誰もが一度は目にしたことのあるムンクの『叫び』。この記事では、この名画の背景にある魅力的なストーリー、あまり知られていない10のことをご紹介します。
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① 『叫び』はひとつではない
『叫び』の絵画は2点あり、ひとつはオスロ国立美術館に、もう一つはムンク美術館に飾られています。その他にパステルで描かれた2点、版画バージョンが数点確認されています。1895年のパステル画は2012年に競売にかけられ、取引額は7400万ポンドに達し、これまでに販売された芸術作品の中で最も高価なものの一つとなりました。
② ムンクは、1893年に初めて『叫び』を描いた
ムンクが最初に公開したのは、絵画の『叫び』でした。そして2年後、彼はこの作品を基に版画バージョンを作成し、下にドイツ語で 『叫び』 というタイトルを印刷しました。版画は彼の芸術家としての国際的な名声を確立する上で中心的な役割を果たしたといわれています。
③ 盗まれたのは、1回ではなく2回
1回目は1994年、泥棒たちはオスロのナショナル・ギャラリーに窓から侵入し、ムンクの「叫び」を持ち去りました。幸運にもそれは3ヶ月以内に戻ってきました。しかし2004年、今度は武器を持った武装集団がムンク美術館に侵入し、『叫び』の別バージョンとマドンナを盗んだのです。
犯人は逮捕されましたが作品は行方不明のままで、発見されたのは2年後の2006年のことでした。損傷をうけていましたが、2008年には修復が完了し展示が再開されました。
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④ ムンクは修復を望まなかった?
絵画が無事ムンク美術館に戻ったあと行われた修復と保存のプロセスは、皮肉なことに、作者を本当に喜ばせたかというとそうではなく。ムンクはおそらく、この時期に描かれた絵画の足跡を、芸術的発展の一環として見ていたことでしょう。彼は『作品がどのように進化し、変化してきたか』を人々に見てもらいたかったし、自然なプロセスとしての途中で受けたダメージを見てもらいたかったのです。
⑤ 1892年に描かれた絶望のスケッチ
1892年の絶望を描いたこのスケッチは 「叫び」 の前に描かれたもので、ムンクが 「自然の中を引き裂かれた悲鳴」 の直前に感じた孤立の瞬間を描いた、といわれており、彼は自分が感じた恐怖を次のように説明しています。
私は二人の友人と道を歩いていた。日が沈みかけていて、突然空が赤く染まった。わたしはとてつもない疲れを感じて、フェンスに寄りかかった。青黒のフィヨルドと街の上には血と火の舌が流れていた。友人たちは歩き続け、私は不安に震えながらそこに立っていた。そして無限の叫び声が自然を通り抜けるのを感じた。(エドワード・ムンク)
『叫び』は、ムンクが1893年に初めて公開した『The Frieze of Life』の中で最も有名な作品です。 日本語で『生命のフリーズ』と呼ばれるこのシリーズは、 フリーズの装飾のように、自分の作品をいくつかのテーマによって結び合わせていこうという試みでした。
⑥ 真ん中の人物は、叫んでいるわけではない
ムンクは、叫び声は周囲から聞こえてものだといいました。つまり、絵の中心にいる人物が叫んでいるわけではなく、『叫び声に恐怖を感じている姿を描いた』ものだったのですね。実際に1895年の作品下にはドイツ語で 「大きな叫び声が自然を通り抜けるのを感じた」 と書かれています。ムンクのがつけた当初の作品名は 「The Scream of Nature (自然の叫び)」 だったそうです。
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⑦ モデルは特定されていない
この人物は、周囲から聞こえてくる「悲鳴」を遮断しようとしています。人物としては特徴がなく、性別がないように見えるため、個人は特定されていません。おそらく、それが不安の普遍的なシンボルとなった理由のひとつではないでしょうか。スポンサーリンク
⑧ 日常生活に浸透し、絵文字化された数少ない作品の1つ
この印象的で力強い表現は日常生活にまで浸透しており、絵文字にもなった数少ない芸術作品のひとつです。ちなみにもうひとつは、葛飾北斎の『 Great Wave (富嶽三十六景 神奈川沖浪裏)』だといわれています。
⑨ 『叫び』は万能、ときにはポップアートに
漫画や映画まで『叫び』は人々を魅了し続け、現代の文化に大きな影響を与え続けています。イギリスの芸術家ピーター・ブルックスは、この絵を基にポップアートを作成、2017年タイムズに掲載されました。
⑩ 『叫び』はミイラにインスパイアされた?
この印象的なこの頬に手をそえたポーズは、ムンクが1889年にパリのトロカデロ民族誌学博物館におとずれたときに展示されていた『中空の目をしたペルーのミイラ』の記憶にインスパイアされたものだといわれています。
また、ムンクの友人であったゴーギャンもミイラに影響を受けており、1888年にアルル滞在時に『ぶどうの収穫、人間の悲劇』を描きました。
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あとがきにかえて
ムンクは幼い時に家族を病気で亡くしており、トラウマか『叫び』のような幻覚をみたりと精神的に支障をきたしていました。また同じように精神病で苦しんだゴッホの作品にも、大きく影響を受けていたそうです。同じように晩年、ムンクもまた精神病院へ入院します。
きっかけはアルコール依存症から脱するためだったといいますが、8ヶ月ほど入院すると彼は正気を取り戻し、その絵柄も明るいものへと変化しました。
ただ家族を失う悲しみがあまりに大きかったのか、愛人はたくさんいたものの「家族」をもつ気分にはなれず、生涯独身を貫いたそうです。それでも精神病はなかなかデリケートなものですが、入院を持ってよくなるものなのですね。ゴッホの作品も精神病院にはいってからは穏やかなものが多いので、もしかしたらきちんと治療を受ければ狂気からも人は抜け出せるものなのかも….ゴッホについては、(【心優しい魂と耳切り事件】ゴッホのひまわりを楽しむための10のこと)にまとめております。でもムンクの幻覚や幻聴がなければこの素晴らしい作品は世の中に降り立つことはなかったのですから、なんといいますか、皮肉なものです。
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参考文献
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