産業革命が進み交通機関が発達したことで、イギリスの製品だけでなく文化も世界へ広まっていきました。ヴィクトリア朝時代、イギリスの存在を世界に知らしめただけではなく、イギリスは英語圏 (※) において文化の中心地でもありました。ヴィクトリア時代に上演された作品や、出版物は豊かで変化に富んでいたのも特徴のひとつです。この記事では、ヴィクトリア時代の芸術文化と、ファッションについてみていきましょう。
ヴィクトリア朝のファッション
常にうつくしくファッショナブルな装い
ヴィクトリア朝時代のファッションは、階級などのステータス、富、美しさを象徴するものでありました。どちらかというと見た目が重視で、ドレスとスーツのレイヤーは実用的ではなく (時には不快でさえありましたが) 常に美しくファッショナブルでした。
ヴィクトリア朝における女性ファッションは、大きなドレス、ポークボンネットにささやかなカバーが特徴です。逆に男性には、色やパターン、シックなど堅苦しいものが好まれました。時代の終わりにはよりシンプルなシルエットが流行となり、次のエドワード朝時代には新しいファッションが浸透していきます。
ヴィクトリア時代のファッション画像
ドレス、アンダーウェア
靴、帽子、アクセサリー
ファッションの歴史的背景
ヴィクトリア朝 (1837年から1890年頃) は、英国のヴィクトリア女王 (1819年から1901年) にちなんで名付けられました。女王の統治機関は60年以上とながく、女性にほとんど権力や機会が与えられなかった時代に、とても大きな影響力を持っていました。当時女性の立場はとてもよわく、男性が圧倒的に優位な立場にありました。とくに若い女性は、父親や夫の希望に柔軟に従うことがよいとされ、おとなしくて温和であることが求められたのです。
女性の仕事といえば、若い女性の教育、家庭教師、家事、そして後に工場労働や工場労働に限られていました。もちろん、農村の女性は農場で生活すれば十分な仕事がありますが。家内工業でお金を稼ぐ女性もいましたが、産業革命で糸を紡いだり、家でレースを作ったりすることはなくなりました。
ヴィクトリア朝の文化芸術
豊かで変化に富んだ創作物の数々
高潔なヒロインと邪悪な悪役、複雑な筋書きが登場するメロドラマは、初期に最も重要で人気のあったジャンルでした。その後は、愛憎というよりセンセーショナルなドラマが流行します。
もっと人気があったのは音楽ホールで、歌、ダンス、寸劇などさまざまな作品が上演されました。1850年代から広がり始め、1870年代までにはイギリス全土で数百人を魅了し、一部では数千人が客席にあつまりました。音楽ホールはあらゆる階級の人々を魅了したことでも知られています。
識字率もあがり、出版が活性化
識字率が比較的高かったため、出版物も多様で大規模になりました。何百もの雑誌や新聞がずっと安い値段で手に入るようになったのす。1880年代には “新しいジャーナリズム” が登場し、上流社会の凶悪犯罪やスキャンダルを特集しました。小説はヴィクトリア朝時代の活字文化のもう一つの特徴です。
世紀半ばまでにはあらゆる階級のイギリス人が小説を買う余裕ができ、読むことができました。高学歴で裕福な人々をターゲットにしたものもあれば、魅力的で刺激的な記事を求める低学歴の読者をターゲットにしたものもありました。
あとがきにかえて
産業革命は投資家、実業家、商人に新たな富を与えて、『自らの地位を誇り、自らの富を誇示する新たな中産階級』を生み出しました。女性は美しいドレスをまとい、ヴィクトリア朝時代の美しいドレスやスタイルで晩年の賑わいまで、その多くを身に着けました。
産業革命はたしかに新しい工場や工場の労働者で満たされた町や都市として、新しい都市を作り出しました。しかし富める人たちがまとったその美しいテキスタイルの裏に、下働きの女性が厳しい、汚い、そしてしばしば危険な状況で長時間労働をしていたことも覚えておきたいものです。光の裏にはいつも闇が隠れているのでしょう。
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