を送るようになりました。夫人はよく「タイタニックは私たちの人生を破滅させた」と語っていたそうです。
スポンサーリンク
まとめ
この大惨事をうけて、救命ボートの増設や海難救助信号の改善、船舶間の24時間の無線通信など多くの海事法が導入されることになりました。ちなみにタイタニックが積んでいた救命ボートは、わずか20隻のみ。その内訳といえば、定員65名の標準的な木製ボードが14隻、それよりも小さな定員40人のカッター型木製ボートが2隻、船底は木、側面はキャンパス地でできている粗末なものでした。
20隻すべての定員を足しても、乗れたのは最大で1,178人。つまり、タイタニック業のすべての救命ボードに定員いっぱいまで乗せたとしても、乗客2,210人のうち、1,032人が乗れなかったことになります。
ところが実際はそれよりもはるかに多くの人々が沈んでいく船に取り残されたのでした。それはほとんどの救命ボートが、満員にならないうちに冷たい海へ降ろされたからです。
この大惨事の原因となったのは、単に救命ボートが不足していたからというわけではなく、乗務員の無知さであり、船社を含む建造者らの傲慢であり、安全神話と誇大広告に欲をかき、安全よりも快適さを優先した結果だったといえるのかもしれません。
関連記事
- 映画では語られなかった、タイタニックにまつわる3つの物語
- 完全なる人災 | 映画タイタニックでは語られなかった5つのこと
- 【韓国映画パラサイト】にみえた超高学歴、競争社会の深すぎる闇