狂気の天才といわれた画家フィンセント・ファン・ゴッホ。わずか37歳という若さで自ら命をたった彼の生涯は、精神病や仲間との不破にくわえ絵はまったく売れず見向きもされないという、とても苦しいものでした。
大人になるほどに、なぜかどうしようもなく心を揺さぶられる彼の絵画。今日は「無価値」だと捨てられたのに、死後にその価値が何十億、何百億円へと跳ね上がった、無類の天才画家、ゴッホに纏わる5つの知識をご紹介します。
ゴッホの死後にまつわる5つのこと
① 生存中は、見向きもされなかったゴッホの作品
ゴッホが生きている間、彼を偉大な芸術家だと認める人はほとんどいませんでした。ゴッホは時々彼の作品をアートワークを贈っていたのですが、ほとんどの人は彼の絵画作品の大部分を捨てていました。ゴッホの母親でさえ、息子から受け取った絵のほとんどを捨てていたそうです。また、ゴッホ自身も気に入らないものがあれば、すぐに捨ててしまっていました。彼の死後、それらの作品がどんなに有名になり、どれほどの価値がつくか誰も想像していなかったのです。
② 手紙が、ゴッホの生涯を知る手がかり
ゴッホは引きこもりがちで、あまり多くを人に語ることはありませんでした。実際、私たちが知っているフィンセント・ファン・ゴッホついて知っているほとんどは、この手紙から研究されたものです。彼は友人たち、主にポール・ゴーギャンとエミール・バーナードに800通以上の手紙を書いていました。
手紙には殆ど日付が記載されていなかったのですが、歴史家はヴァン・ゴッホの生涯の断片を埋めるために年代順に書き入れています。これに加えて、ヴァン・ゴッホは兄のテオに600通以上の手紙を書きました。そして幸いなことに、人々はこれらの手紙を保管していたのです。
③ 医師ガシェの肖像は、のちに124億5000万円で落札された
人々がフィンセント・ファン・ゴッホの芸術に興味を持ち出したのは、彼の死後のこと。なかでも高値がついたのは、『医師ガシェの肖像』です。モデルとなったポール・ガシェは、パリ近郊に住むのオーヴェル=シュル=オワーズ在住の精神科医でありました。彼は週に数度パリで診察を行っていたのですが、1890年3月に初めてゴッホの診察し、健康回復のために彼をオーヴェールに招きました。
(ポール・ガシェ1828年 – 1909年)
ゴッホが自殺した後、弟テオはフィンセントの友人や他の何人かを招待して、形見分けをおこないました。各々が、彼を思い出せるような作品を選んだのです。ガシェ医師と、彼の息子がきたとき、彼らはいくつかの絵を手元に残しました。息子は何十年もそれらを保管していましたが、最終的には博物館に寄贈。この絵は1990年5月15日にクリスティーズでの競売で、当時史上最高落札額の8250万ドル(当時のレートで約124億5000万円)で、大昭和製紙名誉会長の齊藤了英に競り落とされたことでも有名です。
④ テオはヴィンセントをガシェ博士に助けを求めて送った
フィンセント・ファン・ゴッホは、生涯を閉じる最後の3ヶ月をパリから約20マイル離れたオーヴェルシュルオワーズで過ごしました。5月、オーヴェールに着いたゴッホはガシェ一家と親しくなります。ここで再び創作意欲がよみがえったゴッホは、村の風景や村人たちを描きガシェ自身もモデルとなりました。
ガシェ医師は、テオが信頼し希望をよせた医師は、ゴッホと同様に芸術家であり、貿易商でもありました。彼らは同じ種のキャリアを持っていたので、テオは彼らがつながることができると信じていました。実際にゴッホは7月末に自殺を図り大怪我を負って死去するまでの2か月間、この村で80点ほどの作品を残しています。ゴッホはガヴェル博士から治療を受けながらオーヴェルに滞在したのですが……、残念ながら、ガシェ医師でも1890年7月に自殺したゴッホを助けることはできませんでした。
⑤ ゴッホが有名になった影に、テオの嫁(義妹)の存在
ヨハンナ・ファン・ゴッホは、1862年にアムステルダムで生まれました。そして1889年頃にゴッホの弟テオと結婚し、息子を授かりました。しかしヴィンセントの死後、テオは精神病を患い間も無くして亡くなってしまいます。そのため彼女は、ゴッホが残した絵からお金を稼ぐ術を見つける必要があったのです。使命をおびた彼女は、ヴィンセントがテオに描いた手紙のすべてを同封しました。残念ながら、彼女もゴッホが現在これほどまでにゴッホが有名になるのを見届けることはできませんでした。
しかしテオと彼女の息子がその使命を継ぎ、アムステルダムにヴィンセントファンゴッホ美術館の設立を手伝うことになります。彼女がいなければ私たちがゴッホの生涯を知ることも、これほどまでに心揺さぶる絵に出会うこともなかったでしょう。
あとがきにかえて
ゴッホの絵画には、出会ったものがどんどん絵画に反映されていく面白さがあります。農民の生活を慈しみ、印象派との出会いで作品に光がはいり、アルルでは田舎を愛し、黄色を好んでひまわりを描き、精神病院では目にみえたものをキャンパスに描き込んだ。
大人になると、なかなか自分を変えられないと人は悩むものですが、ゴッホは素直に「よい」と思うのもを取り込んでいった。その純粋無垢な素直さと、もがき苦しむほどに持て余したパワーが絵にこめられているような気がしてならないのです。新型コロナウイルスの影響で開幕延期となっていた『ロンドン・ナショナルギャラリー展』ですが、2020年6月より開催日が変わって公開がはじまりました。そのなかには、ゴッホの『ひまわり』も来日しています。ぜひ貴重なこの機会に、ゴッホの実作品を目にしてみてはいかがでしょうか。
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