オカルト的な観光名所となっているウィンチェスター家の邸宅。一見よくある大邸宅ですが、これは悪霊たちの住居であり、内部は人が住めるような造りにはなっていません。この記事では、ディズニーランドのホーンテッドマンションにも影響を与えたといわれる、ウィンチェスターミステリーハウスをご紹介します。
ウィンチェスターハウス創建のきっかけ
この家を建てたのは、銃で巨万の富を築いたウィンチェスター家。
19世紀前半に登場したライフル銃ですが、西部開拓時代南北戦争時代とライフル銃は広まっていきました。南北戦争前の1857年に武器工場を買収し、拳銃の生産をしていたオリバー・フィッシャー・ウィンチェスターは、南北戦争後、連射システムを持つライフル銃のパテントを取り、「ウィンチェスターライフル」の生産を始めました。
そして、息子ウィリアムがこの銃を西部へと売り捌き、ライフル銃ビジネスは巨万の富をもたらしたのです。さらにウィンチェスターライフルは合衆国軍の公式銃としても第一次世界大戦まで採用されていました。
このウィリアムの成功により、19世紀末のアメリカでウィンチェスター家の資産は2,000万ドルを軽く超えていたといわれています。1ドル100円としても、20億円という数字ですから、現在の貨幣価値に換算すれば軽く「1,000億円」を超えると考えられています。
妻が拠り所とした霊媒師
新興国アメリカでのし上がったウィリアムは、4ヶ国語を話す才媛 (さいえん) で名門の娘サラ・バディーと結婚、やがて娘が生まれました。
順風満帆の人生を歩んでいたのですが、1866年に生まれた女の子は生後わずか1ヶ月でこの世を去ります。悲しみに打ちひしがれたウィリアムも、間もなく結核にかかり若くしてその人生を終えました。この夫婦には他に子供がいませんでしたので、彼が亡くなった瞬間、サラは億万長者となりましたが、彼女の悲しみを癒すものは何もありませんでした。
このときもうひとり、哀れにも天国から地獄に叩き落とされた人物がいます。それは残された妻のサラ・ウィンチェスターです。悲しみのあまり愛しい娘と夫に会いたくてサラが拠り所としたのが、当時降霊会が盛んになり、社会的地位を確率しつつあったボストンの霊媒師でありました。
悪霊を鎮めるための邸宅づくり
19世紀末といえば、死者を映し出す霊媒写真家がもてはやされ、心霊実験が盛んに行われていたオカルトブームの最中でありました。そんな中、ボストンの霊媒師はウィンチェスター夫人に向かってこう告げたのです。
あなたには銃のせいで死んだあまりにも多くの魂が悪霊となって取り憑いています。あなたは西海岸にいって、あなた自身とその銃で亡くなった人たちの霊のために家を建てなさい。
昼も夜も家の建設を止めてはなりませんよ。
さもないと、あなたも死ぬことになるでしょう。
サラは恐れ慄き、1883年にコネチカット州ニューヘイブンにある自宅を出て、サンノゼの農場に引っ越しあらたに屋敷を建て始めました。以後、サラは1922年に亡くなるまで40年にわたって家を建て増し続けました。そしてついには、迷路のように160もの部屋が延々と繋がった、つぎはぎだらけの不気味な屋敷が出来上がったのでした。
ウィンチェスターハウスの内部
建物には最高級の材料が使われており、暖炉は47個、階段は40ヶ所に設けられ、たくさんの居間や台所などが「霊の指示」に沿ってつくられており、邸宅の住人でさえも地図なしでは歩けないものでした。
元々風変わりな性格であったか、それとも悲しみがそうさせたのか、サラの悪霊封じの方法はとても細部にこだわるものでありました。サラは13という数字を悪霊が嫌がるものとして多用し、階段は13段、天井には13枚の板、あかりに使うろうそくもいつも13本。広大な屋敷にひとつしかないシャワーは13番目のバスルームに設置という具合でした。
霊を封じつつも喜ばせる志向もあり、悪霊が喜ぶであろうとサラが信じていた「蜘蛛の巣」が多く描かれていました。ティファニー製のガラスにも蜘蛛の巣柄が装飾させたのは、悪霊を喜ばせることで自分へ降りかかる危険を断つための工夫を徹底的施していたのです。
(窓ガラスに描かれた蜘蛛の巣)
精巧なデザイン
ウィンチェスターハウスのグランドボールルームは、この家で最も高価な部屋です。
1800年代後半に建設された当時の建設費は9,000ドル以上で、当時の住宅一軒の約3.5倍だったといわれています。その家はついに完成することはありませんでしたが、その華麗なデザイン、建築、伝説は、超自然の存在を象徴する歴史的シンボルとなりました。
調度品やディティールへの細部までわたるこだわりは、ディズニーのホーンテッドマンションのボールルームのデザインにも影響を与えたほどでした。
どこにも通じないドア、突然終わる階段、家の中に作られた窓、家の中で異様な雰囲気を醸し出す細かいデザイン要素。最も完成度の高い邸宅は2つの地下室、47の暖炉、161の部屋を持ち、7階建だといわれていますが実際の設計図はありません。
その家の建築のややこしい性質のために、部外者はその家に何かが憑いていると感じることも多かったとか。メディアに取り上げられたことで、多数の死者が出たり、謎に満ちた失踪の舞台と言われることもありますが、実際にこの中で誰かが死亡したという証拠はありません。
スポンサーリンク
ウィンチェスターハウスの秘密
悪霊が住み着く館として知られているウィンチェスターハウス。しかし実は、この家が人々を死に至らせたという具体的な事実も、精霊が他の人々をはるか彼方に連れて行ったという事実も、また謎のようにドアや壁を動かしたことで壁の中で迷わせたという事実もありません。奇談や怖い噂は、ウィンチェスター・ミステリー・ハウスを描いた数多くの映画を通して強調されてきたのはすべて推測でしかないのです。
ただ創建者のサラは、指示する霊の声を霊媒師を通さなくても聞くことができるようになっていました。毎日霊からの指示を自分で聞き、施行し続けたのというのですから、悲しみ云々なきにしても稀代の変わり者であったことは間違いないでしょう。晩年には、「顔を見せてはいけない」という霊の指示にしたがってサラは顔をいつもベールで隠していました。
(邸宅を造ったサラ・ウィンチェスター)
莫大なロイヤリティを産み続けたウィンチェスター銃のお金を使いながら、破産することなく例を指示通りに家を作り続けたサラ。その甲斐もあってか彼女は無事天寿を全うし、1922年に82歳でこの世から旅立ちました。
まとめ
悪霊が出るわけでもなく、特に誰かが実際に亡くなったわけでもない。しかし悪霊の声を聞き、ここまで手の込んだ邸宅を作り続けた未亡人のサラ。実際に起こることよりも想像のほうがよっぽど怖いとはよくいったもので、実際に完成したハウスよりも、霊の声に入れ込み邸宅を作り続けた彼女のほうが、周りからみると恐ろしかったのかもしれません。
現在ウィンチェスター・ミステリーハウスは、カリフォルニア州の史跡868万に指定され、国指定の歴史建造物となり、内部と巡るツアーも実施されています。
またハロウィンや13日の金曜日辺りには、夜間に肝だめしツアーが行なわれることもあり、オカルト好きのための重要なスポットともなっているのでした。
この記事を読んだ人へおすすめの記事