【ヴィクトリア女王の秘密の恋】晩年に宮廷を悩ませた使用人との怪しい関係

イギリスの歴史

「大英帝国」を築き上げイギリスの地位を格上げしたヴィクトリア女王。晩年孤独のなかにあった女王の慰めとなったのがインド人の使用人アブドゥル・カリムでした。しかし身分違いの彼との不適切な関係はよく思われず、「女王は正気を失ったのではないか」といわれるほど宮廷内では批判の的となりました。この記事では、ヴィクトリア女王が晩年を捧げた「怪しい関係」についてみていきたいとおもいます。

この記事のポイント
  • 愛する夫を亡くし子供達との関係も悪化、孤独の中にいたヴィクトリア女王
  • 彼女の愛情は、インド人の使用人アブドゥル・カリムへと向けられた
  • 批判が集中するも、女王は狂ったように使用人らを寵愛し続けた

愛する夫を亡くして

18歳で英国女王に即位し、精力的に公務に励んできたヴィクトリア女王。女王は生涯の前半では公務を精力的にこなしていましたが、1861年12月、愛する夫アルバート公を失ったあたりから人生の雲行きが怪しくなっていきます。また、長男のバーティ王太子をはじめ子供達との関係も悪化し、女王は宮廷の因習と孤独の中に置かれることとなりました。

恋愛結婚だったヴィクトリア女王、夫を亡くしたショックはあまりに大きく、公務全般がおざなりになり、公式の場に出ることを女王は拒否するようになりました。そして、ありあまる時間と気力を、膨大な数の使用人との関係に使うようになったのです。

アブドゥルの存在

若い頃からヴィクトリアには、不思議な「威厳」があったといわれています。話が巧みであり、悪く言えばとても強情な女性だったのです。しかしそんな素質の持ち主であっても、男性優位の社会で頂きとなる「女王」という立場にあり続けることはなかなかに困難でした。

そんな女王が慰めとしたのが、彼女だけを特別に思い、尽くしてくれるナイトの存在でした。夫であるアルバートの死後、「ナイト」の役割は様々な従者たちに引き継がれていきます。そのうちのひとりが、1887年にイギリスにやってきたインド使用人のアブドゥ・カリムでした。

女王を虜にして

(ヴィクトリア女帝のインド人侍従アブドゥル・カリーム)

映画にもなった「ヴィクトリア女王 最期の秘密」にも描かれた通り、女王が慰めとしてとくに寵愛したのがインド人の使用人アブドゥル・カリムです。未知の文化に溢れ、監修に囚われないアブドゥルに強く惹かれた女王は、彼を息子のように可愛がり寵愛するようになりました。

このとき、ヴィクトリア女王は69歳。即位50周年記念式典に集まった各地の王族にはインドからやってきたマハラジャたちもおり、アブドゥル・カリムはその使用人たちの中にいました。

女王は元気であったものの、リウマチや消化機能の悪化、そして不眠などの不具合を感じ始めてもいました。時に弱気になるビクトリア女王の心の隙間に入りこんだのがアブドゥル・カリム細身でエキゾチック、ハンサムな彼の容貌に女王は魅了されてしまったのです。

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宮廷の反感

女王のインド贔屓は明らかに高まっていき、アブドゥルを旅行に同伴させる等、厚遇するようになります。その結果、二人は周囲の反発を買うようになっていきました。

やがて女王はアブドゥルを、老師を意味する「ムンシー」という尊称で呼ぶようになります。アブドゥルは女王には優しく振る舞いましたが、他の給仕への態度はどんどん傲慢になっていきました。他のインド使用人、さらにはイギリス使用人たちへはもちろん、紳士淑女たちにも傲慢な態度を貫き、反感の嵐を宮廷に巻き起こすようになったのです。

実は小悪党?

アブドゥル自身は、女王に隠れ怪しい商売を行っていた形跡があるといわれています。成人男性なら1万2,000〜1万5,000人ほどの致死量に相当する毒薬を、「インドにいる彼の父のもとに送ってくれ」と女王つきの医者ジェームズ・リードに頼んでいたというのです。

これらの証拠を突きつけられたヴィクトリア女王は、アブドゥルへの不適切な寵愛をやめるよう批難されていたのですが、女王は自身の言動を改めることはありませんでした。 やがてヴィクトリアの異常な執心について、侍医のリードは諦めた口調でこういったといいます。

陛下は明らかにアブドゥルの正体に気づいている。

それなのに、彼に執着している。

 

所詮、アブドゥルは小悪党に過ぎないのですが、最大の問題いはヴィクトリア女王にあったといます。アブドゥルやその一党の問題点を突かれると女王は、

それは人種差別ですよ!

などといって激昂したのです。

周囲の反対

アブドゥルにインドのマハラジャにも与えたことのない高位の勲章を与える女王を周囲の誰も止めることができませんでした。ついに勲章持ちになったアブドゥルは、イギリスの貴族に準じる存在になりましたそしてヴィクトリアは宮廷の紳士淑女に、彼とともにテーブルを囲むよう命令するようになったのです。

しかし納得しているのは女王だけで、周りにその気はありませんでした。しかしそれを拒否されると女王は怒りのあまり自分のデスクにあったインクやペン、香水瓶といったものすべてを床に払い落として暴れるのです。

しかしヴィクトリアは、アブドゥルがやがて、宮廷での立場を失うことを予期していたのでしょうか。女王は自分の死後、インドに送還されるであろう彼に土地と豪華な屋敷を買っても余りあるだけの大金を与えていました。しかし、アブドゥルへの異常な寵愛も、女王自身の加齢による病状の悪化によって薄れていくようになります。

女王の死を受けて

しかしヴィクトリア女王の「従者への執着」が終わったかというと、そうではありませんでした。アブドゥルへの興味が薄れるも、女王の最後の「ナイト」となったのは、女王に20年以上尽くしてきた侍医・リードでした。

1901年1月にヴィクトリアが亡くなると、アブドゥルにも葬儀に参列し、棺の中の女王に最後の別れを告げる許可がおります。しかし、アブドゥルのインドへの送還は早々に決定宮中にあったアブドゥルに関するものは新国王となったエドワード7世の命を受けほとんど捨てられてしまいました

また、かつてヴィクトリアの心を支配していた馬丁のジョン・ブラウンやアブドゥルといった使用人との不適切な関係の記録が後世に残ることを危惧したヴィクトリアの娘のベアトリス王女は、女王の日記の大部分を破棄したのでした。

まとめ

子供達の「整理」によって、ヴィクトリア女王と従者らの関係については、本当のところをついに知ることはできなくなってしまったのでした。しかし、日記が始末されてもなお、これだけのことがわかっている時点で、すべては推して知るべしでしょう。愛する夫を失い、子供たちも独立した後、ヴィクトリアのような精力的な女性が次に自分の愛情を傾ける対象を間違えた場合、そこに現れるのは悲劇しかないのでしょうか。

イギリスの地位を格上げし、「大英帝国」を築き上げたヴィクトリア女王。多大なる功績の裏で、闇に葬られた不都合な事実は数百年後に映画として全世界に取り上げられ公知の事実となったのでした。

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管理人

歴史オタクの英日翻訳者。

スペインの児童書「ベラスケスと十字の謎 」に魅了され、世界史に夢中に。読み漁った文献は国内外あわせて100書以上。史実をもとに、絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

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