2020年6月から開催となった、上野国立西洋美術館のロンドン・ナショナル・ギャラリー展。「英国が誇る至宝、奇跡の初来日」をキャッチフレーズにしたこの展覧会ではゴッホのひまわりが来日しました。この記事では本物を思いっきり味わうための事前知識としまして、ゴッホのひまわりを楽しむために、知っておきたい5つのことをご紹介します。(※特別展は既に終了しています)
ゴッホのひまわりは12枚
(画像引用元:Wikipedia ひまわり)
フィンセント・ファン・ゴッホはいくつも名作を残していますが、もっとも有名な作品の一つとして、ひまわりシリーズがあります。
彼はこれらのキャンバスを合計12枚描きましたが、最も一般的に言及されているのは1888から89年にアルルで描いた7枚です。実はパリにおいて制作された5枚を含めて合計で12点とする定義がありますが、これは花瓶に挿されていない構図も含めています。
なぜひまわりか
フィンセント自身は、「なぜヒマワリが特に好きなのか」を具体的には語らなかったとされていますが、彼の手紙には多くヒマワリのことが書かれていました。1888年8月21日付けの妹への手紙の中で、ゴッホは友人のゴーギャンがアルルにある黄色い家に一緒に住むこと、そして部屋に「ひまわりの絵」を飾るつもりだいうことを話しています。
パリとアルルのひまわり
(パリで描かれたひまわり)
ゴッホが1886- 88年にパリで弟のテオと住んでいた2年間の活動についてはほとんど知られていません。彼がパリでも『ひまわり』を描いたことが明らかになったのは、1889年の春でした。
ゴーギャンがアルルをパリに発った後に残した研究と引き替えに、アルルの作品の一つを発表したときのことです。パリのひまわりは二輪や四輪の花がさりげなく表面に並べられており、アルルのひまわりは花瓶に生けられた構図が特徴です。
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ひまわりを描くゴッホの肖像
ゴーギャンによる、ひまわりを描くゴッホの肖像(1888年11月)
展覧会で知り合い、やがて文通をするようになったゴッホとゴーギャン。
金銭的に困っていた彼にゴッホは一緒に住むことを提案します。「一緒に住むのならばゴーギャンの絵を買いましょう」という弟テオの申し出もあり、ふたりはアルルで一緒に過ごすようになります。ゴッホがひまわりを描く姿が、彼の絵画に刻まれています。
黄色に隠された秘密
『収穫』(麦秋のクローの野)1888年6月、アルル
ゴッホはアルルで様々な絵を描きましたが、そこで彼は作品に「黄色」を多く吹き込みました。ゴッホの作品に黄色が多用されているのは、てんかんに対して処方されていたジギタリスの副作用 (黄視症) の影響と主張する学者もいますが、実際のところゴッホは『黄色は幸せの色』だとして、好んでつかっていたようです。
事実として、ひまわり以外にも緑の野原を黄色に描いている作品があったり、また一時ゴッホが寝泊まりしていたカフェにも黄色がたくさん使われています。この時からゴッホは得体のしれない恐怖を感じていました。
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まとめ
ゴッホは1890年若者から盗んだ拳銃で、自分の胸に狙いを定めて引き金を引いたといわれています。即死ではないものの、そこから一気に衰弱。明くる日の正午にテオが到着、最期のときが近づくとテオはゴッホが寝ているベッドにはいりこみ、その頭を両手で抱えたそうです。
翌日未明、ゴッホは静かに息を引き取ったのでした。けして人付き合いが得意でなかったゴッホ、けれどその旨に次々とあふれる強い感情を誰にも真似できない方法で作品にぶつけ抜いた人生でした。死後100年たった今も見る者の心を震えさせるゴッホの絵画たち。孤独に苦しんだゴッホが、ゴーギャンと出会い描いたひまわり。2020年の来日がとてもたのしみですね。
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